副社長とわたし わたしの総務課長様 6

わたしの総務課長様

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 瑞穂のいない休日はつまらない。
 仕事が休みでも瑞穂がいなければどこへ出かける気もない。自分で食事を作って、洗濯をして。それくらいしかすることがない。ベッドで昼寝をしているうちに時間が経ってしまったらしい。目が覚めたときには部屋の中は真っ暗だった。
「夜か……」
 起き上がってベッド脇の灯りをつけ、ぼんやりと時計を眺めた。……え?

 寝室の外で気配がする。すぐにノックの音。
「孝一郎さん」
 その声。

「瑞穂?」
 あわてて立ち上がるとドアが開いた。
「起きました? もう夜ですよ」
「瑞穂、どうしたの。家へ帰っていたんじゃ」
「さっき帰ってきたの。不法侵入しちゃった」
 瑞穂が照れたように笑った。
「鍵を渡してあるのだからかまわないよ。それより起こしてくれたらよかったのに」
「うん。でも起こすの悪いかなって」
「起こしてくれないほうが悪い」
 そう言って腕を広げるとするりと瑞穂が抱きついてきた。
「あした帰ってくるんだと思っていた」
「うん、でも」
 きゅっと瑞穂の手に力が入っている。
「会いたくなっちゃったから」

 小さな星のように光る瑞穂の瞳が俺を見ている。
 瑞穂はわかって言っているのだろうか。そのひと言が俺の理性を吹き飛ばすと。

「会いたかった……」
 小さな声で言う瑞穂。
「会いたくて……」
 答えずに唇を塞ぐ。
 それに答える言葉なんてない。



 いつもはさらさらとした瑞穂の肌がいまはしっとりとしている。汗ばんだような肌から服を取るのももどかしい。手の中で柔らかく形を変える瑞穂の胸。
「灯り、消して……」
 恥ずかしげに体を隠そうとする瑞穂。それがさらに熱さを増幅させる。瑞穂だけじゃない。もう止めようもないほど熱くなっている。自分が。
 どうにかなってしまいそうだ……。

 瑞穂が腕を伸ばす。身をよじりながら腕を伸ばしたその手が灯りのスイッチへ触れる前に体ごと引き戻した。
 瑞穂の俺を見た表情に自分でもいささか強引だと思った。安心させるように少し笑ってみせる。
「つけておいて」
 かわりに瑞穂の上から手を伸ばして避妊具を取る。そのままかぶさるように体を重ねると体の下で瑞穂が小さく喘ぐ。やわらかく熱いところに指が触れて。

「消して、お願、い」
 抱き上げて向き直らせた瑞穂の頬が恥ずかしさだけではなく赤くなっている。体が揺れるたびに小さな声が何度もこぼれる。瑞穂の中の熱さを感じてたまらなくなる。
「わかった。消すよ。でも瑞穂、俺を見て」

 俺を見て。俺だけを……

 弱音と取られてもいい。
 瑞穂の前では俺などただの男だ。

 もう、どうしようもないほどの……。





 あの夜のことを思い出すたびに頬が熱くなる。
 なんだかわたしは無我夢中だった。孝一郎さんはわたしがなぜ実家から帰ってきてしまったのか、わかったのだろうか。

「お父さん」
 父はやはり、うーんと言って黙ってしまった。
「もう結婚することは決まっているんだし、孝一郎さんがっていうよりもわたしがそうしたいの。お願いします」
 しかし父の返事は芳しくなかった。
「だがな、式の日取りはまだ決まってないだろう」
「お父さん、瑞穂もちゃんとお父さんに許してもらってからって言ってるのよ。それに常盤さんの家はマンションで瑞穂のアパートなんかよりずっと安心だと思うんだけど」
「……だめだな」
 母が言っても父はわたしの孝一郎さんと一緒に暮らしたいという願いにうんと言ってくれなかった。

