夜の雨 19


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 京都へ行った秋孝さんはやはり家には帰ってこなかった。関西空港からアメリカへ戻るという連絡のメールが来ただけだった。

 緑が濃くなってすっかり初夏らしくなった庭をしばらく留守にしても大丈夫なように手入れをしてから翌日、滋賀にある峰田怜秀(れいしゅう)先生のご自宅でもある工房へ向かった。先生は京都出身だったが琵琶湖の近くに工房を構えてもう何十年とそこに住んでいる。
 今回は研修ということで二週間の予定で勉強させてもらうことになっていたが、わたしは弟子入りしているわけでも先生が講座を持っている大学の学生でもないのにいいのだろうかと少し不安だった。祖母が先生の仕事をしていたとはいえ、わたし自身は先生と会うのも初めてだ。でも電話で話した先生のおっとりとしたやさしい声を思い出して不安を振り払うように新幹線へ乗った。
 家を留守にしているあいだに秋孝さんから連絡があったらどうしようかという不安もあった。この前みたいに急に帰国してきたらと思うとやはり二週間も家を空けるのはためらわれたが、悩みながらもわたしは出かけた。今を逃したらもう先生に教えてもらうことはないかもしれない。そんな思いもあったからだ。

 迎えてくださった怜秀先生は確か八十歳近い歳なのにとてもお若く見えた。雑誌で自作の着物を着られている写真を見たことがあったが、普段着の先生はズボンと和服の引っ張りという上着を着ていた。
「よう来やはりましたね」
 そう言ってくださった先生は白髪混じりの髪で祖母と似たような短い髪型だった。わたしは緊張で挨拶をするだけで精一杯だったが先生はにこやかに笑っていて偉ぶったところもなくて、とてもこの先生が有名な染織家とは思えない。けれども先生は長い創作活動のうえで伝統工芸の多くの賞を受賞していて染織の世界の女性では第一人者でもあった。
「今、娘が出かけておるので戻ってきたらまた詳しくお話しさせますわ。近頃はわたしも歳やので
大学の仕事のほうはみんな娘に任せております。新しい弟子ももう取らへんしね。今はほかに誰もおりません」
 お弟子さんもいないと聞いてちょっと慌ててしまった。もしかしてわたしは押しかけのように来てしまったのだろうか。
「そないに気をつかわなくてもええよ。わたしも今は気ままな隠居みたいなもんや。希和さんには雑用を頼むかもしれへんけれど、あんたは年寄りには慣れとるやろうからよろしう頼みます」
「いえ、よろしくお願いします」
 雑用くらいなんでもない。先生に教えてもらえるのならたとえ二週間が全部雑用でもかまわないくらいだった。深々とお辞儀をした。

 先生の娘さん、といっても娘の八重子さんは六十歳くらいのかたでわたしには母親のような年齢の人だったが、八重子さんは京都の美大の教授をされている。お忙しい八重子さんとは対照的に怜秀先生の日常は工房に籠っての作業だった。
 先生とふたりだけの工房で直接教えていただけるのは夢のようだったが、わたしは織りはやってきたもの染めはほとんどやったことがなく、まるで初心者だった。祖母が先生の仕事をしていたという伝手がなければとても教えてはもらえなかっただろう。

 先生に指示を出されるままに物を運んだり、水を汲んでお湯を沸かしたりする仕事のほかは片づけや掃除などだったが、先生はご自分でなさる染めの作業をそばにいるわたしに見せてくれた。
 作業をされる先生の手によって染まっていく糸にじっと見入っていた。いろいろな植物から採った色が糸へ移されて、どの色もなに色と言い表すのが難しい微妙な色合いだった。いつかわたしも自分で染めた糸で織ってみたい。工房の練習用に備えられている機(はた)で織りながらその思いが強くなっていた。先生はしばらくわたしが織るのを見ていたが、そのまま続けてと言った。慣れない機で手元を先生に見られながら織るのはやはり緊張する。それでも一心に織っていると先生は機のそばに置いてあった椅子に腰をおろした。
「あの、先生、お疲れですか」
 声をかけると先生はきれいな笑いじわの顔で答えられた。
「そうではおまへん。希和さん、そうしとるとお母さんによく似とるなあと思いましてな。そっくりやわ」
「え……?」
「美佐さん。あんたのお母さんもここへ来たことがあるのよ」
 先生の言葉に思わず手が止まった。
 初耳だった。祖母はそんなこと一度も話してくれたことはなかった。母も染織をしていたなんて……。
「いっぺんだけやけどね。お母さん、それからすぐに結婚されたさかい」
 祖母は母のことを話してくれたが、母がどんな仕事をしていたのか、そういえば聞いたことがなかったと今更ながら気がついた。
「美佐さん、また来てくれると思っとったけれど、来たのはあんたや。ずいぶん長いことかかりましたなあ」
 しみじみとおっしゃる先生はなにかを懐かしむようなお顔だった。わたしの母を懐かしんでくれているのだろうか。写真の顔しか覚えていない母を。
 先生の穏やかな顔を見ながらじんわりと胸に込み上げてくるものを感じてなにも言えなかった。


