夜の雨 3


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 寝室にある小さな机のところでいくつか仕事の関係先にメールをして部屋を出た。リビングへ戻ると、ちょうど家の裏で洗濯物を干し終えた希和が籠を持って勝手口から入ってくるところで、籠を置いてキッチンから出てきた。
「お仕事でしたか」
「仕事というほどじゃないよ。それよりベッドを注文しておいた。配達は二日後で、その日は俺は京都から帰ってくる日だけど、帰る時間はわからない。いいかな」
「はい、わたしはいつでも」
 窓の外は昨夜の雨などなかったかのような晴天で、今日も暑くなりそうだった。まだ八月になったばかりだから当分この暑さは続くだろう。希和はキッチンでまたなにかしていた。半袖のTシャツにエプロンをつけた希和は昨夜の名残りなどまったく感じさせなかった。俺よりも早く起き、朝食を作り、家事をしていた。 
 テレビは見る気がしなかったのでそのまま座って窓の外を見ていたらキッチンからコーヒーの香りが漂ってきた。希和がドリッパーでコーヒーを淹れていて、強い香りがカウンターを隔てたオープン式のキッチンからリビングまで満ちてきた。少しすると希和がコーヒーを運んできたが、砂糖もクリームもなく、カップもひとつだけだった。
「村上さんから結婚のお祝いをいただいたんです。あのミルとドリッパーと、豆も」
 そう言って希和がコーヒーを俺の前に置いた。
「村上か」
 村上というのは大学生のときからの友人で、希和も村上を知っている。日本へ帰ってきたときにたまに会うだけだが、それでも大学生時代から付き合いが続いている友人は村上ひとりだけだ。村上は一時期カフェをやっていたと聞いたことがあるからコーヒーには詳しいのだろう。そのカフェに俺は行ったことはなかったが。
「希和は?」
 飲まないのかと聞くと希和は「いえ、いただきます」と言った。
「この豆は秋孝さん向きだって村上さんが言ってました。わたしもいただきます」
 希和は立ちあがってキッチンへ戻ると自分のコーヒーと一緒に小さな焼き菓子もいくつか皿にのせて持ってきた。コーヒーをひと口飲むとかなり苦味が強く、日本のコーヒースタンドなどではちょっと見かけない味だった。希和が菓子を持ってくるわけだ、と考えながら皿の上の菓子を眺めていた。
「村上さんも先月結婚されたんですよ」
「それは知らなかったな」

 村上は今、アートや手工芸品のクラフト市を開く企画と開催事務局の運営をしている。俺がアメリカで関わるのはアートという括りのものがほとんどだが、村上が扱うのはもっと日常的な手工芸や、いろいろなクリエーターの作る作品を対象にしていた。そして希和は以前から村上の仕事を手伝っていたから、希和と初めて会ったのもそのクラフト市でだった。
 村上の開催するクラフト市は都内と東京近県で開かれるものが主で、希和の住んでいた市でも年に二回開かれる市があった。このクラフト市を希和は最初ボランティアで事務作業を手伝っていたそうで、後に勤めていた会社に許可をもらって契約スタッフになったのは、運営が軌道に乗ってきたことと、裏方の地味な仕事でも希和が有能に働いてくれるからだと村上から聞いた。

「村上さんと結婚した香那さんはクラフト市のスタッフをしている人で、わたしも知っている子なんです。村上さんにはわたしから結婚のお祝いを贈っておきました」
「若い子?」
 希和が『知っている子』と言ったので、そう思って聞いた。
「はい、香那さんは二十二歳です」
 へえ、とは思ったが、村上が誰と結婚しても正直なところあまり関心もなかった。村上は俺と同じ三十八だから結婚相手との年齢差にはちょっと驚くが、俺と希和も九歳、歳が離れている。けれども物静かな希和とはあまり年齢の差を感じたことはなかった。
 希和はゆっくりとコーヒーを味わっていた。俺は菓子は食べなかったが、コーヒーは美味しかった。村上にはメールで礼を伝えておくと言うと、希和がうなずいて少し微笑んだ。

 希和の作った昼食を食べ、その後はすることもなく家の中を見ていた。寝室にしている部屋もそうだったが、リビングもすっきりとしていた。かといって足りない物があるわけではなく、歯ブラシやシェーバーなどは俺の物がきちんと用意されていた。
 希和は洗濯物を取り込んでくると俺のシャツに丁寧にアイロンをかけていた。アイロンを持って腕を動かす希和を見ていたら希和がちらりと眼を上げて俺を見た。すぐに目を伏せ手元へ視線を戻したが、シャツの位置を変えながらまた俺を見て口を開いた。
「あの、なにか」
「なにかって?」
 希和が少し困ったような顔をしている。
「ずっと見ているから。アイロン掛けが珍しいですか」
「そうじゃない。希和を見ている」
 当たり前のことを答えたまでだが、また希和の視線がシャツへ戻された。アイロンをかけ終わったシャツをたたんでいる希和は唇を引き締めた表情をしていた。怒っているのではなく、恥ずかしさをこらえているような顔だった。
「はい、できました」
「ありがとう」
 シャツを受け取るときにお互いの指が触れた。ただそれだけなのに希和の頬が赤らんでいた。



