芸術家な彼女 18

芸術家な彼女

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18


 理香はいつでもはっきりとものを言う。
 あの時、7年前のあの時、俺がプロを辞めるって言った時……理香はもう会えないって言った。やっと退院した時だ。もうどうにもサッカーなんて無理だと腹をくくって理香にそう言った。リハビリさえ何年かかるかわからない、そんな状態だった。そして理香の答え。
 自分でもこれからどうしたらいいのかわからなかったが、入院中も変わらず見舞いに来てくれた理香ならついてきてくれると思っていた。とんだうぬぼれだったけどな……。 理香が悪いわけじゃない、サッカーしかできないのにそれができなくなった男と一緒にいるのがどういうことか、と思えるようになるには退院してから1年くらいかかった。プロを辞めてもまた復帰してやる、石にかじりついても、なんて無理してまた病院に逆戻りしたからだ。 親父にもあきれられた。もうサッカーはあきらめて仕事を覚えろと……。俺も今沢のことは言えないな。相当なバカだった。
 でもバカはバカなりにちょっとは学んだ。
 こんな違和感を俺に与えておいて知らんふりはないだろう? こんな時は強行突破だ。今沢にはそれしか通用しない。あいつも相当なバカだから。俺がフェイントくらって黙って引っ込むとでも思っているな?

「おーい、望、いるんだろう?」
 インターフォンの返事がない。
「入るぞー」
 そう言ったらやっとドアがあいた。
「…………」
 今沢が黙って立っている。やけに平静なツラだな。
「こんど土曜日に市民グラウンドでまた試合があるから来てくれよ。そのあとでどっか出かけよう。いいだろ?」
「嫌」
 えっ? おい、今沢……?
「何でだよ。おまえちょっと変だぞ。どうしたんだ」
 今沢は頑固に目を合わせようとしない。下を向いている。
「どうしたんだ……?」
 答えない。
「言わなきゃわかんないだろ?」
 顔を上げない。

 …………
「おまえバイトはいいけど仕事しているのか?」
「……バイトしちゃ悪いの?」
「仕事していないのか」

 むかっときた。花が作れないのが誰のせいだと思っているのよ。立原はそんなこと知らないことだろうけど、もう立原のペースに乗せられたくない。
「あんたに言うことじゃないよ」
「じゃあ、なんで俺を見ないんだ!」


 その言葉にやっと今沢が顔を上げた。平静な顔。
「あんたにそんなこと言われる筋合いない」
 今沢が言い放つ。
「入りたかったらスペアキーで入ればいい。そうでしょ? いちいち私にお伺いをたてなくたっていい。あんたの部屋なんだから。私を抱きたかったら抱けばいい」
 あまりに理由のわからない、今沢の答えに俺は絶句状態。前より今沢の状況が悪くなっているのはなぜだ?
「今沢……」
「あんたのしたいことをすればいいのよ。私もそうしているんだから」
「ちょっと待てよ! おまえの言っていること意味がわかんねえよ」
 今沢の平静さに無性に腹が立ってきた。
「わかんねえよ」
「わからなかったらいいわ。じゃあね」
 閉められてしまったドア。俺は腹立ちまぎれにガン! と一発、ドアに蹴りを入れてしまった。ちくしょう……。


 ドアを蹴る音にびくりとする。怒っている立原。でもいいよ、そのほうが。私がここを出ていけばいいんだ。そうすればもう立原のことなんて忘れるよ。きっと立原だって……。

 次の日、バイトへ出かけようとすると部屋の外で立原が待っていた。私の部屋のドアの横に寄りかかって、ズボンのポケットに手を突っこんだまま。でも何も言わなかった。黙って私が部屋から出るのを見ていた。私も何も言わなかった。 ふだんおしゃべりな立原に黙っていられると……それだけで…… 。
 また私の帰ってくるのを立原は待っているだろうか。深夜まで、寝ないで。
 そんなことをしたら朝のランニングができなくなっちゃうよ……。


 このままでいいわけがない。
 サッカーのギャラリーも気になったが今沢のことも気になる。前はバイトはしたくないって言って、あんなに仕事一筋人間だったのにどうして仕事していないんだ? おまえ貧乏してまであの仕事が好きなんだろうに……。 それに今沢がなんで機嫌が悪いのかさっぱりわからない。バイトで仕事が出来ないからか? だったらバイトなんてしなけりゃいいのに。どうせ今沢のことだから生活に困っても助けて欲しいなんて言えないんだろう。素直じゃないやつ。 なんのために俺がいるんだ。まあ、別に俺が悪いわけじゃないと思うけど、仲直りして、それから前みたいに他愛ない話ができればいい。
 そう思って待っていたのに、帰ってきた今沢の手にしていたもの。それは……。

