窓に降る雪 14

窓に降る雪

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14


 11月末になって、三生は学校で呼び出されていた。生活指導の部屋へ行くとそこには生活指導の先生ではなく藤崎シスターが待っていた。 三生に座るように言ってからシスターが言う。
「吉岡さん、最近外出が多いですね」
「……はい」
「外であなたを見かけたという先生がいらっしゃって。銀座の書店で。お連れのかたがいらしたそうね」
「先生、それは」
「きっとお知り合いのかたなのでしょうね。でも、たとえお知り合いのかたでも男の人と出かけるのはどうでしょうか」
 藤崎シスターは三生の顔をじっと見ている。
「三生ちゃんにこんなことを注意するなんて思ってもみなかったわ」
「おばさま……すみません」
 三生は小柄なシスターに申し訳なさそうに謝った。
 正確にはおば、ではなくてシスターは父の順三のいとこだった。三生がこの嶺南学院へ入学したのもこの人がシスターだったことが大きい。シスターは三生の母のことも知っている。

「お父さんは知っているの? その人のこと」
「……はい」
 シスターに嘘はつけなかったが、これではつきあっていると白状したようなものだ。教師でもある藤崎シスターはさすがに聞き方がうまい。三生が心の中で言い訳を探していると
「じゃあ、お父さんのお知り合いということで、ね」
 シスターは変な言い方だったがそう言ってくれた。
「最近は映画のほうもいろいろと騒がしいでしょう。何か困ったことがあったら言ってね。でも、しばらくは外出を控えたほうがいいですね。次の注意の時には私からではないので」
 次になにかあったら生活指導の先生から注意されるということだ。そうなれば処分を受けるかもしれない。
 三生はもう一度シスターに謝って部屋を出たが、あとはため息しか出なかった。

 世の中がクリスマスに浮かれる季節になっていたが 学校での生活は相変わらずで三生はシスターから注意を受けた以後、なかなか外出できないでいた。高宮とも会わないし、他の用事で出かけることも避けている。
 学校にいる限りは世間のことは無関係のように思えてくる。いろいろな出来事はテレビや新聞の中だけのことのようだ。自分のまわりからは遠いところにあるような芸能ニュースや映画の話題。 三生にはキャスリーン・グレイが来日するかどうかわからないままに日にちが過ぎていった。
 やがて2学期が終わり、クリスマス礼拝を済ませて生徒たちは短い冬休みを家で過ごすために帰っていった。三生は冬休みの間に高宮に会いたかったのだが、彼は仕事でヨーロッパへと行くと言う。 あっという間に年末年始が過ぎて3学期が始まってしまった。とうとう高宮とは会えなかった。

 1月の土曜日、久しぶりに三生は友達と買い物へ出かけた。美術部の友達につきあって大きな画材店へ行ったり、雑貨などの店を回って最後に洋服を買いに行き、わいわい言いながら友達たちと一緒に三生もジーンズや服を選んだ。 買い物が済んで学校へ戻ってくると寮の前に車が何台も停まっている。
「なんだろう?」
 今日子が立ち止まって言った。数人の人がいるのが見えた。
「あ、生徒さんですね。ちょっとお話し聞かせてください」
 いきなり女性の持ったマイクとカメラが突きつけられた。テレビで見るいわゆるリポーターのようだった。
「この学校に瑠璃さんっていますよね。彼女のお母さんのこと、ご存知でした?」
「あなたがたは何年生? 瑠璃さんの同級生?」
 しかし三生たちの誰かが何かを言う前に教頭先生の声が響いた。
「何ですか、あなたたちは。生徒に対してそんなことをするのはやめてください。お引き取り下さい!」
「さあ、あなたたち早く入りなさい」
 別の女の先生が三生たちを門の中へ急いで入れた。
「先生、なんですか? 瑠璃のお母さんって?」
 今日子が寮へ入りながら聞いたが
「黙って入りなさい。急いで」
 先生に制されてしまう。三生も顔を伏せて目立たないように友人たちにまぎれて寮へ急いだ。
 寮の中は先に帰ってきていた生徒たちからの情報でいっぱいだった。しばらくして今日子と亜美が三生の部屋へ来て仕入れてきた情報を教えてくれた。 学校に押しかけたリポーターたちはどういうわけか瑠璃の事を言っていたという。

 瑠璃さんのお母さんがアメリカの女優っていうのは本当ですか?
 瑠璃さんは今どこに? 瑠璃さんはこのことを知っているのですか? 瑠璃さんは……?

