副社長とわたし 31

副社長とわたし

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 新年になって会社が始まるとわたしは内緒にしておくわけにもいかず金田所長へ孝一郎さんと婚約したことを報告した。その時は三上さんもいて、ふたりはわたしたちのことを知っていたけれど、やはり婚約というのには驚いていた。
「ええっ、婚約。それは一気に話が進んだねえ」
 そう言った金田さんに、わたしもそう思いますと答えたけど、それは正直な気持ちだった。
「向こうのご両親がわたしの家へ来てくださって、なんだかあっというまにそういうことになってしまいました」
「常盤副社長のご両親が」
 金田さんが感心した。だって孝一郎さんのお父さんはこの三光製薬の社長だから。
「ともかくそういうことなら、おめでとう、瑞穂ちゃん」
「瑞穂ちゃんを射止めるとは常盤副社長もなかなか見る目あるね」
 あいかわらずな三上さん。でも、ありがとうございます。
「ところで瑞穂ちゃん、式とかは決まっているの?」
「いいえ、それはまだです。常盤さんにはとにかく婚約だけでも早くしたいって言われて」
「一応、聞いておかないといけないことだから聞くけど、結婚したら仕事はどうするの?」
「はい、できるだけ続けていきたいです。常盤さんもそれでいいって言ってますので」
「ほおお、副社長が」
 金田さんがまた感心したように言った。
「瑞穂ちゃん、愛されているんだねえ。常盤副社長もここで堂々とプロポーズしちゃうわけだ」
 あ、愛されている……。三上さん、そんな赤面するようなこと言わないでください。婚約のことは急すぎてなんだかまだ実感ないのに。



 年末に孝一郎さんの家へ初めて行ってご両親に会ったときはとても緊張した。その時の細かいことが今でもよく思い出せないほどだ。初めてお会いする孝一郎さんのお父さんはさすがにあたりを払うようなオーラがあって、ワンマンといわれているこの社長さんがよくぞわたしと孝一郎さんの結婚を簡単に許してくれたものだと思う。そして孝一郎さんのお母さん。
 孝一郎さんはお母さんにとてもよく似ていて、男性にしてはきれいな顔立ちだと思うのだけれど、お母さんとなるとそのよく似た顔がなんというか、きりっと男前な美人なのだ。まるで元タカラヅカの男役の女優さんみたいだった。孝一郎さんと並んで立っても負けていない華やかさなのに、でも雰囲気がさっぱりとしている。そのお母さんはなんと昔、三光製薬で働いていてお父さんと知り合ったという。
「この人はわたしにひと目惚れだったのよ。わたしは最初、そんな気はまったくなかったのだけど、この人に口説き落とされちゃったってわけ。孝一郎とお父さんて、やっぱり親子よねえ。同じようなことしているんだから」
 そう言って美しいお母さんは豪快に笑った。お父さんは渋い顔をして黙っていたが、若い頃のお父さんがかなり、いや、すごく強引にお母さんを口説き落としたというのは三光製薬では有名な話だそうで、ご両親はじつは職場結婚だったのだ。はあー……。

 そして年末に孝一郎さんがわたしの家へ来て、それはわたしが前日に電話で知らせておいたにもかかわらず、うちの両親にとっては青天の霹靂(へきれき)以上のものであったらしい。孝一郎さんはきちんと誠実に両親に話をしてくれたが、地元の企業に勤めるサラリーマンである父だから大企業の跡継ぎと結婚するということは大変なことだとすぐに思ったはずだ。

「瑞穂はそういうこと、わかっているのか」
 父からそう聞かれた。
「いいことばかりじゃないんだぞ。こういう人の奥さんになるってことは」
「はい。わかっているだけじゃだめかもしれないけど、一生懸命がんばります。だから孝一郎さんと結婚したい」
 そう言うと孝一郎さんが頭を下げた。一緒にわたしも。
「どうかお願いします。私の仕事は責任の重い仕事だと思っていますが、どんな仕事でも家庭
あっての仕事です。それには瑞穂さんしか考えられません」

 うーんと唸って、父はひと晩考えさせてほしいと言った。翌日は大みそかだったけれど、孝一郎さんは明日また来ますと言った。

 お父さんはむやみに反対しているのではないと思う。それはわかったけれど。

「瑞穂、送ってらっしゃい」
 母がそう言ってくれたので、バッグを持って玄関へ行くと孝一郎さんに止められた。
「まだご両親のお許しをいただいていないのだから瑞穂さんは来てはいけない。ここでいいよ。では、また明日来ます。失礼します」
 一瞬、玄関にいた父も母も黙りこんで動かなかったけれど、孝一郎さんはまっすぐに立ち、両親へ一礼すると帰って行った。ついていきたかったけれど、せめて送りたかったけれど、わたしは孝一郎さんに言われた通りそれを我慢した。

