真冬のレプリカ 11

真冬のレプリカ

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「あら、社長。早かったですね」
 デニムシャツを着た女性がファームの入り口で出迎えてくれた。クリスマスの日に食べ物やいろいろな物を持ってきてくれた柳井さんだった。
「柳井さん、休みなのに悪いね」
「すみません、お邪魔します」
 そう言ってわたしがお辞儀をすると柳井さんはにこっと笑いかけてくれた。
「いいんですよ。私がこっちに来ることは予定のうちでしたから。佳澄さん、どうぞ」
 柳井さんが入れてくれたファームというのは温室やビニールハウスというよりも大きな建物の中で温度や湿度が管理された野菜工場といった感じだった。自然の太陽光をふんだんに取り込んだ明るい室内で水耕栽培で無農薬の作物を作っているということだった。
「ほら」
 武見がガラス越しに中の様子を見せてくれた。棚が並び小さな植物が数えきれないくらいずらりと植えられていた。外気と中の空気を遮断しているので、わたしたちもこのままでは中へ入ることはできないそうだ。
「工場って感じですね。明るくてきれい」
 正直な感想を言うと武見はなぜか口をへの字にした。
「安全で質の良い物が出来る。でも、ここだけじゃないよ」
「ほかにもファームがあるんですか」
「こういう工場じゃなくて、ビニールハウスがあるのよ」
 柳井さんが代わりに教えてくれた。
「そっちのほうが佳澄が想像しているような普通のビニールハウスだよ。見に行くか?」
 武見は相変わらず渋い顔で、でもこれがこの人の地顔だって今ではわかっているからうなずいた。
「あ、私も一緒に行っていいですか」
 柳井さんも一緒にファームから出て武見の車に乗り込むとき、柳井さんが当然のように後部座席に座った。助手席にはわたしが乗るものだと思われているみたいだった。
 こんなふうに武見の車で遠出するのは初めてだったが、東京からここへ来るまでの間、武見はあまりしゃべらなかった。でもそれが不機嫌なのではなく、怒ってもいないということは今ではわかる。その証拠に武見の運転は静かで乗り心地の良いものだったから。