 今沢の手にしたコンビニの袋と賃貸アパートの情報誌。
 部屋の前で待っていた俺に気が付いて一瞬今沢がひるんだようだった。が、もう遅い。仕事柄すぐにわかる。今沢がなにをしようとしているのか。 今まで話そうと思っていたことが一瞬に吹っ飛んだ。
「おまえ、それ何だ?」
「え……」
「部屋を探しているのか」
「…………」
「だからバイトしているのか」
 俺が完全に怒っているように見えたのだろう。今沢の息が詰められる。
「そうだよ。ずっとここに居るわけにいかないって前にも言ったよ」
「どうしてだ?」
「あんたに養ってもらっているようで嫌なの!」
 今沢が叫んだ。
「あんたの、あんたの都合良く置かれているみたいで! 私は貧乏だけど、行くところがないけれど……どうして私になんかに……」
「なんでそんなことを言うんだ!」
 ……おい、今沢、俺の気持ち、おまえに言ったよな。
 何でそれがわかってないんだ? じゃあなにか、俺がそう思っていてもおまえはそうじゃなかったってことか? だったら何で俺に抱かれた? この部屋の見返りにか? 俺がそう言ったから? まさか……。
 もうこれ以上今沢と話していると自制のタガがはずれそうだった。
「出ていくってことか……」
 今沢は頑固な表情でうつむいている。何も言わない。
「おまえに明日の試合を見に来て欲しいって言いに来たのに……とんだオフサイドだな」


 オフサイド、オフサイドの意味がわからない。
 私がサッカーわからないのにわざとそう言っているの? 何も言わず立原は自分の部屋へ
入ってしまった。
 わたしも部屋に入って明かりもつけずにソファーに座りこんだ。こんな時どうしたらいい?
 わからないよ。

 怒っていたね。立原。今度こそ私のことが嫌になったでしょ。
 もう花も作れない私。自分のしたいことだけして自分のこだわりばかりに目を向けて生きてきた私。今の私は立原が好きだけれどそのせいで花が作れないのもつらい。それでもまた花が作りたい。これしかできないから。



 嫌な予感はあたった。
 どこから聞いたのだろう。試合の見物人が何となくざわめいている。俺を見に来たのか。
それでもチームのみんなや監督はいつも通りだし、俺も気にしないようにやっていた。しかし、何となく落ち着かないまわりの雰囲気。集中力がそがれる。前半を終えて俺は監督に言って選手交代にしてもらった。監督もわかっているのか何も言わずそうしてくれた。ベンチで試合を見る。
 本当は今沢に見に来てもらいたかった。今沢の顔が見たい。そう思っていたのに。
 今沢のわけのわからない態度。出ていくのか……。まるで固すぎる壁みたいでわけがわからなかった。わからないから腹がたつんだが。
 今沢は、望は俺のことを好きだと思っていたのに。
 俺はこれでもストレートな物言いだと思っているんだけれどな。好きだから好きだと言ったし、今沢が試合の応援に来てくれればうれしかった。なのに。
 そういえば今沢って俺のことを好きだなんてひと言も言ってないよな……。

「おい、終わるぞ」
 試合が終わってもうすぐ解散というところで監督がわざわざ俺に言ってきた。
 わかっていた。俺も。解散になれば遠巻きにしていた見物人も寄ってくるだろう。
「すみません。先に行かせてもらいます」
 俺は監督とチームのみんなに頭をさげて駐車場に向かったが俺が駐車場に移動するとそれにつられるように何人もの見物人がついてくる。車のそばまで行くと何人かが待っていた。
「サインお願いできますか」
「握手を……」
 すぐに何人もの人に囲まれてしまった。サインの紙とペンを差し出される。
「悪いですね。俺はもうプロじゃないからそういうことはできないです」
「えー、そんなあ」
「ちょっとくらいいいじゃないですか」
 断りつつ車に乗ろうとした。
「なんだ、たいしたことないじゃないか」
 誰かの声。それは俺自身のことか、それともサインや握手はたいしたことではないのだから応じろということなのか……。

「ちょっと、あなた!」
 怒ったような女の声。理香、来ていたのか。
 まわりの人間をかきわけるようにして近づいてきて声の主らしい男に詰め寄る。
「いまのどういう意味よ!」
「理香、いいんだ」
「だって響……」
「理香、送るから車に乗れ」
 俺は理香にそれ以上言わせないために理香の背中を押した。理香を乗せて帰りながら俺は無言だった。
「響……怒っている?」
 理香がとうとう聞いてきた。
「……なあ、理香。俺はコーチって柄じゃない。子供みたいだって思うかもしれないが俺は自分でボール蹴っているのが好きなんだ。自分で走りたいんだよ。でもチームのみんなに迷惑かけたくない。チームをやめるってさっき言ってきた」
「やめる? でも……」
「チームの連中はみんなサッカーが好きなんだ。俺もその中のひとりでよかったんだ。それだけなんだよ」
 運転していても理香の顔がゆがんだのがわかった。
「……ごめん。ファンクラブの人たちに響のこと話したの、私。クラブに何らかの形であなたを呼び戻してもらいたくて。ファンクラブの人たちからも働きかけてもらいたくて。そしたら……」
 立原がいるって噂になってしまったってわけか。そういうことか。
「理香、戻らないことだってある。おまえの7年前の言葉も、俺の体も。もういいんだ」
「響!」


2008.02.05掲載

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