 希和が夕食を用意しているあいだに京都へ行く準備は簡単に終わってしまった。希和がアイロンをかけてくれたシャツを着て行くことにしたが、クリーニングではなく誰かがアイロンをかけてくれたシャツを着るのは初めてだった。覚えている限りでは記憶にない。
 夕食の後でシャワーを済ませ、クーラーをつけた寝室でしばらく涼んでいた。夜空は晴れていたが、やはり夜になっても昼間の暑さが残っていた。希和は夕食の後の片付けを済ませてもなにか細々としたことをしていて、なかなか寝室に来なかった。希和がやっと寝室へ入ってきたときにはもう部屋の灯りは消してあった。
 黙って布団の上に膝をついた希和が手を伸ばして枕元の床に置いてある小さな灯りをつけると、髪を首の後ろで留めた希和の姿が浮かび上がった。
「秋孝さん、起きてますか」
「起きてるよ」
 答えてから体を希和のほうへ横向きにすると希和が布団の上で正座して座っていた。
「秋孝さん、明日から京都ですよね」
「ああ、だから希和を待っていた」
 そう答えると一瞬、希和の目が見開かれた。だが、希和が来るのを待っていたのは事実だった。
「驚くことはないだろう」
「……はい。あの、それで」
 希和はなにか別の言いたい事があるらしい。
「あの、秋孝さんが京都へ行っているあいだにわたしも坂井の家へ行ってきてもいいですか」
 坂井というのは希和の旧姓だった。希和の家には今は誰も住んでいないが、家はある。希和の実家ということなのだが。

「希和」
 体を起して座り直すと希和と向かい合った。
「それはかまわない。だが」
 希和がすることを俺に許可を求めることはない。希和が俺の予定やスケジュールに合わせるために遠慮することも必要ない。結婚する前にそう言っておいたはずだと言うと希和はうつむいてしまった。
「希和が出かけたければ行けばいいよ。俺がいるときでも気にしなくていい。俺は自分の事はできるし、希和だって同じだろう。なにかやりたい事でも仕事でも、希和がやりたければやってくれてかまわないよ」
「はい……」

 希和は結婚するにあたって働いていた会社を辞めていた。事務の仕事をしていたという会社は希和の家からも近いところにあったが、この家は希和の家から電車でも二時間はかかるから通勤に時間がかかるのは確かだった。希和が会社勤めを続けても辞めても俺が困ることはなかったが、希和は特になにも言わずに仕事を辞めていた。
 希和がそうしたいのならかまわない。その時もそう思ったが、希和はひとりではなにもできないわけじゃない。それは俺も知っている。しかし希和はあまりにも控えめだ。

 うつむいたままの希和の手を取ると冷たいかと思っていたが、手は暖かかった。手を引くとすんなりと希和の体を引き寄せることができた。希和の体からかすかにボディソープの匂いがする。
 こんどは昨夜よりもゆっくりと希和の唇にキスした。肩を抱いて希和の唇に触れると恥ずかしそうに顔をそむけようとしたが、頬やあごにキスを続けた。唇を合わせ舌を差し込めば希和の唇は遠慮がちに開く。さらに舌を割り込ませ、吸い上げて希和の口中をなぞる。息の続かなくなった希和に何度も角度を変え、浅く、深く、キスを続けた。
「灯りを……」
 希和が枕元の灯りに手を伸ばしかけたがキスで引き戻した。小さなスタンド型の灯りの明るさなどたかがしれている。やっと見えるほどの明るさの中で希和の寝巻の胸のボタンをはずすと白い綿の布地の寝巻の中で希和の胸の先端は尖っていた。薄い乳房をすっぽりと掌で覆いながら先端を口へ含み、固く締まった感触を舌で確かめてから乳輪のまわりを吸うと、すぐに吸われたところが赤みを帯びて乳房のあちこちが赤くなっていく。昨夜は見ることができなかった赤みだ。希和の腕を広げさせて押さえ、先端やふくらみを吸うたびに薄暗い灯りだけでもわかるほどに希和の肌が赤く染まっていく。自分の足を入れて希和の足を広げさせて触れると、はっきりとわかるほどに濡れていた。細い希和の上半身を片腕で抱いて、もう一方の手で希和の襞を探る。希和がもがいても、離れないように。

 昨夜と同じように小さな突起に指が触れると希和の体がびくっと動いた。足を閉じさせないようにして突起の上で何度も指を滑らせるうちに希和の息が荒くなり、それでも体を離さないように擦り続けると、押さえていた希和の足が緩んできた。足を開かれ、体の芯を弄られている希和が俺の胸に額を押しつけて体を揺らしている。希和の顔が胸を擦りながら息が吹きかけられる、それがちりちりと体の芯を煽る。希和を快感に耐えさせているということが自分自身を熱くさせている。
 希和の奥へ指を入れるとそこは熱かった。指の抜き差しにともなって小さな水音が聞こえる。希和の細い肩を抱きとめながら絶え間ない刺激を繰り返すと希和の腰がびくりと跳ね、中へ入れた指が固く締め付けられた。

「希和」
 胸に押しつけられた希和の顔を離そうとしたが、希和はなかなか離そうとしなかった。顔を覗き込むようにして頬へ唇をつけるとやっと顔を離したが、荒い息をつきながら目をそむけている。それでもまだ終わりではない。
 汗ばんだ希和の体は、ほの白く光っているようだった。横向きに横たわって、力の抜けた手足が敷き布団の上で曲げられている。もし自分が画家だったらこれを描きたいと思うのかもしれない。
 なにも言わない希和の体は肩だけが上下していた。横向きの体を戻して腕で隠れていた胸を仰向かせてから膝へ手をかけた。
「希和」
 そう呼ぶと希和がかすんだような視線で俺を見た。希和の足を開き体を付けると、達した余韻の残る希和の中が柔らかな抵抗で俺を呑み込んでいく。今の希和はまだなにもできないで横たわるだけだったが、それもかまわなかった。ただ希和と繋がりたかった。


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