副社長とわたし 4

副社長とわたし

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 それからあれよあれよと言う間もなく、わたしたちの荷物が運び出されて。数人の若い男性社員たちがやってきてダンボール箱があっというまに運ばれて行って。この部屋だと金田さんと三上さんとわたしが連れて来られた部屋にはすでに電話配線の工事の人が来ていて。
「みーちゃん、どういうことだ?」
 所長に聞かれたってわたしが答えられるはずもなく。あっという間に並べられた机、キャビネット、コピー機とファックス。電話機。パソコン。
「すごい。ここ最上階?」
 三上さんが感心して言う。ほんとだ、窓の外にはビルの並ぶ東京の風景が見える。それに、ガラス張りで仕切られた廊下の向こう側に見える部屋はどう見ても普通の部屋じゃない。オフィス用とは格が違う立派なキャビネットがあり、そこへ整然と並べられたファイルや本が見える。そして部屋の中央に置かれた大きなデスク、それはまさに……。
 
 すべての荷物が収まるとさっきの常盤さんという人がやって来た。やっぱり美形だ。
「こちらへどうぞ」
 常盤さん自ら、ほほ笑みながら副社長室へ案内してくれたけど、入っていいの? わたし!
 でも金田さんに目配せされてついて行った。副社長室の中にある応接セットのソファーへ座らされたけど、会議室にいた稲葉というひとが常盤副社長の後ろに控えているし、お茶を持ってきてくれた女性社員はすらりとした美人で「重役秘書」っていうのもわたしは初めて見た。今、ここで金田さんや三上さんが一緒でなきゃとっくに逃げだしていたかも。

「なにか格別のご配慮をいただいてしまったようで、ありがとうございます。しかし……」
 わたしのつたない説明でやっと事の次第が飲み込めたらしい金田さんが常盤副社長に礼を言った。
「いいえ、弊社の手際の悪さでご不快な思いをさせてしまいました。そちらの部屋のことはどうぞお気遣いなく。今後のトーセイ飼料さんの活躍を期待します」
 返された常盤副社長の言葉は社交辞令的なもので、それを聞く金田さんはさすがに年の功で落ち着いている。そんな金田さんにわたしはなんだか叫び出したいような気持ちだった。いや、叫ばなかったけれど。


「ということは、これからここがうちのオフィスってわけだね」
「はあ」
 わたしたち三人は新しい部屋へ戻ると整然と置かれた机の前に座った。
「三光製薬副社長、常盤孝一郎だって。すごいね」
 三上さんがもらった名刺を見ている。わたしももらったその名刺。
「海外は別として、国内に工場と研究所がそれぞれみっつ、国内支店が十二、子会社が十五。それだけの企業の社長の息子だけあって絵に描いたような御曹司ってわけね」
 社長の息子。はあー……。
「その副社長室の向かいの部屋をゲットするなんて、さすが瑞穂ちゃん」
 三上さん、冗談になっていませんって。わたしはただ会議室へ行ったのであって、こんな最上階には来ていませんって。どうしてこうなるの。

「金田さん、常盤副社長にお願いして元の部屋に戻してもらうわけにいかないでしょうか」
「うーん、どうだろう。なんてったって鶴の一声みたいにここになってしまったからねえ。驚いたよ。でも」
 金田さんがわたしを励ますように言ってくれた。
「別にみーちゃんが悪いことをしたわけでもないし。せっかくの好意だからお受けしてちょっと様子を見させてもらおう。それより明日からは通常業務だ。頼むよ、三上君、瑞穂ちゃん」
「はい」
 さっそく仕事に取りかかる金田さんと三上さんだったが、ふたりにこのオフィスの設置を手伝ってもらえるのも今日だけだ。ふたりとも明日から当分は移転の挨拶を兼ねたお得意先回りで忙しい。うちの会社の商品は魚の飼料、つまり養殖用の魚のエサなのでお得意様は海の中のお魚。もとい、漁業関係者や養殖業者でいずれも海辺方面ばかり。
 わたしはファイルや書類をキャビネットや机に収めながら考えていたけど……。

 さっきあの三つ揃い美形副社長の部屋へ案内されたからわかるけれど、わたしたちの部屋は最上階フロアの控室的なスペースだったらしい。この階には社長室と副社長室、秘書室と応接室があって、たったこれだけにワンフロアだよ。すごい……。
 そしてこの階の部屋はどれも窓よりも大きな床まであるガラスの壁で、まるで外国の最先端のオフィスのようだ。それはわたしたちの部屋も同じで、縦型ブラインドで中を見えなくすることができるとはいえ、この素通し感って。今も廊下をはさんだ向かいの部屋はブラインドのルーバーが開かれていて三つ揃いの美形副社長がデスクに向かっているのが見える。しかもデスクはこちら向きだし。 音は完全に防音がされているらしく全く聞こえないけれど、美人な秘書のお姉さんが出入りしている副社長室はまさにテレビドラマに出てくる部屋で、見るつもりはなくても嫌でも目に入ってしまう。後で片づけが終わったらこちらのブラインドはさりげなく閉めておこう。

 ……でも、その前にわたしは見てはいけないものを見てしまったらしい。

 向こうの部屋でデスクの前に座った美形副社長が背もたれの高い椅子に寄りかかりながらこちらを見ているから、なんだか意識してしまうその視線。ファイルや備品を整理しているわたしとふと目線が合う。するとわたしへ向かって小さく手を振った。見間違いかと思って、えっ、と口が開いてしまったが、そんなわたしを見ながらあの美形副社長は何食わぬ素振りで仕事を続けている。

 ……?
 わたしとあの人は友達じゃない。まして同僚でも、知り合いというのにも違うのに。

 ……なぜ?

 明日から金田さんも三上さんも外回りが中心で常にオフィスにいるのはわたしだけ。明日からここで仕事をするって、それは……。

 わたしのそんなイヤな予感は残念ながら当たっていた。当たっていたんだ……。


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