真冬のレプリカ 5

真冬のレプリカ

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「社員のみんなが大喜びだって言ってたね」
 さっきの女の人がそう言っていた。武見はきまり悪そうに目を逸らしてテーブルの上の食べ物を冷蔵庫へ放り込み始めた。
「社長さん、心配されているんだ」
「おかげさまで」
 わたしにからかわれていると思ったのか、武見はぶっきらぼうに答えた。
「良い社員の皆さんだね。ねえ、これってほんとにクリスマスパーティーまんまだね」
「おい、それはやめとけよ」
「えー」
 冷蔵庫の前から大またで戻ってきた武見にわたしが手にしていたシャンパンのボトルをひったくられた。
「けち」
「けちって問題じゃないだろう。まだ本調子じゃないんだから」
「なんで。いいじゃない。あなたも飲めば」
「昼間から飲めるか。俺はまだ仕事があるの」
 ぶすっと言って、武見はまったく面白くなさそうだった。シャンパンは冷蔵庫行きになって替わりに出てきたのはペットボトルの紅茶だった。
「はーい、じゃあどうぞお仕事してください」
 勝手にカットフルーツのパックをソファーへ持って行って食べ出した。
 武見はテーブルのところからわたしを見ていたけれど、はあっとわかりやすいため息をつくとわたしの前へやって来た。
「仕事しないの?」
 武見はこっちに持ってきたケーキの箱を開け始めた。
「目を離したら酒を飲まれそうだ。俺も食べる」
 パックの中のメロンの一切れをぱくりと食べた。このメロン、美味しい。
「俺が一緒じゃ嫌かな」
 わたしが無視していたので武見は念を押すようにそう言った。
 嫌とか嫌じゃないとか、そういうことじゃなくて。わたしがここに居ること自体がイレギュラーなことなのに。わたしにはここにいる理由はない。でも、それをこの人に言っても通じない。この人はただ義父に頼まれただけのことをしているだけみたいだし。
 武見の開けた箱の中からは赤く輝くイチゴが乗ったケーキが出てきた。ご丁寧にふたり用の小さなサイズで、赤い冠のように並べられたイチゴと白いクリームがいかにも恋人たちのクリスマス
ケーキって感じだ。わたしがなにもしないで見ていたら武見はそのケーキを真っぷたつに切り分けてひとつを皿に取ってわたしへ差し出した。
「食べないのか?」
 じっと差し出された皿の上のケーキを見ていたら武見にそう聞かれた。
「イチゴ、好きだろう」
 好きだけど、どうして知っているの。義父からの情報だろうか。
「当たり? 女の子ってイチゴ、好きだよな」
「……ありがとう」
 差し出された皿を受け取って、なかば仕方なく礼を言っただけなのに武見が不意ににこりと笑った。不機嫌そうに見えるのはやはり地顔みたいで、笑えば相応に人間らしく見える。この人、わたしの年齢が24歳だって知っているでしょうに『女の子』呼ばわりは気に入らないけど、まあ、いいか。
 意外に人の良さそうな笑顔で笑った武見はソファーにいるわたしの横には座らずに床のラグの上にあぐらをかいて座っている。となりに座られても困るから、いいんですけどね。
「あなたって」
 そう言ったらケーキを食べ始めた武見が顔を上げた。
「ん?」
「ほんとに彼女、いないのね」
「な……」
 ケーキを頬張っていた武見が息を詰まらせそうになりながら口の中の物を飲み込んだ。
「なにを言うのかと思ったら」
「だって今日はクリスマスだよ。世の中の恋人たちにはビッグイベントなのに、こんな日に見ず知らずの女とケーキを食べているんだよ。わたしには大男にしか見えないけれど、あなたみたいに背の高い男がいいっていう女は多いし、IT企業の社長やっているっていうだけでも、もっともてるん
じゃないの」
 武見があきれたような顔でわたしを見ている。
「あんたってほんとに、つくづく失礼なことを言うよな」
 失礼なことを言っているのはわかっている。でも武見は口ではなんと言っても一向に怒りの矛先をわたしに向けようとしない。どうして。