「お父さんも娘を持つ父親しているのね。やっぱり結婚式までは離れていても自分の娘でいて欲しいって思っているんだよ」
 土曜日の午後、一緒に夕飯の買い物へ出かけたとき母はそう言った。わたしだって以前は結婚まではちゃんとけじめをつけたほうがいいって思っていたから、父の気持を考えればそのほうがいいこともわかっている。
「常盤さんはなんて言ってるの?」
 母に尋ねられても忙しくてほとんど電話でしか話していないって言えなかった。

 父の気持ちもわかってあげたい。と頭では思う。
 でも。

 わたしは孝一郎さんと暮らしたい。
 一緒に暮らしたいんだよ。
 …………



「わたし、帰る」
「え? 瑞穂、あした帰るんじゃなかったの? お夕飯は」
 驚く母を尻目にバッグを取りに行った。でも、父にも東京へ帰るとひと言、言った。
「そうか」
 父はそれしか言わなかった。
「ねーちゃん、駅まで送るよ」
 恭介、たまには気が利くのね。わかったようなその顔が小憎らしいけど。
 弟に車で駅まで送ってもらい、わたしは電車へ飛び乗るようにして帰ってきてしまった。

 電話もせずにいきなり来て部屋へ黙って入ってしまったのも初めてだった。これじゃあまるで泥棒。そう思ってわたしは思わず笑ってしまったけれど、暗い寝室で眠っている孝一郎さんを見て床へ膝をついて彼の寝顔を見ていた。

 良い時も、悪い時も。
 一緒にいたい。

 副社長じゃなくても、あ、でも、この人が御曹司なのは変わらないか。訂正します、忙しい時もそうでない時も。そうでない時って、そればかりでも困るけどね。
 わたしが家へ帰った理由、孝一郎さんに言ったら彼はどうして話してくれなかったのと言うに違いない。僕がお父さんに頼むから、ときっと言うに違いない。
 でも、わたしだって子どもじゃない。自分のしたいことだから自分でお父さんを説得したい。家には内緒でここへ住んじゃえって思う時もあるけど、やっぱりわたしは小心者。こんなにも一緒にいたいって思っているのにね……。

 孝一郎さんはわたしの会いたかっという言葉に答えるように愛してくれた。灯りを消そうとして引き戻されたときは孝一郎さんの力にちょっと驚いたけれど、でも笑った顔はいつもの彼だった。わたしの好きなきれいな笑顔。

「わかった。消すよ。でも瑞穂、俺を見て」
 孝一郎さん、俺って、初めてわたしに言った。

 灯りを消してしまった部屋の中で彼の顔は良く見えなくなってしまったけれど、わたしは彼を見ていた。彼を感じていた。わたしを押し上げて翻弄する彼が息を詰めるように達するのを。脱力したわたしにかがみこんでやさしいキスをくれるのを。
 そして彼は寄り添いながらわたしの手を握っていた。
「瑞穂は婚約指輪をしていないね。あれは仕事をするには不向きかな」
 彼の握っている手はわたしの左手。
「えっと、正直に言うと、そう」
「瑞穂は邪魔にならないデザインがいいんだよね。明日、一緒に選びに行こう。いらないなんて言わせないよ」
 孝一郎さんは笑ってわたしの唇へ人差し指をあてた。なにも言うなってことね。

 ふたりで選んだ指輪は小さなダイヤが両側からハート型の曲線にはさまれているデザイン。
 箱から取り出した指輪を孝一郎さんがわたしの左手の薬指に通す。ああ、ここが彼のマンションの部屋でよかった。ジュエリーショップのお店の中で、この人にこんなことをしてもらって平気でいられる度胸なんてわたしにはない。
「もうはずさないで」
 にこっと孝一郎さんがほほ笑む。彼の唇が指輪にキスをした。

 はずすわけない。
 いまのわたしには何よりうれしいプレゼントだったから。

 指輪をはめた手でこっそり握りこぶしを作ってわたしは心密かに誓った。一緒に住むことをお父さんに許してもらうんだから、絶対。次の休みにも家へ帰ってお父さんと話そう。


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