 二週間の研修期間はあっというまに過ぎていった。研修だけでなく毎日の食事の支度なども先生をお手伝いした。わたしには関西のお料理はよくわからなかったが先生は丁寧に教えてくださり、まるで祖母と一緒に台所に立っているようで、二週間が終わる頃には台所仕事にもすっかり慣れていた。
「そうしとるとほんまの孫みたいやね」
 八重子先生にもそう言われてしまった。わたしが家事を手伝うので八重子先生も助かると言って喜んでくださった。旅行以外で関西にいるのも初めてだったし、先生のお宅なのになんだかここにいるととても穏やかな気持ちになれたのにはわたし自身が密かに驚いていた。

 研修も明日まで、という日になって先生に来客があったが、先生のお客なのでわたしは工房のほうで織りをしていた。玄関を入ってきたのが見えた女性は六十歳くらいで八重子先生と同じくらいの年代だったが、わたしがお辞儀をするとそのかたも丁寧に返してくれた。すぐに先生が客間に案内されたが、お茶は先生が自分で出すからとあらかじめ言われていたのでそのまま織りを続けていたのだが一時間くらい経った頃だろうか、先生の声に呼ばれた。
「希和さん、ちょい手、休まりますか。こっちへ来てくださいな」
「はい」
 客間に行って失礼しますと声をかけると先ほどのお客の女性が先生とテーブルを挟んで座っていた。
「希和さん、ええ機会やのでこの人を紹介しておこう思いましてな。こちらは野田君子さんゆうて
わたしの一番最初の弟子やった人や」
 えっと心の中で息を飲んだ。先生の一番弟子といえば大先輩にあたる。いや、大先輩どころではない。そんな人に紹介してもらえるなんて。
「先生はもうお弟子さんは取らないとおっしゃっていたのにお若いかたが工房にいるからどんなかたかと思ったの。織りをされていた坂井さんのお孫さんですってね」
 野田さんに話しかけられてあわてて挨拶をした。野田さんも祖母を知っていた。
「あ、はい。永瀬希和と申します。まだ勉強中の身ですが、よろしくお願いします」
「……永瀬さん?」
 野田さんがちょっと小首を傾げるようにわたしを見ていた。
「この人、結婚しとるのよ。ご主人はアメリカでお仕事しとるそうだけど」
 峰田先生がそう言うと野田さんの表情がぱっと変わった。
「永瀬さん、失礼だけど、もしかしたら永瀬秋孝さんの?」
 秋孝さんの名前を言われ、あっと思いついた。京都にいる画家の野田慎二先生、野田先生。
 わたしの驚いた顔を見た野田さんが頷くように微笑んだ。
「まあ、やっぱり。永瀬さんの奥様だったのね。野田慎二の家内です。峰田先生のところでお会いできるなんて奇遇ですね」
「あの、しゅ……主人がお世話になっています。今までご挨拶もできずに申し訳ありません」
 わたしったら『主人』とすらすらと言えない。それにこんな挨拶でいいのだろうか。
「いいえ、こちらこそ永瀬さんにはいろいろと力を尽くしてもらって。お会いできてうれしいわ」
「おや、あんたたちは知り合いやったの」
 わたしほどには驚いていない峰田先生に野田さんは「希和さんのご主人が今度のアメリカでの野田の展覧会の準備をしてくださっているかたですよ」とわかりやすく答えられた。
「おや、まあ……」
 先生の、驚きだけでないどこか案じるような言葉の雰囲気にはっと思いだした。
「あの、失礼ですが、野田先生は、その後のご容体は……」
 先月、秋孝さんが急に帰国してお見舞いに行っている。あのときはかなり容体が悪いと言っていた。こんなことを峰田先生の前で尋ねていいものかどうか分からなかったが、野田先生の奥様は少し目を伏せて答えられた。
「そのことを峰田先生にもお話ししたところです。アメリカの永瀬さんはご存じだけど、主人はもう意識を取り戻すことは難しいらしいの。本当ならば今月からまた渡米して展覧会の準備に入る予定だったのだけれど、それもできなくなりました。いろいろとそんなことばかりで……、永瀬さんにはご迷惑かけてしまって申し訳ありませんね」
「そんな、迷惑だなんて。わたしは主人の仕事の詳しいことは知りませんが、主人もきっと野田先生のことを心配しています。そう……思います」
 野田先生の奥様がうっすらと微笑んだ。
「永瀬さんのことを良くおわかりになっているのね」
 わかっている? そんなことは……。
「永瀬さんがどんなかたと結婚されたのか、ずっと主人とも話していたけれど希和さんのようなかたで良かったわ」
 それは奥様の買いかぶりかもしれない。わたしはそんなに……と思ったが、今はそんなことは言えなかった。

 野田先生の奥様はそれからすぐに帰られた。わざわざ玄関から出られた峰田先生の後ろに付いて見送りをしたが、奥様の後ろ姿はやはり元気なく見えた。
「あの人も大変や。アメリカでの展覧会のセレモニーでは私の染めた着物が着たい言うてくれたけどな……」
 先生がため息をつくように言った。
「しかたないわ。人の寿命はどうにもならへん」
 どうにもならへん……。
 奥様の姿が見えなくなっても、先生が家に入られても、しばらくそこから離れられなかった。

 野田先生が病気なら展覧会はどうなるのだろうか。意識がないなんて大変なことなのに、わたしは奥様を励ますこともできなかった。
 仕事のことはわたしにはどうすることもできないけれど、秋孝さんは……。

 偶然にも会うことができた野田先生の奥様だったが、いろいろな思いでわたしは研修を終えて家に戻った。


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