夜の雨 7


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「雪が降ってきた」
 秋孝さんはそう言いながら黒い革の手袋をはずしてコートを脱いだ。わたしがコートを受け取って掛けていると、あたたかい家の中にほっとしたような顔でリビングの椅子へ座った。あたりまえだけど、この人だって寒さを感じるのだ。
「元気だったか」
「はい」
 答えたわたしを秋孝さんは見ていた。わたしの顔を見上げている彼の顔は半年前よりも少し髪が長くなっているようだった。
「秋孝さんは」
 彼は答えなかった。少し首を傾げるようにした表情は否定でも肯定でもなく、答えるほどでもない、というような感じだった。そして立ち上がるとわたしの手を取って腕を回してきた。
 あまりにも素早く自然に、戸惑う間もなく抱き寄せられていた。秋孝さんの黒いタートルネックのセーターの首回りがひんやりとわたしの顔に冷たい。コートの襟から出ていた彼のセーターの襟や髪には外気の湿った冷たさが残っていた。体へ回された秋孝さんの腕に抱かれて、少しずつ彼の服の表面の冷たさがわたしに沁み込んでくる。日本のものとは少し違う服の匂いやセーターのニットの感触が頬に当たる。そしてセーターの下には彼の腕や体がある。
 そのとき、秋孝さんが座っていた椅子の脇に置いてあるものが黒いキャリーケースだということに気がついた。あまり大きくはないキャリーケースだったが、彼がこんなふうに荷物を持っているのを見たのは初めてだった。わたしがキャリーケースを見ているのに気がついたのか、秋孝さんが顔を離した。
「今度は少し長く居る」
 思わず顔をあげた。長く居るって……?
 そう聞こうとしたときに彼の唇が触れてきた。近付いた顔がわたしの視線を覆い、唇を開いていく。
「秋孝さん……、いつまで」
「あとで話す」
 やっと出た声は彼の唇でまた封じられてしまった。

 ――まだ夕方なのに。
 そう言うこともできず、あっというまに秋孝さんの手で服を脱がされてしまった。下着だけにされて、リビングほどに温かくない寝室の寒さに体が震えたが、秋孝さんは無造作といえるほどの手つきでわたしからすべてを取り去った。彼の肌が触れてくる。男の人の、表面は冷えていてもしっかりとした温かさを持っている肌が。
「寒いか」
 背中からベッドの冷たさが伝わってきて震えているわたしに秋孝さんが聞いた。うなずくだけで精一杯だったが、彼の体の下でわたしの肌に彼のあたたかさがじわじわと伝わってきていた。寒いのに、彼の引き締まった腹や胸が自分の肌に触れているのかと思うとそれだけで頬が熱くなる。胸の鼓動まで聞こえてしまいそうに鳴っているのに手足の先はまだ冷たい。動きたくても動くことができないでいると、また秋孝さんの唇がつけられてきた。唇を少し開くと舌が入ってきてさらに開かれていく。さっきよりももっと深い、遠慮のないキスだった。

 半年前、ニューヨークへ戻る前にひと晩中離されることなく抱かれて、くたくたになるほど何度も抱かれた。秋孝さんが出かけてしまってもすぐには立ち上がれなかったほどだ。
 あんなにも何度も抱かれるなんて。秋孝さんがわたしを。
 結婚したのだから当然といえば当然なのに、肌を合わすことも、ましてあんなにも何度も抱かれるということがわたしにはどこか信じられなかったのかもしれない。秋孝さんがわたしを求めてくれているということがまだ夢のように信じられなかった。

 絡めていた舌をすっと離されて秋孝さんの唇が首筋から胸へと下がっていく。唇で軽く触れられた胸の先端が痛いほどに尖っているのは寒さのせいだけじゃない。声が出てしまいそうになったのをなんとかこらえたが、わたしの胸の鼓動を見透かすように秋孝さんの手が動き始めた。
 彼の手にすっぽりと乳房を包まれて揉まれている。大きくはないふくらみなのに柔らかく形が変わるほどに揉まれて、胸の先を唇で挟むように吸われるたびに体の中が熱くなる。恥ずかしい。恥ずかしいのに。
 片手で胴を引き付けられ胸を吸い上げられながら、わたしの足は秋孝さんの体ともう一方の手で膝を押し広げられてしまっている。足を開かれているのにわたしの芯には彼の指は触れていない。触れられてはいないのに足を閉じることもできずに晒されたままで胸への愛撫が続けられている。恥ずかしくてたまらないのに、秋孝さんは黙って愛撫を続けている。

 吐き出される息が乱れていく。
 肌がこすれるたびに、秋孝さんの唇に乳首を含まれるたびに、喘ぎそうになる。暗く静かな寝室にわたしの息だけが響いている。
「あき……」
 声を出そうとすると乳首をきゅうっと強く吸い上げられて体が反ってしまったが、のけぞってしまっても胴を抱く腕から逃れられない。
「あき、たか、さん……」
 ようやく出た小さな声に秋孝さんが顔をあげた。でも、それ以上なにも言えない。言葉の出ないわたしを見ていた秋孝さんの顔がほんの少しだけ微笑んだように見えた。滅多に笑ったりしないのに、どうしてこの人はこんなときに微笑んだりできるのだろう。
 片足のひざを押し広げていた彼の手が動いて太ももの内側を柔らかく撫で始めた。足のあいだの開かれた部分に指が近付くたびに体の芯が震えているのに、彼の手は肌を往復するだけ。
何度かの往復に思わず首を振ってしまったわたしを彼がまた見ているのに気がついたそのとき、不意に彼が触れてきた。熱く溶けている潤みを内包している芯の中へ指を差し込まれた。
「あっ……」
 我慢していたのに声が出てしまった。喘ぎの声が。
「声を出したければ出せばいい」
 秋孝さんの低い声に言われて、行為の最中にはほとんど声を発しない彼に言われて、恥ずかしさが一気に頂点にきた。
 恥ずかしい。なぜだか、たまらなく。
 自分の体の芯から聞こえてくる濡れた音が、彼の指に湛えていた潤みが混ぜられている音が、たまらなく恥ずかしい。
 そしてそれを求めている自分がなによりも恥ずかしい……。




 家の外から時折、さらさらという木々の葉のこすれる音と屋根から落ちるしずくの音が聞こえる。夕方から降りだした雪は真っ暗になった家のまわりに間断なく降っているようだった。
「雪……」
「そうだな」
 顔をあげて窓のほうを見ようとしたら秋孝さんの腕に引き戻された。体温で温まったベッドの布団の中で素肌を触れ合わせてわたしたちは抱き合っていた。
「おなか空きませんか。パンがありますけど」
「いや、いい。時差のせいで眠いんだ。このまま寝かせてくれ」
 しばらくすると秋孝さんの呼吸が静かに繰り返され始めたので、そっと彼の体から離れた。眠りを邪魔しないように彼の体の脇へ横向きに寝て、規則正しい呼吸に耳を澄ませた。
 結婚を申し込まれてからもあまり会うこともできず、付き合いらしい付き合いもせずに結婚してしまったが、それでもやっといま、彼と結婚したのだと思えた。遅ればせながらの安堵するような気持ちだった。彼はわたしを好いてくれている。愛していると言われたことはなかったけれど、そしてわたしもまだ言葉にしたことはなかったけれど、でも、このときのわたしは、秋孝さんはわたしを好いてくれているのだと思っていた。
 秋孝さんはわたしを……、と。


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