彼方の空 6

彼方の空

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『タクミ?』
『あ、すみません。もう一度』
 拓海はジェフの言ったことを聞き逃してしまったが、ジェフは嫌な顔もせずに質問を繰り返した。
『来週の上映フェスティバルの会場は渋谷だそうだけど、そこはここから近い?』
 拓海がジェフの滞在しているホテルは池袋だから渋谷は近いと答えるのを聞いてジェフは笑顔になった。
『タクミにガイドを頼んだりして悪かったかな』
『いいえ。そんなことありません。僕も楽しいです。僕は今年はフェスティバルに参加できなかったので』
 ジェフはその理由も特に尋ねようとはしなかった。映画は短いものでもコンスタントに作製することは難しい。学生であれば作品の内容だけでなく資金面からみても大変なことはジェフも知っている。
 ジェフリー・レイエスは日本ではほとんど知られていなかったが、ドキュメンタリー映画の監督としてショートフィルムから認められてきた監督だった。ジェフはまだ40歳になったばかりだったが、来週から東京で開催されるトーキョー・ショートフィルム・フェスティバルの インターナショナル部門での受賞歴があり、今年は審査員としての参加だと言っていた。拓海は彼の作った人権がテーマの映画を見たことがあったが、切りこむような映画の印象とは違い、人懐こい気安さもある男だった。
 拓海は昨年のフェスティバルの学生部門に出品して部門賞を受賞していたがジェフとは面識がなく、東京へ来るというジェフからいきなり連絡をもらったときには驚いた。フェスティバルの前に来日したジェフから拓海の大学を見たいなどと言われて案内していた。
『今回はプライベートの旅行も兼ねているんだ。でも新婚旅行なのにワイフは“お忍び”がいいって言うんだ』
 ジェフは「お忍び」というところだけ日本語で言った。
『お忍びなんですか』
 ワイフは買い物や観光に行っていて僕は仕事さ、とジェフは言うが、それはお忍びとは言わない。拓海はそう思ったが、ジェフが言うとおり彼が妻と一緒にいるところは見たことがない。

『ところで』
 ジェフが腕を組んで考えているような素振りをした。
『君の大学で会った女の子、二人連れの』
 ジェフが言っているのが三生と美和のことだとすぐにわかった。
『背の高いほうの子は君の友人? 紹介してもらえなかったね』
『新婚旅行でしょう?』
『変な意味じゃないよ。もう一度彼女と会いたいんだが』
 暗に牽制したつもりがあっさりと否定された。
『上映フェスティバルへ誘ってくれるかな。これは僕からの依頼だよ』



 ジェフにそう言われて三生を誘うつもりだった。
 三生のいるはずのゼミの教室へ向かう。何人かの学生に続いて最後に部屋のドアを閉めながら美和が出てきたが三生の姿はなかった。
「……吉岡さんは?」
「高宮さんでしょ。三生なら先に出て行ったわよ。用があるって」
 美和に尋ねるとじっと見られたが。
「これ、渡してくれないか。中田さんのぶんもあるから」
「なに? 映画のチケット?」
 拓海の差し出した2枚のチケットを美和が見たが、受け取らずにすぐに顔を上げた。
「誘うなら直接誘ったら。三生は行かないと思うけど」
「誘っているのは俺じゃない。頼まれただけだ」
「えー、どういうこと? 沢田君でなければ誰?」
「このまえ俺が案内していた外人に頼まれたんだ。彼はアメリカのドキュメンタリー映画の監督で、頼まれて大学を案内していた。来週の金曜日にショートフィルムの映画を集めた上映会があるから友達を誘って来てほしいって言ってる」
「金曜日。でもその日は三生にはわたしの姉の華道展へ来てもらう約束だけど」
「華道展?」
 拓海が眉を寄せた。華道展というものを知らないらしい。
「生け花の展示会よ。銀座のデパートでやるの。三生のご主人も一緒に来ることになっているから、だから三生もわたしも駄目なの。それに」
「じゃあ自分で渡す」
「あ! ちょっと、沢田君!」
 美和の声を無視するように離れ走り出した。建物の外へ出て走りながら見回して三生の後ろ姿を見つけて近づいたが、三生は男と話していた。
 ……誰だ?
 それがCMクリエーターの宮沢直人と気がつくのと同時に三生がなにかを言ってその場を離れた。足早に歩く三生を追って通用門の近くで追いつくと強引に前へ回り込んだ。唐突に言葉が出た。
「さっき話していたのは宮沢直人だろう? なにを話していた?」
 驚いた三生の顔。
「宮沢直人を知っているのか」

 心臓がどくどくと波打つ。
 宮沢は最近はCMや広告から映画をやっているらしい。来週のショートフィルム・フェスティバルへも出品していると聞いた。
 なぜ、その宮沢直人と話していた。なぜ、宮沢直人を知っている?

「……どいて」
 三生の表情が驚きから怒ったように変わる。でもかまわなかった。自分の言いかたが強引で高飛車でも。けれどもそれをはね返すような三生の視線、怒っている表情を見て感情が逆立つ。

 この目。
 この視線。

 三生が身をかわして拓海から離れる。まるで三生から射すくめられたように動けなかった。



 …………
 あの広告を見たときから。
 モデルに惹きつけられていた。

 たった一枚の広告写真なのに。
 雑誌だけでなくポスターなどもないかと探してみたが、それらは見つけられなかった。雑誌の広告として狙いを絞った広告だったらしく、たった一回の掲載だった。まるで広告の意図したところのようにモデルの視線に囚われ、知らないあいだに浸食されてしまっているかのようだった。
 あのモデル。
 どこの誰ともわからない。問い合わせをしてもなんの手がかりも教えてもらえない。けれどもこの世界にはいる。いつか映画を作り、あのモデルを探し出したい。
 昨年のフェスティバルで入賞したことも拓海には自信になった。いつの日にか、いや、あのモデルを探し出す過程を撮ってもいいんじゃないか。あのモデルが誰かということを。
 しかしそう簡単に探し出せるわけがない。今年は企画の段階から仲間と揉めてうまくいかず、フェスティバルへは参加すらできなかった。どこの誰ともわからない女を探し出すなんて、まったく先のわからない拓海の企画に仲間たちが乗るわけがない。
「探せるかどうかわからない前提で作るなんて、そういう企画は学生には無理だよ。時間的にも」
「絶対に見つける」
「おまえの思い込みはいいけど見つからなかったらどうするつもり。おまえはどうしたいってわけ?」
 映像研究会の仲間からはそう言われた。

 なんとでも言え。
 おまえらにはわからないんだ。



「沢田君!」
 美和が追いついてきた。しかし彼女を押しのけるように沢田は三生が話していた男のもとへ向かった。
「宮沢先輩、三年の沢田拓海といいます。映像研究会の部長をしています。突然ですみません。俺と組んでもらえませんか」


2010.12.25

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