副社長とわたし 1

副社長とわたし

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 東京の空にそびえるビル。
 わたしは会社の移転先の、もうその建物からして圧倒されてしまっていた。
 親会社の製薬会社がある大企業社に合併されるのにともなって、わたしの勤める会社の営業所も移転ということになってしまった。うちの会社は魚の飼料を扱っている小さな会社で、もともとは地方の製粉会社の一部門だったのが、製粉会社がつぶれて飼料部門だけが 親会社にお情けでぶら下がらせてもらうようにして生き残ってきた会社だ。そしてこのたいして大きくない親会社の製薬会社が日本でも有数の製薬会社である大企業に合併されてしまったというわけ。
そんな中でうちの営業所が生き残れたのは奇跡に等しいと、これは営業所長の金田さんの弁。金田さんと営業の三上さん、そして事務のわたしとたった三人の営業所だ。わたしもそう思う。

「このご時世で失業しなかっただけでも良かったっていうもんだよ」
 営業の三十一歳の三上さんにとっても切実だ。結婚している三上さんは子供もまだ小さい。
「ところで引越しの手配はオッケー? 瑞穂(みずほ)ちゃん」
「はい、所長」
「悪いねえ。瑞穂ちゃんにほとんどやらせてしまって」
「いえ! 所長や三上さんは外回りで忙しいですから」

 うちの会社は本社が大阪にあって関東にはわたしのいる営業所があるだけ。今までは親会社の製薬会社のフロアのそのまた一角を営業所として使わせてもらっていたのだが、製薬会社の支社が統合されることになってうちの営業所は合併先の本社ビルへ 移転ということになってしまった。この話を聞いた時に、本社ビルってあの一流有名製薬会社の本社ってことですよね、とわたしは金田さんへ思わず聞いてしまった。
「そうなんだよな。東京のなんとかフロントっていうところらしいよ」
「そんなすごい所ですかあ」
「まあ、住むところには会社から家賃の補助が出るそうだから。でも私は単身赴任だなあ」
 金田さんはあと二年で定年だから。
「わたしも家賃の安いところ、探しているんですけど」
「でも東京はやっぱり高いでしょ」
 そう言う東京出身の三上さんは実家で同居すると言っている。

 わたしは東京に住むのも初めて。でも今の世の中、仕事があるだけでもありがたい。親には会社を辞めたらと言われたけど、二十七歳のわたしにはそれは早く嫁に行けというプレッシャーだ。それに入社以来娘のようにかわいがってくれて、いろいろと 教えてくれた金田さんの定年までの最後の仕事を一緒にしたい。もし東京で彼氏ができなかったら二年で戻ってくるからと、わたしはその場の思いつきで親に約束してなんとか許してもらった。
 こうしてわたしたち『トーセイ飼料』の三人は会社移転のために東京へ向かったのだった。


「本物はすごいわ……」
 ばかでかいビルを見上げてわたしは思わず言ってしまった。写真で見ただけのそのビルは見上げるだけでのけぞりそうになるほど大きくて、高い。
「ほんとにここですか……」
「三上、このビルは安いスーツだと入れてもらえないって話だぞ。警備員に止められるって」
「えっ、所長、ほんとスか。ヤバいなあ」
 スーパーのスーツを愛用? している三上さんがあせる。
 ほんとに警備員の人に止められたらどうしよう、ってわたしもドキドキしちゃった。でもビルのフロントフロアにいたふたりの警備員さんはわたしたちをしっかり見ていたけれど、身分証の名札を付けているわたしたちにはなにも言わなかった。
 営業所として使わせてもらう階のフロアへ行ったが、この広いフロア全部がわたしたちのオフィスであるわけがなく、この一角のどこか隅のほうを使わせてもらうことになっているはずだ。
 金田さんがこのフロアの受付に挨拶をして、本社の総務の人が出てきた。わたしたち三人を見たその中年の男性社員は無表情だった。案内されて奥へ向かったがそこは一応、仕切りの壁を設置して区切られていたものの、書庫かなにかに使われていた部屋らしく床には置いてあった棚などの跡がうっすらと残っている。壁ばかりで窓もない。それに……。

「所長、机がありませんよ」
 三上さんもすぐに気がついた。すでに運び込まれていた営業所の荷物の入ったダンボール箱は床に積まれていたが、デスクがない。デスクは中古のものでよければ用意してくれるという話だったのに。
「用意してくれるって言ってたよね」
「なにか手違いかもしれないな。ちょっと聞いてくる」
 金田さんが出て行った間に、わたしと三上さんはダンボール箱を隅へ移動させていた。すぐに金田さんが戻って来たのだが。
「なんだあ? この会社」
 戻って来た金田さんは不満げだった。
「机は備品室にあるから自分たちで運べって。あ、いいよ、みーちゃん。私と三上で取りに行ってくるから。それならそうと最初から言ってくれりゃいいのになあ」
 こういう段取りの悪さを金田さんは嫌う。でもほかの会社のことなので仕方がない。
「ま、机くらい自分たちで運べますからねー」
 と、三上さん。
「あ、わたしも備品室を知っておきたいので一緒に行きます」


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