夜の雨 17


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 帰る香那さんを駅まで送り、戻ってくると機(はた)の前に座った。祖母が使っていた機の茶色の木部をそっと手でなでた。それはわたしにとって心を落ちつけるおまじないだった。

 香那さんが言ったことにすぐには答えられなかったが、なんとか肯定の返事をすると香那さんはなにか感じたのか、それ以上そのことには触れなかった。
 香那さんが言ったことが間違っていたわけじゃない。秋孝さんと結婚してアメリカへ行ったら織物の仕事をすることはできないだろう。秋孝さんが許してくれるかどうかというよりも日本以外ではできない仕事だと思ったからだ。これだけは、と思って結婚しても日本に住みたいと言って秋孝さんも認めてくれた。

 機の木部をなでながらため息が出た。
 わたしは考えていてもそれが言葉になって出てこない。特に自分のことになると。

 香那さんに返事ができなかったのは、秋孝さんに仕事をすることをまだ話してないからだ。自分でもわかっている。
 秋孝さんは日本に住むことも、仕事をすることも許して、いや、かまわないと言っているのに。
 結婚してからもわたしは秋孝さんに気軽に話ができない部分がある。それは秋孝さんのせいなのか、自分のせいなのか、たぶん両方かもしれない。



 祖母はよく言っていた。
 いまは織りの仕事だけで食べていくのは大変だよと。わたしだっておじいさんが働いてくれていたからこの仕事が続けてこられた。おまえがやりたいのならそれはいいけれど、わたしから同じ仕事をしてほしいとかそういうことは言わないよ。
 その言葉通り祖母はわたしに機織りを教えてはくれたが、仕事にしろとは言わなかった。むしろ両親もいないわたしが就職して手堅い職を得たことをとても喜んでくれた。でもわたしは会社勤めをしながら時間を見つけては織りを続けていた。黙々と続ける作業がわたしには合っていると思ったし、好きだった。
 クラフト市を手伝ったのも工芸に携わる人たちの手伝いになればと思い、そして村上さんにも誰にも言ったことはなかったが、いつか自分も織りを仕事としたいと思っていたからだ。

 秋孝さんに結婚を申し込まれたときに言えばよかったんだ。織りの仕事をしたいから、だから日本に住みたいと。でもほんとうにできるかどうかわからなかったから、自信がなくて仕事のことは言えなかった。
 そしてわたしは秋孝さんとの結婚にも自信がなかったのかもしれない。
 地味で無口なわたしを秋孝さんが選んでくれたのだということ自体が、まだわたしには信じ切れていなかったのかもしれない。

 シャツについていた紅い跡。
 気にすまいと、秋孝さんはやましいことはしていないと言ったのだから、信じようと思ったのに、心の隅から消えないでいる。
 秋孝さんだって飲みに行くことだってあるだろうと思う。そういうときにあの紅い跡がついたのかもしれない。だけど秋孝さんはやましいことはしていないと言って、それを証明するかのようにわたしを抱いたけれど、なにも説明はしてくれなかった。そしてわたしも聞けなかった。
 両親が亡くなっていたせいか、わたしは自分のことや家族のことを尋ねられるのが苦手だ。自分のことを言うときの言いにくさが嫌だった。だから自分のことを言わない代わりにほかの人のことも自分から聞いたりすることはほとんどなかった。
 秋孝さんのことも秋孝さんが話してくれたことしか知らない。そして彼が話してくれたことが少ないと気が付いていたのに聞けないままだった。そんなの良くない。そんな気持ちがあったのに。

 離れて住んでいても、夫婦なのだから。
 仕事をすることはメールで知らせておこう。秋孝さんは仕事をしたいのならしてもいいと言っていたのだから、きっと受け入れてくれる。
 パスポートも取っておくことにした。わたしがニューヨークに住まなくても、行くことはできる。それに秋孝さんが病気とか事故とか、そういうことはあってほしくはないけれど、絶対にそういうことがないとは言いきれない。
 そして秋孝さんが帰ってきたら機(はた)を見せて、こういう仕事をしていると詳しく説明しよう。きっと秋孝さんは静かに聞いてくれるはずだ。
 祖母の織った布を「趣がある」と言ってくれた秋孝さんなら、きっと……。








 四月のクラフト市は盛況で来場者はこれまでで一番多いように見えた。
 香那さんが言った通りだ。とても人出が多い。きっとスタッフの人たちも忙しいだろう。
 このまえ遊びに来た香那さんにクラフト市にはぜひ来てくださいと言われて約束していた。スタッフとしては手伝えないけれど久々のクラフト市は楽しみだった。差し入れのパンやお菓子をたくさん持って東京のクラフト市会場へ向かった。

