花のように笑え 第2章 11

花のように笑え 第2章

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「ティーオールカンパニーへ国税庁の査察が入るっていう噂がある。まだ噂だがな。それでも
ティーオールには相当の揺さぶりだろう」
 査察。マルサと呼ばれる国税庁の査察には捜査権がある。
「査察が入る理由は何です?」
 ベッドで上半身を斜めに起こした聡が三田に尋ねる。聡はなるべく座っていられるように、上半身だけでも起こしていられるように努めていた。そうでもしていなければいてもたってもいられなかった。早く、早く回復したい。

 三田は東京から聡のいる病院へ戻って来たばかりだった。
「それはいくら俺でもわからん。警察は警察で例の資金の行方を調べているんだ。金の流れをどこまで調べられるかだ」
「何を悠長に……」
「警察も架空投資が疑われた時から調べているんだ。周到に攻める気だろう」

 警察は近藤のコピー書類からも調べているに違いない。この情報を提供する時に警察の捜査の進展具合を教えてくれるように頼んではいたが警察からはあまり状況の説明はない。警察の捜査がどこまでいっているのか。 警察が聡たちに話してくれる情報はごくわずかなものでそれは厳密に情報が管理される必要があったからだ。
 それでも警察は瀬奈が東郷の別宅にいること、以前は瀬奈を連れて外出する事もあった東郷が最近はほとんど瀬奈を外へ出すことはなくなっていることなどを教えてくれたが、それを聞いた時も聡はまだ大きな声を出すことができないのに叫ばずにはいられなかった。
「瀬奈がいるのがわかっているのならなぜ……! 瀬奈はまだ19歳だ。未成年者の略取誘拐でもなんでもいい、理由をつけて瀬奈を助け出すことはできないのか!」
「聡、お前の気持もわかる。だが警察も東郷の容疑が完全に固まるまではあいつを刺激しないようにしているんだ。それに瀬奈さんは誘拐されたわけじゃない。自分から東郷のところへ行ったらしい。行かされたんだろうがな」
 なぜ、どんな理由で行ったんだ。考えたくもなかったが東郷ならやりそうなことだ。瀬奈を追い詰めて自分から来させるようなことを。聡の家や財産がAMコンサルティングの専務によって押さえられてしまい瀬奈が追われるように家を出されてしまったことも三田は AMコンサルティングの社員のひとりから聞き出していた。
 聡は肩と胸の痛みにじっと耐えながら三田の言うことを聞いているしかなかった。瀬奈には札幌に叔父たちがいるからと、家政婦の小林へ少しの現金を預けておくことくらいしかしなかった自分が悔やまれる。 もしもの場合に備えて家でも金でも、瀬奈の名義で別に用意しておかな
かった自分が悔やまれる。

 転落から2カ月、9月下旬の今は聡が負ったいくつかの小さな傷は癒えていたが肩の具合は良くなかった。医師からはもう一度手術を受けなければならないだろうと言われている。左足の骨折が順調に回復しているのが救いだったがまだひとりでは歩けない。 近藤はすでに東京の病院へ身柄を移されていた。近藤の回復具合も警察は見ているに違いない。

 三田が探った限りではこのところ東郷もティーオールカンパニーも表向きなんの変りもないという。
「それどころかティーオールカンパニーが会社創立20周年記念のパーティーをするらしい」
「記念パーティー?」
「10月に東京のホテルで行うそうだ」
「AMの社員をも呼んでか。東郷はどういうつもりなんだ」
「さあね。AMの連中に訓示でも垂れたいんだろう。だがAMの社員に探りを入れたんだが、そのパーティーへ瀬奈さんが来るっていう噂がある。いや、噂が故意に流されているらしい」
「えっ……」
 三田の言葉に聡は思わず起き上がった。瀬奈を?
「どうして瀬奈を……まさかそれは」
 瀬奈がそのパーティーへ出るという噂だけでさまざまな憶測が飛び交うに違いない。 まだはっきりとはわからない森山聡の生死。その森山の妻である瀬奈がパーティーへ出るということは……。
 しかしそれ以上に聡が感じたのは東郷の悪意だった。瀬奈を晒し者にする気か。わざとらしく瀬奈を人前へ引き出して! 東郷に連れられて瀬奈が出ればどう思われるか。 瀬奈を見た連中にどう思わせたいのか。
 許せない。
 東郷が殺してやりたいほど憎かった。瀬奈を痛めつけようとしている。

 しかしそれがわかっていても聡には今の状況が果てしない暗闇のように思える。警察にまかせるしかないのか。やり場のない怒りに歯を食いしばって耐えるしかないのか。
「落ち着け、聡。瀬奈さんは相変わらず東郷の別宅だ。今や瀬奈さんが外へ出る機会は全くない。だからチャンスなんだ。わかるだろう?」
 ぐっと聡はこらえて叫びたいのを飲み込んだ。瀬奈がパーティーへ出されるのはなんとかして阻止したいが、瀬奈を救い出すにはパーティーの機会しかない。
「三田さん、そのパーティーへ誰かを潜り込ませることはできませんか。AMの中にでもいい。なんとか……」
 もっともっと情報が欲しかった。三田以外にも協力してくれる人間が欲しかった。そのために聡は押さえられてしまった自分の財産を取り戻したかった。合法的に押さえられたものではなく、 一時的にAMが管理するといった形になっているらしかったので取り戻すことはできるだろうが、それでは聡の生きていることがわかってしまう。
「警察からおまえが死んでいると発表させたらどうだ?」
 聡の財産をすぐに取り戻すのは無理だが東郷を油断させることができるかもと三田は言う。東郷の謀った通りになっていると思わせることができる。
「瀬奈さんはおまえが死んだと思うだろうが……」
 聡が死んだと瀬奈が聞いた時のことを三田は心配していた。
 瀬奈は……信じるだろうか。泣くだろうか。聡が死んでいたと聞いたら。しかし聡は苦い表情であったがこう言った。
「信じるかもしれないが……たぶん瀬奈なら持ちこたえてくれると思う」

 小さな予感のように聡は思う。瀬奈を抱くたびに、瀬奈の柔らかな体に身を沈めるたびに聡は感じていた。
 ためらいや恥じらいが完全には消えていなかったけれど、瀬奈は聡にされるがままというわけではなかった。遠慮がちに伏せられる目が聡のキスであごをあげられてやがてはしっかりと見つめあう。 瀬奈の体を愛撫するたびに小さな声がこぼれて恥じらいに震えていても瀬奈の腕は聡の体を引き寄せてくれた。そんなふたりの、ふたりしか知らない愛の記憶。
 結婚したばかりの頃、瀬奈へは何も言わず苦しい思いをさせてしまった。理不尽と言われても仕方のない聡の態度に対して瀬奈は瀬奈自身ができるぎりぎりのところまで我慢していてくれたのだ。いつでも聡を待っていてくれた瀬奈。 それに知らないうちに甘えていたのは自分のほうだった。
 聡が何も話してくれないのはつらいと言った瀬奈。何も知らされないよりは自分も一緒に苦しみたいと言った。瀬奈を胸に抱いて泣き疲れるまで泣かせたあの日、瀬奈は聡を自らの意志で受け入れてくれた……。

 瀬奈の穏やかさを信じたい。聡を受け入れてくれた柔らかさを信じたい。
 それが瀬奈なのだから……。

「そうだな。瀬奈さんは田辺先生の孫だからな」
 三田が励ますように聡へ言う。
「三田さん、出来る限りの手を考えよう。金が必要なら旭川の会社の……」
「いや金はたいして必要ないだろう」
 三田にはすでにあてがあるようだった。


2008.07.26

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