わたしの中の小さな小鳥 6

わたしの中の小さな小鳥

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「やっぱりね」
 なにがやっぱりというのだろう。
 ポロシャツを脱ぎ捨てた広川さんがベッドにわたしを押し倒し、服の上から胸を揉む。服がめくられて肌が出されていく。
「なにが……」
 ブラジャーを押し上げられて乳首に吸いつかれた。乱暴に吸われて乳首が立つ。
「おとなしそうに見えて、そうじゃないって」
 どこが。でももう、どうでもよかった。誰の愛撫でもかまわない。ここがどこでもいい。あの人がいないところなら。
 半裸のわたしを見てくすっと広川さんから笑いが漏れた。
 なんと思われてもいい。ただ忘れさせてくれれば、それで。

 動き回っている手は愛撫のつもりなのか、ただ服を脱がすだけなのか。すぐに足のあいだに手が入って両側へ開かれた。どんな男でもすることは同じ。まだ濡れてないだろうが、太い指で押さえられて入口を指で抜き差しされれば中の潤みが引き出されてくる。でも、そんなによくない。
 シャワーなどしていない肌はすべりが悪い。男の体の匂いとヘアスタイリング剤みたいな匂いが混ざり合っているのが動くたびに鼻につく。
「気持ちいいだろう」
 広川さんの吐く息が肌にまとわりつくようだ。わたしの中へ指を差し込んでぐいぐいと押す。指で押し上げられて腹側を突くようにされたけれど、押される感覚だけだ。
「いいんだろう?」
 答えて欲しいのだろう。でも、答えられない。なんでもいいから。もっとよくして。なにもかも忘れるくらいにしてほしいのに、這いまわる指がわたしの感覚からずれていく。
 あの人はそんなふうにしなかった……。

 さらに足を広げられたが、股関節が痛くて足を戻して広川さんの手を押しのけてしまった。
「なんだよ」
「ゴム、して」
 広川さんは返事をしなかったけれど枕のむこうへ手を伸ばした。彼のものなど見たくないから目をそむけていた。
「……っ」
 押しつけられて痛みに息が詰まった。それでも押し続けられて広げられる力に負けて入り込まれている。笑っているような男の顔に見下ろされて顔をそむけた。
「今さら処女ぶるなよ。連チャンでやりたがっているくせに」
 連チャン?
 中へ入られて動きだされたのに高まっていかない。男というのはそれだけで気持ちがいいのだろうか。腰を振るのを続けられて、でも、そうじゃなくて。もっと気持ちよくして。体をぶつけられても揺れるだけ。はあはあと男の荒い息が聞こえるだけ。
「ムカつく。声ぐらい出せよ」
 よくもないのによがれと言う。勝手な言い草。でも、わたしだって体を投げ出しているだけだ。
 もう体が喜ぶなんてどうでもいい。誰かに強気なことを言っても、歯をむいて見せても、わたしの底にはいつでもあきらめが淀んでいる。その淀みに沈み込めばすべてから目を逸らしてなにも見えなくなる暗い無力に浸ることができる。
 いまは男が放ち、それが済むのを待っているだけ……。

 男のものが中から抜け出す。抜き出しながら面倒くさそうに避妊具をはずして落とした。
「あんた、金持ちでないと腰振らないの」
 そう言って避妊具の始末もせずに自分だけ拭いて服を着だした。足のあいだに落とされた避妊具を避けようとしてベッドの上で後ずさったわたしを広川が振り返った。
「あの男って彼? 黒い車の男。あの車、すげえな。いいなあ。あんな車を持っている男の乗り心地ってどう?」
 黒い車……。
「ほかのやつらになんて言われてるか知ってんの」
 ほかの……やつら?
 なんのことかわからずに広川を見た。
「会社のやつが見たんだってよ。一緒にセントラルホテルへ入って行くの。そしたら次の日のあんた、やりまくって疲れてます、みたいな顔しててさ」
 セントラルホテル。その名がぴしりとわたしを打つ。春彦さんに連れて行かれたホテルだった。誰かに見られていた?
「あんたのどこがいいんだか」
 広川の顔は笑っていた。せせら笑うように。この人……。
「……自分だって」
「なに?」
「自分だって。あなたの車、誰のよ」
 男の顔つきが変わった。
「はあー? だからなんだよ。そんなの関係ねえし。あんただって同じだろ」
 そう言うと、もう服を着た広川はなにを言う間もなく部屋のドアを開けて、わたしのほうを見ることもせずに出ていった。

 広川が部屋から出たからだろう。ホテルの従業員らしい男が部屋のドアの外へ来てインターフォンのようなもので呼び掛けられた。わたしがすぐに出ていくと言うと料金を精算するように言われた。やり逃げか。外へ出て見ると駐車場に軽自動車はすでになかった。


 …………
 なにをどうしても。

 惰性で歩きながら重くなる体。ここがどこなのかわからずにただ歩く。それでも歩かなければならない。

 最低。なにもかも、みんな最低。
 そして一番最低なのはわたし。

 好きだった人と別れさせられたときも、春彦さんとの結婚も、結局はそうさせられてしまった。子どものときから親の顔色を気にして、反抗しても反抗しきれない。逃げるだけ。わたしはただあきらめに逃げることしかできない。

 最低。
 最低だ。わたしは……。






 歩き続けていればどこかに着くものだと、見覚えのある街並みを見てため息をついた。いつのまにか自分のワンルームの部屋の近くまで来ていた。歩くしかない。いまは部屋に帰ることしかできない。黒い車が駐車場に止まっていても、その前に立つ人が誰なのかわかっても、わたしには歩くのを止めることができなかった。
「待ちなさい」
 通り過ぎようとして腕をつかまれて止められた。
「どこへ行っていた?」
「どこにも……」
 腕をつかんだ男の顔をわたしは見ていなかった。
「お義母さんから連絡があった。あなたが飛び出して行ったと」
「それなら」
 ……なにをどうしても。
「母はなんと言いました? 言ったんでしょう。わたしが男の車に乗ったこと」
 春彦さんはなにも言わなかった。だから。
「ホテルへ行ってました。その男とセックスしていました」
 パシッと鋭い音が鳴った。音がして、それが自分の頬を打たれたからだとはすぐに気がつかなかった。茫然としているとやっとじわじわと打たれた痛みが伝わってきた。
「あなたは私を怒らせる天才だな」
 春彦さんの声が聞こえたのに、わたしの目は前にいる彼を見ていなかった。
「来るんだ」
 手をつかまれて闇雲に振り払った。駐車場から歩道を突っ切り、車道へ飛び出したところで体が止まった。昼間の光に照らされた道路をこちらへ向かってくる車が見えた瞬間に腕がつかまれて引き戻されたが足が動かない。もう意識が保てずにまわりが真っ暗になっていく。崩れていくわたしを支える腕。それは……。


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