 クラフト市は大きな公園で行われていて、クラフト市会場に隣接する芝生広場のまわりにある桜並木はこのところの良い天気続きで桜の花はすでにほとんど散っていた。それでも親子連れがピクニックシートを広げていたり、桜の木の下をそぞろ歩く人も多く、暖かな気候がとてもクラフト市日和だった。
「やあ、希和さん。来てくれたんだ」
 わたしが本部のテントを尋ねると、村上さんは柔らかな笑顔で迎えてくれた。忙しいだろうけれど村上さんがなるべく本部にいてクラフト市全体の状況を把握していないと逆に困るということはわたしも知っている。主催者である村上さんが雑用で飛び回っているようでは運営としては駄目なのだ。
 村上さんが首にかけた連絡用のトランシーバーには会場スタッフから連絡が入るようになっているが、このときは静かだった。
「とてもお客さんの数が多いですね。ここへ来るまでに見てきましたけれど作家さんたちも忙しそうでした」
「うん、今年が一番出だしがいいね。あ、差し入れ? ありがとう。お、美味そう。後でいただくよ。そうだ、希和さん、香那を呼ぼうか?」
 村上さんがトランシーバーを持ちながら聞いてきた。香那さんも会場内で手伝っているということだ。
「いいえ、香那さんもお手伝いしているんですよね。わたしもこれからまた会場を見て回りますので、会えると思います。香那さんの携帯の番号も知っているし」

 村上さんの邪魔をしても悪いので、そうそうに本部を出て会場に戻った。今度は作家さんたちのブースをゆっくりとひとつひとつ丁寧に見て回った。
「希和さーん」
 オーガニックの綿で作った作品を並べている作家さんのブースを見ていると香那さんの声がして来場者のあいだを縫うようにして近付いてくるのが見えた。腕にスタッフの腕章をつけている。
「わあ、希和さん、来てくれたんですね。ありがとうございます!」
 約束したもの。いつもかわいい香那さんにこちらも笑顔になる。
「今回はとてもお客さんが多いね。こんなに多いの、初めて見た」
「はい、でもスタッフもみんな落ちついてますよ。まだ一日目ですけど、とてもスムーズにいってます」
「香那さんは明日も手伝うの?」
「はい、二日間がんばりますよー」
 生き生きと答えた香那さんと少しのあいだ一緒に会場を見て回った。今回初出店の藍染の小物を作っている作家さんのブースがあり、型染めのランチョンマットとコースターに仕立てたものをわたしが買ってから見ているとから香那さんが聞いてきた。
「希和さん、その後お仕事はいかがですか。希和さんが織りの仕事をすること、雅人さんにも話したら雅人さんとても興味を持ったみたいです。ね、希和さん、希和さんはクラフト市に出展するお気持ちはないですか。あったら、ぜひ」
 クラフト市へ出展。もちろんそれは考えたことはある。自分のオリジナルを作ってみたい、そういう気持ちがないわけではない。
「ありがとう。でも当分はまだ勉強をしたいと思っているの。なんといっても経験がものをいう仕事だから。あ、それから今度、峰田先生のところに研修に行かせてもらうことになったんだ。思い切って先生に伺ったら、いつでもとおっしゃってくださって」
「峰田先生の工房ですか。たしか先生は関西のほうにお住まいですよね」
 香那さんはやはり良く知っている。それともわたしと話してから調べたのだろうか。
 うなずいてわたしも答えた。
「琵琶湖の近くにお住まいと工房があって、お弟子さんも何人かいらっしゃるそうで、そんななかに行くのはちょっと自信がないんだけど」
「大丈夫ですよ。希和さんならきっと。どのくらいの期間行かれるんですか」
「えっと、まずは二週間ほど。まだ最初なので」
 ちょっと自信なさげになってしまったのが自分でも情けないけれど、香那さんはきれいな笑顔でにっこりと笑って励ましてくれた。
「希和さん、がんばっているんですね。陰ながら応援しています。じゃあクラフト市のことはすぐでなくても、いつか考えておいてくださいね」
 香那さんとはまた後で本部で会うことを約束して別れた。その後は知っている学生スタッフにも何人かから声を掛けられて、皆とてもいい顔をしていた。そしてなにより物作りをしている作家さんたちの作品を見ることはとても刺激になる。木工、金工、革、そして陶芸やガラス、工芸から手芸までいろいろなジャンルがあって小さなアクセサリーから家具のようなものまで、それぞれがすべてオリジナルのものが並べられている。作家さんと話をしたりすることもできるが、じっくりゆっくり見ても回れる。お店やギャラリーとも違う、ここは直に作り手と作品に出会える場所なのだ。

 香那さんがわたしの家に遊びに来てからこのひと月、ひたすら織っていた。いまのわたしにできることはそれしかない。
 それからずうずうしくも峰田先生に電話してしまった。もちろんすごく勇気がいったが、先生は祖母のことをとても良く思ってくださっていて、祖母が亡くなった時にはお悔みもいただいた。いきなり電話をして大家である先生と話すだけでも心臓が破裂しそうだったけれど先生は穏やかで優しい声で話してくださって、写真で見たことのあるご自分で染めた着物を着た姿を彷彿(ほうふつ)とさせるお声だった。そんな先生だけど大学にも講座を持っておられる。わたしのことを祖母から聞いていたと言われたときにはびっくりしたけれど、研修にと言ってくださった先生の言葉に甘えさせていただいた。
 とにかく今は織ろう。峰田先生のところに行くための勉強もしなければならない。ほとんど家から出ずに織ることや勉強をしていたが、今日はクラフト市へ来てよかったと思う。いろいろな刺激をもらえて、スタッフとしてとはまた別の意味で楽しめた。
 そして午後、わたしがまだクラフト市の会場にいるときだった。ふいに携帯電話が震えて秋孝さんからメールが入っていた。慌ててメールを読むと、今日の夕方に日本に着く、という知らせだった。


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