 やはり三生と瑠璃(尋香)が入れ替わっている。三生は黙って聞いていた。
「変だよね。尋香のお母さんってモダンダンサーのユキエ・サエグサだよね。女優もやってた?」
「今、尋香はどこに?」
 今日子と亜美が黙っている三生に尋ねる。
「東京だけど火曜日まで休むって学校へはちゃんと届けてあるよ」
 三生が答えた。
「何で?」
「写真集の撮影だって。だから尋香のお母さんのことはきっと誤解なのよ。調べればすぐにわかることなのに。レポーターの人たちもいい加減なんだよ」
 三生の落ち着いた言葉に今日子と亜美もうなずいた。しかしリポーターやテレビカメラを見た他の生徒たちはその話に盛り上がっている。まもなく寮長先生にぴしゃりと注意されるだろう。今日子と亜美も騒がないほうがいいねと言いながら自分の部屋へと戻っていった。

 三生はひとりになってからこのことを高宮へ言ったほうがいいのかどうか考えていた。尋香からT企画の社長を通して言ってもらったほうがいいのだろうか。単なる誤解だろうか。
 最初に会ったあの記者ははじめから三生を知っていた。三生とわかって接近して来ていた。どうして尋香と自分が入れ替わっているのか理由はわからなかったが、こんなことで瑠璃が騒がれたら瑠璃のイメージが悪くなるのではないかとだんだん心配になってきていた。 それに、もし瑠璃の彼氏のことに飛び火でもしたら……。あのアイドルグループの『シングル』のひとりなのだ。とんでもない騒ぎになる。

 三生は火曜日の夕方に帰ってきた尋香をうまくつかまえることができた。案の定、もう先生に事情を聞かれたという。
「でも先生方だって私の両親のことは知っているのだから事実と違うことはわかっているのよ。だから学校の方は大丈夫。リポーターや芸能記者たちには勝手にやらせておけばいいのよ」
「ごめん、迷惑かけてるよね」
 三生は金曜日が昼までの授業だったので午後は尋香と一緒にT企画へ行くことにした。若林社長に謝りたかったし、どういうことになっているのか知りたかったからだ。若林ならきっとその辺の事情を知っているだろう。

 金曜日の午後、尋香と一緒に学校を出ると学校の近くに若林が迎えに来ていた。
「高宮から言われたんだ」
 ふたりが車に乗ると言う。
「瑠璃と吉岡さんが来るなら迎えに行ってほしいってね。吉岡さん、高宮とつきあっているんだって? まあそれはいいんだけど、それより吉岡さんのお母さんの件、本当なの?」
「ご迷惑かけてすみません。なんだか……尋香が間違われているようで」
 三生が謝ると若林は笑い飛ばした。
「いいんだよ。それは勝手な誤解だから。君のせいでもないし。それより吉岡さん、それだったら思い切って女優でもしてみたら? もちろんうちの所属で。すごい話題性だよね」
「社長!」
 尋香が怒ったように言った。
「三生にはそんな気はないんです。それに高宮社長に怒られますよ!」
 あくまでもビジネスに徹している若林に三生は苦笑するしかなかった。 しかし若林の運転する車が渋谷のT企画のあるビルの前へ近づくと何人かの人だかりがしているのが目に入った。
「社長」
「まずい」
 尋香と三生は思わず顔を見合わせた。カメラマンがいる。芸能記者のような男たちも、テレビリポーターも。
 どうするのかと三生が聞こうとする間もなく若林は車を発進させた。人が車へ寄ってくる気配がしたが若林の車はすばやく発進していた。
「どうしたのかしら……」
「知りたかったらあいつらの前で車を降りるしかないなあ。でも何なのかわからずに騒がれるのは避けたい。仕方がない。裏の地下から入ろう」
 すぐに地下駐車場へ入る入り口へ向かう。入口の前にはカメラマンらしい男がひとりいたがビルの警備員が押さえている。行くしかない。
「先に俺が中から正面玄関へ出る。そっちに人が集まっている隙を見てオフィスへ上がるんだ。いいな瑠璃」
 尋香がうなずくと若林が車を出てエレベーターへ向かった。いつのまにか尋香の手には携帯電話が握られていて耳へあてていた。じっと聞いていたがしばらくして「社長、今から玄関へ出るって」と尋香が言う。若林と通話していたのか。
 尋香と三生は車の中から見回して誰もいそうになかったので思い切って車から出た。エレベーターホールへと飛び込む。うまいタイミングでエレベーターの扉が開いて瑠璃のマネジャーの菊池が飛び出してきた。
「ああ、よかった。今、迎えに行くところだったんですよ」

