芸術家な彼女 8
芸術家な彼女
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8
立原は毎日電話をかけてくるようなことはしなかった。さすがに。
でも1週間外へ出なかったら「生きてるか?」と聞いてきた。
「大丈夫です」
「食べ物あるか? なきゃやるぞ」
私は餌付けされているのか。
「大丈夫です。買い物にも行きますから」
「そうか、じゃあ付き合えよ。買い物」
あんたの買い物に付き合うんじゃないでしょうに。でも、え? と思ったがそう言えば今日は土曜日だった。
じつを言えば食料も尽きていたことだし、しぶしぶ買い物に出る。部屋の前には立原が待っているし。
今日も立原は眼鏡だ。立原の車で出かけた。
「忙しい?」
「……忙しいです」
私の仕事は自分の裁量で出来る仕事だから忙しい、というのはちょっと違うけれどもそう答えておいた。説明するのがめんどくさい。
「どんな仕事?」
ざっと立原に説明する。ほんとにざっと。ああ、説明するのがめんどくさい。
……うわのそら、だなあ。
今沢の様子はそんな感じだった。彼女の説明してくれた仕事というのはいまいちわからなかった。いや、輸入家具屋からの依頼で飾る花を作っているのだということは彼女の説明してくれた通りなのだろうが、
それで彼女は具体的にどんなことをしているのか言わないからだ。言う気がないらしい。
これ以上聞いても無駄だな。集中するのは結構だし、そうでなければできない仕事でもあるのだろう。しかしちょっと……。
買い物を済ませて荷物を車に積んで、俺の買った菓子やジュースを詰めた大きな袋をあげても今沢は礼を言って素直に受け取る。変だ、絶対。
袋を運んでやると言って彼女の部屋に入ったが……あまりに雑然とした、いや雑然としたように見えるその部屋の中に驚いた。なんだか色をつけた大量の布や切れ端。作りかけらしい花。出来あがって机に置かれた花。
わけのわからない材料らしいものが袋や箱に入れて積んである。
「ペップ」って袋に書いてある。なんだ、そりゃ? 何枚もの絵、ひもでくくられた新聞紙の束。これってマンションの古紙置き場になっているところから持ってきたのか?
それから広げた新聞紙に色をつけた花びらのような物が何十枚も載せられて、同じようなものが一面床に広げてある。
全部で何百枚あるのだろう? きちんと並べてあったが足の踏み場もないほどの量。いったい何だ? これは。
「ありがとう。すみません」
スーパーの袋を受け取って礼を言う今沢の化粧っけのない顔。目が早く出て行けと俺を見ている。
それでもそれから1日置きにする俺の電話に彼女は出ていた。俺の聞いたことに今沢が短く答えるだけの会話だったが。
その電話に彼女が出なくなった。出ないことが2度続いた。また無理してんのか。風邪でもひいたのか。悪いと思ったけれど約束通り俺は今沢の部屋に入った。インターホンを鳴らしドアを開けて声をかけながら。
「今沢……」
彼女はいた。作業机代わりのリビングのテーブルの前に。座って黙々と作業を続けている。
「今沢さん」
「あ、立原さん」
平静だ。しかしその彼女の平静さがおかしい。前はぎゃあとか言って驚いていたのに。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
おうむ返しに返してくる。手が動き続けて顔はこちらを向かない。
それから毎日様子を見に今沢の部屋へ入った。たいして彼女は変わらない。ひたすら作り続けているようだった。出来あがったらしい花が増えている。
「ちゃんと食べているのか? 食べ物あるか? 置いておくからな」
「食べてる」
ひと言、今沢がうっとおしそうに答える。もう答えるのも面倒らしい。
……取り憑かれているみたいだな。……そう思った。
今沢、あぶないぞ。わかってんのか。
それから3日間、彼女の様子は変わらなかった。相変わらず。
今度は菓子じゃない物を置いといてやろうと思って野菜や肉なんかを買って持って行ったが、キッチンに置こうとしてこの前俺が置いた食べ物の入った袋がそのまま置かれているのに気がついた。
一番上のクッキーの箱が開けられていたがその中身はちょっと減っているだけだ。
……食べてない。
埃のつもった部屋の中。空っぽの冷蔵庫。シンクには食器じゃなくて絵の具の皿が積んである。
「今沢……」
声をかけても今沢は返事をしない。
「おい!」
「なんですか?」
その平静さが危ないんだ。今、わかった。
「もうやめろ」
立原が私の手をおさえた。
「仕事ですから」
「ぶっ倒れたら仕事もできないだろ」
「平気です。もうちょっとやらないと、めどが……」
立原の手を振り払い材料を取ろうと立ち上がって床に手を伸ばした。
その手が立原につかまれる。
「やめろと言ってるんだ」
「な……」
ぐいと立原が腕を引く。引き寄せられる。
「離し……」
それ以上言えなかった。口が、口がふさがれている。立原のその口で。
「!!!」
いきなり舌が入りこんできた。顔を離そうとしても立原の腕にがっちりと押さえられている。
「……やめ……」
言いかけてもまた唇がふさがれてしまう。力じゃかなわない。立原の舌がかき混ぜるように私の口の中を動き回る。手も、手も私の体をかき混ぜるように……。
「お願いだから休んでくれ……」
立原の苦しそうに言う声にやっと私はもがくのをやめた。
「お願いだから……」
彼の唇が首筋に降りてきた。
その感覚にめまいのようにくらくらする。足がふわふわして本当にめまいだったかもしれない。本能で倒れまいと立原にしがみつく。
もう一度彼の唇がもどってくる。唇に。立原の唇。
……どうして。
だけど、だけど、その唇のあたたかさに私は力が抜けていく。
彼が動いて抱きあげられてもなにも言わなかった。ベッドに運ばれて服のボタンがはずされても。むき出しの肩に彼が顔をうずめてきても。
彼は……あたたかくて心地よかった。信じられないくらいに。そして私は何もできずにただ抱かれていた。
熱い彼の体が私の中に分け入ってきても……。
「そのまま横になってろ」
立原の体が離れても起き上がれなかった。
彼と……立原と寝てしまった………してしまった……。
体は動けないくらいなのにぼうっとした頭の中では彼に抱かれた一部始終が繰り返される。よく覚えていないところもあったけど。
立原はもうベッドから出て行ってしまった。居間とキッチンで何かしているようだったが、しばらくして彼が戻ってきた。
「めし、食べるだろう?」
「…………」
立原がちゅっと音をたてて私の唇にひとつキスをした。
「食べなきゃだめだ。来い」
彼の用意してくれた食事を食べ、それから言われるままにシャワーを浴びた。
熱いシャワーが気持ちいい。体の芯からほぐれていくようだ。今だけは……。
脱衣所を出ると立原が待っていた。まるでくるむように抱きしめてくれる。
「眠るって約束するんだ」
こくりと頷いた。わかった……眠るよ。
驚いたことに立原も一緒にふたりでベッドへ入った。私の体に触れながら横たわっている。
「おやすみ」
そんなに私を眠らせたいの……。
やさしいね、立原さん……。
…………
2007.12.28掲載 ちなみに「ペップ」とは造花用の「雄しべ」のことです。いろいろな種類があります。
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