夜の雨 29


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 どうしてこんなに寒いのだろう……。

 冷たい水で何度も糸を洗っていると手が冷え切って痛いような感覚だけになってしまう。
 糸や布地を染めるときは最初から最後まで水洗いがつきものだ。染める前に汚れや糊を落とすために洗い、そして染めを重ねるたびに洗われ、染め上がれば仕上げに洗う。どんなに微妙な色を染めてもこの作業は省くことはできない。余分な染料を落としてしっかりと染まった糸にするためには必要な事だとわかっていても寒い時期の水仕事は辛い。洗う作業をして体を動かしているのにゴム手袋をしている手は冷たく強張ってしまう。
 けれどもどんなに水が冷たくても、あるいは熱湯を使う作業でも怜秀(れいしゅう)先生は決して作業の手を抜かない。先生のお歳でこういう作業を続けられるのは大変なはずなのに黙々と作業を続けている。先生の手によって秋のうちに採取しておいたススキの葉やクチナシの実などを煮出した液に浸された糸が媒染剤につけられて色を変える様は何度見ても息を飲む。そして先生の中ではいろいろな色に染められた糸をどんなふうに織り上げるのかちゃんと組み立てられているのだ。まだそこまではできないわたしは必死で先生をお手伝いするしかない。そして空いている時間はすべて自分の勉強のために先生から教わったことを繰り返していた。
「希和さん、今日はこれくらいにしておきまひょ」
 先生は無理をされてもいけないので暗くなる前に仕事を終えられる。あとはわたしが後片付けをするが12月の冬の空はすぐに暮れて、洗い物をするための外流しには冷たい風が吹いていた。

 この土地が特別に寒いわけじゃない。
 それでも刷毛や計量カップなどの道具類や大小いくつものステンレスやホーローの容器を洗い終えて水を切る頃には手だけではなく体も冷え切ってしまう。コンクリートの床から伝わってくる冷たさに長靴をはいている足先がじんじんと震えている。
 冷たくて、でも最後まで片付けなければならない。
 寒さのせいだけじゃない、胸の奥が詰るような感覚にため息をついてしまいそうになるのを息を止めてやり過ごした。こうして何度ため息をこらえたか。怜秀先生がいるときには決してため息などできないけれど、ひとりになると知らないうちにため息をついてしまいそうになる。
 気を取り直して手にふうっと息を吐きかけながら灯りのついている母屋へ戻ると帰ってきたばかりの八重子先生が台所で夕食の支度にとりかかっていた。
「あ、先生、お帰りなさいませ」
「遅くなってしもたわ」
 大学の教授とご自分の染織の研究所を主宰されている八重子先生はお忙しく、怜秀先生はご自分で家事もなさるがなにぶん高齢なのでわたしはいつも家事を手伝っている。急いでエプロンをつけて八重子先生を手伝って夕食の支度をすると、怜秀先生を囲んであたたかなお夕飯を共にした。食事にしても家事にしてもわたしにとっては祖母と一緒だと思えばなんの苦にもならない。

「今夜は冷えますなあ」
 怜秀先生が食後のお茶を飲みながら言った。
「ところで希和さん」
「はい」
 先生は湯呑を掌で包みながらわたしを見ていた。
「希和さん、年末年始はどへんするの」
 ここへ来て、もうふた月になる。あと半月もすれば新年だ。
「お家の都合もあるでっしゃろ。帰ってもええのよ」
 先生はそう言ってくださったが、帰っても誰もいない……。
「あの、ご迷惑でなければここにいさせてもらってもいいでしょうか」
「それはかまいまへんが」
 半年の研修という予定でここにいさせてもらっている。できれば弟子としてここで働きながら学びたいと思ったが、怜秀先生はもう歳だから弟子は取らない、あんたは研修や、と言って弟子にはしてくれなかった。それでも教えることは同じだと言われて半年は勉強させてもらうようにお願いしたのだ。
「希和さん、私はべつにかまへんよ。家のことまで手伝ってもらってありがたいくらいやしね」
 八重子先生がそう言ってくださったからか、怜秀先生もそれ以上はなにもおっしゃらなかった。

 その夜、わたしが寝起きさせてもらっている部屋で昼間の染めの手順やデータなどを自分なりに整理するために折りたたみの小さな机に向かっていた。窓を揺らす風のかすかな音が聞こえてくるほど静かだ。山を背にした開けたところにあるこの家のまわりには何軒かの家もあったが、夜は怖いくらい静かになる。
 この部屋は本来なら弟子や研修生は工房の二階にある部屋に寝泊まりするのだが、工房でひとりでは寒いだろうからと怜秀先生が母屋で寝るように勧めてくれたのだ。
 怜秀先生も八重子先生もわたしのことを心配してくださっている。多くは言わないし、突っ込んで聞かれたこともないけれど、おふたりは秋孝さんのことを知っている。おそらくは八重子先生の大学の仕事を通じて聞かれたのかもしれない。秋孝さんがニューヨークで野田先生の展覧会が始まる直前に大勢の人やマスコミの前で日本人女性に平手打ちをしてしまったことを、そしてその後、野田先生の展覧会の仕事からは離れたということも知っている。