 三生と尋香はオフィスの打ち合わせデスクのイスへ座りこんでいた。
 詳しいことがわからなかった。相変わらず瑠璃がキャスリーンの娘だと間違われているのだろうか? そんなこといつまでも続くのがおかしいのに。
 ふたりが待っているとようやく若林が上がってきた。むずかしい顔をしている。
「何だったんですか? わたしのことですか?」
 三生が尋ねた。
「う……ん、いや、まだ連中瑠璃をキャスリーンの娘と思っているらしい。でも今、違うってことを言ってきた。マスコミ各社へもファックスを送る。これは高宮の指示だ」
「高宮社長は何て?」
 三生が聞きたいところをすかさず尋香が尋ねた。
「瑠璃はキャスリーンの娘ではないのだからそれを発表するのはいいんだが、じゃあ本当の娘は誰だってことになってしまう。このあと吉岡さんだってことがわかってしまうのは時間の問題だろうから、そうなったら一気に騒ぎになるだろうと言っていた」
「芸能人でもないわたしを取材したり写真を撮ったりできるんでしょうか?」
「顔以外を写したり、あとからモザイクをかけたり。一応はプライバシーに配慮するだろうけどね。だけど高宮はこれを待っていたとも言える」
 三生はわからなかったので黙って聞く。
「確かに君の言うとおり君は芸能人じゃあない。未成年の高校生だ。少しでもマスコミが君に騒ぎはじめたら正式に抗議をする。君のお父さんから抗議するのがいいんだが。テレビなら一般視聴者、雑誌なら読者から抗議があればもっといい。 最近は行き過ぎた取材に対して世の中の意見も厳しい。そこらへんを高宮は手を打っているよ。たぶんいろんな根回しも」
「でも、スクープ雑誌のほうは最初からわたしとわかっているんです。そっちはどうするんでしょうか」
 三生は何も高宮から聞いていない。若林に尋ねるしかなかった。
「それは俺も聞いていない。たしかに彼らはテレビなんかとは関係なく喰いついてきている。でも雑誌っていうのは広告が多いだろう。どんな小さな雑誌でもだ。俺が思うに高宮はそっちから手をまわしているんじゃないかな。 彼は広告に関してはプロだ。それに……彼の伯父さんは国会議員だ。いろいろ方法があるんだよ」
 三生は何も言わなかった。
 何だか怖くなってきていた。ことがどんどん大きくなっている気もしたし、高宮の伯父が政治家というのも初めて聞いた。若林と尋香の手前、三生はそれを顔に表さないようにするのが精一杯だった。

「この後はマスコミの出方次第だ。ビルの前にいた連中には引き取ってもらったけれどまだその辺にいるだろう。マスコミがあきらめるにはもう少し時間が必要だろう。どうする? 吉岡さん」
「はい……わたしは今日から日曜日まで家へ帰るつもりで学校へも届けてありますから家へ帰ります。とにかく父に会わないと。若林さん、ほんとうに申し訳ありません。でも助かりました」
「三生、もう少し様子を見たほうがいいんじゃないの」
「そう……もう少しね。ごめんね、尋香。あなた仕事なのに」
「いいのよ。社長は高宮さんへ連絡すると言っているし。ね、待っていたら?」
「うん……」
 しかし高宮はいつ来られるのだろう。三生は自分がここにいる限りはマスコミも帰らないだろうという気がしてきた。
 高宮は三生には何も言ってはくれなかった。彼を信頼していたけれど自分のために無理をしているのではないか、 何か強引に事を運んだりしていないか、それが心配だった。
 自分のことなのに自分では何もできないもどかしさも感じられて三生は落ち着かない気持ちで待ち続けた。


2007.10.01掲載

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