「ここだよ」
 道の両側にビニールハウスが並んでいるところに武見が車を止めた。『武見農園』って看板がある。
「今日は土曜日だからこっちは人がいないんだけどね。ここでは東京のレストランから依頼された野菜を専門に作っているの。一般に出回る野菜とは違う西洋野菜とかね」
 柳井さんが開けてのぞかせてもらったハウスの中は、なにかわからなかったけど緑の細かい葉を付けた野菜が植えられていた。
「ここ全部、あなたの会社の人が育てているの?」
 見渡す一帯がビニールハウスだ。ずうっと向こうまで。
「いや、ここは委託して作ってもらっているんだ」
 いつもスーツで仕事に出かける武見は今日もコートとスーツだった。ネクタイはしていなかったけれど、やっぱりこのビニールハウスと武見はそぐわない。
「悠介」
 不意に武見の名が呼ばれて武見とわたしが同時に振り向くと、作業服を着て長靴をはいた男の人がランドクルーザーから降りてくるところだった。
「なんだ、こっちにいたのか。正月に帰ってこないから母さんが心配していたぞ。電話なかったか?」
「あったよ」
 武見は素っ気なく答えた。作業服を着た人は武見とよく似た顔つきで、でも武見ほど背が高くなかったが、がっしりとした体格でこの人のほうがまさに農業をしている人っていう感じだった。
「俺の兄貴だよ。親父と一緒に武見農園をやっている。ここの作物を作るのは兄貴たちの会社に委託しているんだ。兄貴のところは農業法人で、ここらのビニールハウスは全部兄貴のところで管理しているんだ」
「それはすごいですね」
 感心してわたしがそう言うと武見のお兄さんは人懐こい笑顔でわたしに向き直った。武見とは全然違う。
「よかったらうちのハウスも見ていってくださいよ。今ならイチゴがあるから」
「え、イチゴ」
「イチゴ、好き?」
「大好きです」
 イチゴって聞いて思わず言ってしまったけれど、武見はなんだかおもしろくなさそうな顔してる。
「いいねえ。じゃあ俺の車に乗って。すぐそこだから。悠介は柳井さんを乗せて来いよ」
 さっさとランドクルーザーに乗せられて2、3分で話しをする間もなくお兄さんのハウスに着いてしまった。お兄さんのハウスはイチゴ専門の温室みたいなハウスで、中には地面ではなくてテーブルのような高さの棚にイチゴが植えられていた。コートが要らないくらいに温かいハウス内にはイチゴの甘い香りが満ちていて、赤いイチゴがたくさんぶら下がるように生っていた。
「これくらい赤いのなら大丈夫だよ。摘んで食べてみて」
「え、いいんですか」
 生っているイチゴを摘んで食べるのって初めて。イチゴ狩りみたい。って喜んでいたら武見と柳井さんも入ってきた。
「わあ、おいしい」
 お世辞でもなんでもなくて、ほんとうに味が濃くて美味しかった。形もきれいでつやつやだ。
「おいしいです。こんなにおいしいイチゴ、初めて食べました」
「これはね、東京ではデパートや果物店で木の箱に入って売られているんだよ。いろんなパティシエにも使ってもらっているんだ」
「兄貴、イチゴで釣るなよ」
 武見はここに入ってきてからずっと不機嫌顔だ。
「いいじゃないか。いい子だな。ただでさえ農家の男は嫁の来手がないんだからしっかりつかまえとけよ。ここに連れてくるんだから彼女なんだろ?」
 え、彼女? それって……。
 思わず武見を見てしまった。
「いや、まだ彼女ってわけじゃ……」
 武見にしては珍しくはっきりしない言いかただった。お兄さんも驚いたような目でわたしたちを見ている。
「なんだ、一緒に暮らしているんじゃないのか。柳井さんからそう聞いたけど」
「暮らしているよ」
「それで彼女じゃないってどういうことだ」
「佳澄は去年お母さんを亡くしていろいろあって大変な状況だったんだ。だから俺も待つつもりでいる。兄さん、悪いけどこの話しはこれまでにして。俺は待つって決めているんだ」
 待つって……。
 武見はわたしに振り向くとちょっとだけ笑って見せた。なんだかその笑顔が見ていられなくて目を逸らしてしまったのはわたしのほうだった。


「社長」
 武見のお兄さんにお土産のイチゴまでもらってしまってハウスを出ると柳井さんが待ち構えていたように武見に話しかけた。
「すみません、佳澄さんがお母さんを亡くされたこと知らなくて、お兄さんに話してしまって。一緒に住んでいるから、わたし、てっきり。佳澄さんもごめんなさいね」
「いいんだよ、柳井さん」
 武見が渋い顔をちょっと緩めて答えた。
「兄貴が来るとは思ってなかったから。まあどうせ後でいろいろ聞かれるんだろうな。早く嫁さんもらえってうるさいから」
「あの、本当になにもないんですか。一緒に暮らしていて」
 柳井さんは今度は心配顔になっている。
「そんな珍しい物でも見るように言わないでくれよ。彼女が無理強いして簡単になびくようならとっくにしているよ」
「あら、まあ……」
 柳井さんは同情するような目で武見を見上げた。
「社長、苦労してるんですねえ」

 車に戻ると武見はまた不機嫌そうな顔に戻っていた。
 彼の表情が本当のものなのかどうか、わからない。武見が柳井さんと話しているのをわたしも聞いていたが、武見はわたしには話しかけなかった。柳井さんにはなんでも話せるという感じで話していたのに。また武見の車に乗って東京へ戻るあいだ、わたしはずっと窓の外を見つめていた。


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