 野田先生が亡くなられたことを知らせてくださったのは八重子先生だった。八重子先生は京都の大学で教授をされているから野田先生のこともご存じで、以前野田先生のいる美術大学に勤めていたこともあったそうだ。秋孝さんの仕事のことは怜秀先生から聞いていたらしく、野田先生の葬儀には怜秀先生に代わって行かれるということだった。秋孝さんがあんなことになって、ひとりではとても野田先生の奥様と顔を会わせることはできないと思っていたけれど八重子先生と一緒に行かせてもらうようにお願いして、 せめてお詫びだけでもとありったけの気力を振り絞って野田先生の葬儀に向かった。斎場に着いてもわたしなどが葬儀に伺ってもよいものかどうか迷って中へ入れなかったが、八重子先生の助けもあって奥様は斎場の控室にわたしを入れてくださってお話しすることができた。奥様は秋孝さんのことには触れず、むしろわたしのことを思いやってくださったのが申し訳なくて本当に消え入りたいほどだった。だれもわたしを永瀬秋孝の妻と知らなかったけれど、八重子先生が一緒でなかったらわたしは逃げ帰っていたかもしれない。
 それにもしかしたら秋孝さんも葬儀に来るのでは、と思っていたのに秋孝さんは来なかった。わたしから野田先生が亡くなったことだけはメールで知らせておいたが、そのときにかかってきた秋孝さんからの電話にわたしは出ることができなかった。

 時折聞こえてくる風の音しかしないほど静かな部屋の中でため息をついた。ひとりだからつけるため息だった。いつのまにか時間が経っていて、怜秀先生のお部屋も八重子先生のお部屋も静かだ。
 小さなヒーターがあるだけの部屋の中で冷えてしまった足先を手で擦る。布団の上に座り直して毛布と布団に包まるようにして丸まりながら足を暖めようとしたが、なかなか温まらない。部屋の寒さでもなく、体の寒さだけでもなく、なにかが寒い。胸の奥が、心の奥底が冷たく固まっているように寒い。
 ひとりの部屋はありがたかったが、ひとりでいるときにはいつのまにか同じことを考えてしまう。沸き上がる悲しい気持ちを飲み込むために口を押さえるしかない。

 ――帰ってきてほしかったのに。

 秋孝さんはお母さんが余命いくばくもないと知らせても帰って来てくれなかった。
 秋孝さんがなぜあれほどまでに頑なに家族のことを拒否するのか、その理由を知ってからも、もしかしたら帰ってきてくれるかもしれないと思っていた。もしかしたら間に合ううちに帰ってきてくれるかもしれないと。
 でも秋孝さんは帰って来なかった……。

 わたしは彼にとっていったいなんだったのだろう。
 いつも頭から離れない問いだったけれど、いくら考えてもわたしでは答えは出せない。
 たとえすべてではなくても心通いあう部分があれば夫婦でいられると思っていたのに、彼にとってわたしは妻ではなかったのかもしれない。
 夫婦なのだとわたしだけが思いこんで、秋孝さんと結婚できたことを体でも感じられたと思ったこともあるのに、体を合わせることも日本に帰ってきたときに生活を共にすることも彼にはさほど重要な事ではなかったのかもしれない。
 わたしはただの都合のいい留守番役だっただけなのだろうか……。





 次の日の朝は目が赤くなってしまっていたのが怜秀先生に気がつかれてしまったかもしれないが、先生はちらとわたしの顔を見たけれどなにも言わず続きの作業に取り掛かっていた。
 糸が染め上がるまで、そしてそれを機にかけて織るまでにはまだいくつもの工程を経なければならない。先生は絵羽で仕立てられた着物として出来上がったときのデザインを考えられて染めと織りをされるので、一枚の着物が出来上がるまでには多くの時間と手間がかかる。先生を手伝い、先生の手元を見つめるときは気が抜けない厳しい時間だったがひたすら先生を手伝っているときは不思議に心が静まる。ほかのことを考えている暇はないのだ。
 そんな繰り返しの日が続き、年末が近づいてきた夜のことだった。

「希和さん、起きてますか」
 障子の向こうから聞こえてきた怜秀先生の声に驚いて飛び起きた。自分の部屋でいつものように昼間にやったことを整理してノートに書いていたのにいつのまにかうとうとしてしまっていたらしい。
「あ、はい」
 立ち上がってすぐに障子を開けると寝巻の上にウールの羽織を着た怜秀先生が立っていた。
「先生、なにか」
「休んでいるところ悪いけどな、ちょっと玄関の外を見てくれまへんか」
 先生はいつもと変わらずにそう言われたので廊下の向こうの玄関のほうを見た。
「外ですか。はい」
 今夜は風もなく、なんだろうかと思いながら玄関のたたきへ降りたが、戸の鍵を開けようとして気がついた。誰か人が外に立っている。思わず怜秀先生を振り返ると先生は玄関の廊下のところからじっとわたしを見ていた。
「開けておやりなさい」
 怜秀先生の声に鍵を開けたが、指が震えていた。鈍い音をたてて玄関の引き戸を開けるとそこには秋孝さんが立っていた。


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