副社長とわたし 13

副社長とわたし

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「レビューだって。あの副社長と」
「総務課長や部長も同席するの?」
「部長、課長は余分だよね」

 今夜は浅川さんの同期の総務や経理にいる人たちや仲の良い人たちの飲み会にわたしは混ぜられていた。つまり浅川さんに誘われたというわけだけど。

「そうそう、課長はいらない。副社長とサシで話したい」
「話したい? 襲いたいじゃないの?」
「あー、わたし、新しいランジェリー買っちゃおうかな」
「下着、着ないで行けば」

 冗談が混じっているとはいえ、こういう女性だけの会話って遠慮がない。さすが天下の三光製薬だけあって女性陣も強烈だ。

「先輩、レビューってお給料の話になるんですか。もっと欲しいって言っていいんですか」
「あれ? そういう話よりも現状の仕事についてって言ってなかった? それにもっと給料上げてなんて言っても無駄でしょう。所詮、総務なんて目立った仕事なんてないし」
「経理からレビューが始まっているんでしょう。どんな感じだった?」
 浅川さんがとなりの人に尋ねた。
「副社長の顔を間近で拝めたわよ。浅川と違ってわたしたちってそんな機会なかったから。でも、もうちょっと近寄りがたい雰囲気かと思ったらそうでもなくて結構、事務の話も通じるわよ」
「それでどういうこと話したの?」
「秘密。浅川だってレビュー受けるんでしょ。副社長が上司なんだから」
「受けるわよ。でも一番最後だって」

 今、三光製薬の、特に女性社員の間ではレビューの情報が飛び交っているらしい。

 このところ常盤副社長は部屋にはほとんどいない。 
 レビューは会議室で行われているので副社長はずっとそっちらしい。戻ってきても夕方から副社長としての仕事をしているみたい。他の重役たちとの会議などもひんぱんに行われているそうで、そのおかげで浅川さんも忙しいって言っていた。時々そんなことを聞くだけで、子会社のそのまた関連会社の社員のわたしには三光製薬の事を知る方法は他にはない。それと部屋から見える副社長室の様子だけ。

「レビューにしてもその後の展開にしても結果はすぐには出ないでしょうね。副社長も地味な仕事を選んだものねえ」
「わたしは副社長と話せるだけでいいです。だって、わたしたちと会話するって普通ないじゃないですか」
 後輩らしい子がそう言うと、みんな「まあ、そうね」という顔をしている。

 はー……。
 いろいろ言われているんだ、常盤副社長。あのルックスなら芸能人並みに話題にされるのは仕方ないとして、さらに会社の重役としても言われてる。

「トーセイ飼料さんは?」
 経理課の人がさりげなく聞いてきた。そのひと言でまわりの人たちの視線がさっとわたしへ集まった。注目っていうやつだ。
「あ、うちは子会社の関連会社ですし、今回のレビューは三光製薬さんだけのことなので関係ないですよ」
 これは本当のことだ。
「なんだ、そうなんだ。そうよね」
 さりげなくそう言われたけれど、この人たち、冗談ばかり言っているようでほかの会社のこともしっかり気にしているんだ。




 ……全くの無関係だとは思わないけれど。
 でも、この会社の社員ではないから常盤副社長がなにをしているのか、どんな仕事をしているのか、わたしにはわからない。

 レビューが始まった頃から、厚いファイルがいくつも並べられたデスクでちょっと眉を寄せた難しい顔でパソコンへ向かっている副社長をブラインドの向こうに垣間見ることもあった。副社長室で何人もの人たちを前にして話をしていることもあった。そんな時はブラインドが閉められてしまうことが多いが、開いているときにちらりと見えた常盤さんは完全に副社長だった。

『瑞穂さんが好きだからです』

 重役らしい人と並んで副社長室を出た常盤副社長が手振りを交え話しをしながら廊下を歩いて行く。いつもの三つ揃いの良いスーツで今日もネクタイの趣味がいいですね。パープル系のネクタイは美形が三倍引き立ちます。でも、いかにも重役然としてデスクで書類を見ていた以前の姿とはちょっと違う。
 ここのところ毎日わたしよりも早く出社して、遅くまで仕事をしている。今日も仕事を終えて帰ろうと営業所のドアを開けたら向かいの副社長と目が合った。

 ……また手を振っている。

 ガラスの向こうへちょっと頭を下げて会釈をした。
 とたんに常盤副社長の顔がうれしそうな笑顔に変わった。会釈くらい前にもしているのにそんな臆面もなくうれしそうにするなんて、こっちが恥ずかしくなる。そんな綺麗な顔で笑いかけるなんて、それって絶対、反則技だよ。

『瑞穂さんが好きだからです』

 わたしの頭の中で繰り返されるその言葉。
 鐘のように何度も何度も鳴り響いている。

 必ず時間を取るからと言われたけれど、でも本当に忙しそうだ。みんなはいろいろ言っているけれど、副社長は仕事をしている。わたしはそれを垣間見ることしかできない。

 それは……。


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