「果物ばかりじゃなくてこっちも食べろよ」
 チキンはちょっとかじっただけ、ケーキも乗っかっているイチゴだけを食べていたら、武見が立ち上がってフランスパンを切ったものとサラダを持ってきてわたしの目の前に置いた。
「えー、なに、またサラダ? それってどんだけあるの」
 武見が持ってきたサラダは朝食べたものと同じ、カット野菜にベビーリーフを盛ったものだった。それも山盛りだ。
「いいから食べろよ」
「やだ、いらない」
 ふいと横を向いたら武見はサラダボールを置いてまたラグに座った。
「……なあ、もしかしてわざと俺を怒らせるようなこと、言っている?」
 そっぽを向いたまま答えなかった。
「これ、好きだと思ったんだけどな」
 好きだけど。ベビーリーフは好きだけど、でも。
「いらない。いくら好きでも青虫じゃないんだからそんなに食べられないわよ」
「やっぱり好きだったんだ」
 わたしは憎まれ口みたいなことを言っているのに、武見はやっと聞きたいことを聞き出した、というような顔をしてまたにこりと笑った。変な人。
「ベビーリーフって最近は珍しいものじゃないでしょ。レストランでもよく見かけるし。あなただって好きだからこんなに買ってあるんでしょ」
「いや、これは柳井さんが持ってきてくれたんだ。柳井さんて、さっき来た人。俺の会社の経理、総務の責任者なんだけど、俺の会社はこれを作っているんだよ」
「え、作っているって」
 武見はサラダボールに山盛りに盛られたベビーリーフを指差している。
「ベビーリーフを? でもあなた、IT企業の社長だって」
「生産管理から出荷、毎日の売り上げ、社員のシフトまでみんなコンピューターで管理しているんだ。ITだろう?」、
 いや、全然意味が違うでしょ、と言いたかったが、武見は話を続けた。
「山梨と静岡と千葉にファームがあってそこで生産しているんだ。ベビーリーフのほかにハーブやエディブルフラワーも作っている。それから農業用のシステム開発もしている。それだってITだろう」
「はいはい、ITね」
 なあんだ、この人、IT企業の社長だなんて言って、違うじゃない。要するに会社で農業やってるんでしょ。農家のおじさんだったんだ。道理でこの人、社長にしては言葉がぶっきらぼうだと思った。
 武見はサラダを皿に取り分けるとドレッシングといっしょにわたしの前に置いた。柳井さんという人がさっき持ってきたくれたというベビーリーフは朝と昼食のときに見たものよりも種類が多かった。緑や紫がかった小さな葉っぱがみずみずしい。
「さっき言っていたレストランって徳永さんのところのだろう。ベビーリーフやハーブもずっと前から使ってもらっているんだ。俺も何度か行ったことがある。俺の会社を三年前に会社組織にして出資してもらったのも、徳永さんが、というよりも徳永さんの奥さん、あんたのお母さんがこのベビーリーフを気に入ってくれて徳永さんに勧めてくれたからなんだ」
「え……」
 
 小さな葉っぱがかわいくて柔らかいでしょ。美味しいし。
 お母さんはそう言っていた。お母さんの生野菜サラダにはいつもこれが入っていた……。

「あ、悪かった」
 じっとそのベビーリーフを見つめたままのわたしに武見は急に謝った。
「お母さんのことはお気の毒だった。お悔やみ申し上げる。葬儀には俺も伺ったんだ」
 この男が母の葬儀に来ていたなんて知らない。なによりも今、ここで死んだ母のことを話したくない。
 すっと立ち上がったわたしをラグに座ったままの武見が驚いた顔で見上げていた。
「どうかしたのか」
「気持ち悪い」
「え?」
「気分が悪いの。気持ち悪い。もう寝る」
「お、おい。気持ち悪いって……」
 追いかけてくる武見の声をシャットアウトするように寝室のドアを閉めた。ここが武見の寝室だということも、まだ午後の時間だということも、心配そうな武見の声も、すべて、すべて閉め出してベッドに突っ伏すと布団の中に潜りこんで体を丸めた。


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