「大切にされているのね」
 あとで母から言われた。
「瑞穂があんないい人を連れてくるなんて思わなかった。できるならあんな大きな会社の副社長さんでないほうがよかったんだけど、それを言ったら贅沢っていうものね」
「お母さん……」
 母の率直な言葉だった。お父さんだってそう思っているはずだ。二十七歳になっているわたしだからさっさと嫁にいけと冗談混じりで言われていたけれど、それは孝一郎さんのような人となんて考えてもいなかったはずだ。
「いろいろ大変だと思うけど、あ、もう大変になってるか。でも案ずるよりなんとかって言うしね」
 楽天家の母らしい言葉にわたしはちょっと涙がにじんだ。

 翌日、父は家へ来た孝一郎さんとふたりだけで話をしていた。父と孝一郎さんが何を話したのかわからないけれど、やがて父は台所に来てわたしと母にお酒を持ってくるように言った。
「男同士の話はうまくいったみたいね」
 母が小さな声でわたしにそう言って、父はわたしたちに背を向けながら「そうだ」と言った。

 こうしてわたしたちの結婚を両親も認めてくれたのだが、こたつでごろごろしながらことの成り行きを見ていた大学生の弟の恭介の言った言葉が今の状況のすべてを物語っていた。
「ねえちゃん、ほんとにマジかよぉぉぉー」 
 うん、マジなんです……。



 そしてわたしだけでなく家族みんなびっくり仰天なのだが、孝一郎さんとご両親がお正月の二日に我が家へいらしてくれたのだ。三光製薬の社長である孝一郎さんのお父さんが来られるというので我が家のローカルでまったりとしたお正月はまさに激震を受けたように様変わりしてしまった。いや、年末に孝一郎さんが来た時からもう我が家の平穏はなくなってしまっていたけれど。
 恭介までもがらしくない緊張をしていた。あんたが緊張してどうすんのよ。でも緊張するなとも言えない。怒涛のような展開にもはやわたしはあきらめていたというか、慣れてきたというか、もう開き直るしかなかった。
 この行動の早さ、やっぱ孝一郎さんとお父さんて親子だ……。

 我が家のちまちまとしたお正月飾りをしつらえてある和室で挨拶が交わされ、さすがに孝一郎さんのご両親は大企業の社長夫妻だけあってこんな部屋には似合わない威厳があった。
 それでもわたしの両親はしっかりと精一杯対応してくれた。本当はとても緊張していたのかもしれないが、娘のわたしから見てもふたりはご両親からの挨拶を礼儀正しく受け、そして孝一郎さんからの正式な結婚の申し込みを了承してくれた。

「すばらしいご両親だ」
 車で来た孝一郎さんは見送りに出たわたしにそう言った。そして車の中には孝一郎さんのご両親がいて、玄関先にはわたしの両親がいるというのに常盤さんはわたしを引き寄せると手を握った。
「ゆ、勇気ありますね」
「瑞穂と結婚できるならどんな勇気も出すよ」

 どんな勇気でも。

「わたしだって勇気出しましたよ。田舎のねずみだって人生の晴れ着は若いうちに着たいんです」
「晴れ着?」
 きょとんとする孝一郎さん。あらら、意味が通じていませんでしたか? でも、それも一瞬のことで孝一郎さんは笑いだした。
「僕も早く瑞穂のウェディングドレス姿が見たい。きっと瑞穂はきれいだろうなあ」

 孝一郎さんがわたしの左手の薬指にはめてくれた指輪は、婚約のしるしだからとかなり大きなダイヤモンドだった。ひえっと心の中で叫んでしまったことは内緒。でも、こんな指輪ずっとはめていることなんてできない。すぐにしまってしまった。

 まだ先のことは決まっていなかったけれど、結婚した友だちが双方の親に喜んでもらって婚約をしたときがうれしかったって言っていた気持ちがわかった。うれしくて、そしてそんなわたしを見ている孝一郎さんがそばにいてくれる。
 だけど、わたしは彼がなぜ婚約までを急いだのか、その時はまだわかっていなかった。


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