白 椿 15


白 椿

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15


 8月のお盆前に久乃が母と一緒に寺へ墓の掃除に行くと、いとこの香織も母親と一緒に来ていた。
「ひさちゃん、掃除終わった? おばさん、ちょっとひさちゃんと買い物へ行ってもいい?」
「なんです、香織。ひさちゃんはあんたと違って忙しいのよ」
「いーじゃん、買い物くらい」
「久乃、じゃあ薬屋へ寄って和史のかゆみ止めの薬買ってきてよ」
「うん。夕飯の買い物もしてくるよ」
 久乃と香織が離れると久乃の母と香織の母はにぎやかにおしゃべりを始めた。
「お母さんたちにつきあってらんないわ」
 そう言いながら香織は自分の車で久乃を連れ出してくれた。買い物のついでにホームセン
ターの中にある飲食コーナーでアイスコーヒーを飲む。
「で? その後、東京の彼とはどうなってんの?」
「うん、この前和史と一緒に遊園地に連れて行ってもらったの」
「子連れのデートかあ。そりゃたまにしか会えないだろうし、ひさちゃんも忙しいからねえ」
「むこうは東京でわたしは和史がいるし、和史が保育園に行っている間に会うのもなんだか」
「気が引けるってわけ?」
 香織がたん! とアイスコーヒーのカップを置いた。
「あたし、別にかまわないと思うよ。ひさちゃん固く考えすぎ。まあ、わからないでもないけど」
 香織がじっと久乃の顔を見ていた。
「好きなんでしょ? 彼のこと」
「うん」
「会いたくないの?」
「会いたいよ。いつだって会いたいって思っている」
「ひさちゃん、そうでなくっちゃ」
 それから香織はにっと笑った。
「会いに行っちゃいなさいよ。日帰りできるんだから。ひさちゃんてば若いんでしょ! 男のひとりやふたり、いなくてどーするの?!」
 香織にはかなわない。

 礼郷さんには夏休みはあるのだろうか。和史の短い夏休みが終われば保育園だし平日だったら香織の言うとおり東京まで会いに行けるかも、と久乃は考えたがやはりそれを行動へ移すのはむずかしかった。家のこと、仕事、和史のことなど用は尽きない。
『また会えるかな……』
 電話の向こうの礼郷の言葉に久乃は何とも答えようがなかった。

 9月になったら会いに行きたい、そう思ったが、そうしているうちに礼郷から聞かされるよりも早く街道保存会の会長から礼郷の父が時沢の病院へ入院していることを聞かされて久乃は驚いた。礼郷は黙っていたのだ。しかも今度はかなり容体が悪いらしい。


 ずっと体調の落ち着いていた礼郷の父だったが、今年の梅雨時は蒸し暑さがこたえたよう
だった。これまで続けていた散歩もやめてしまい、ほとんどを家の中で過ごしていた。父は夏バテだよと言っていたが、孝子が仕事から帰ってきた礼郷を呼んで父へ受診を勧めて欲しいと
言ってきた。父はこのところ顔色も良くないという。
「しんどいようなら入院したほうがいいんじゃないのかな」
「いや、来週は検診もあるし、その時に悪かったらでいいよ」
「僕がついていこうか」
「おまえは仕事があるだろう。孝子と行くから大丈夫だよ」

 父が7月の終わりに時沢の病院で受けた検診では血液検査の数値などが多少悪くはなっているものの、ひどくなっているというわけではなさそうだった。
「だから暑いのがよくなかっただけなんだよ」
 父はそう言っていたが体力は落ちてきているようだった。主治医からまた11月頃には入院してもらいましょうと言われてそれには父も納得していたが、しかし8月が終わる頃には父は横になっていることが多くなってしまっていた。

「お父さん、食べられないのなら点滴だけでも受けてよ。こっちの病院で入院して点滴でもしてもらえば1週間もしないで出てこられるわよ」
 がくっと食欲の落ちた父へなんとかまた受診してもらおうと孝子があれこれ言っているが父は相変わらず入院が嫌らしい。
「大丈夫だよ。このあいだの時沢での検診だって悪くなかったじゃないか」
 最近の父はなんとか受診させようとする孝子や礼郷へ子どものように言い張っている。悪く
なっているのは自分でもわかっているだろうに。

「お父さんは嫌だろうけど、明日病院へ連れて行くからね」
 いったんは父に無理強いできなくて引き下がった礼郷だったが、足がむくみ始め歩くのも大変そうになってきている父を見て言い渡す。
「だが明日は土曜日だ。病院休みだろう」
「なに言っているんですか。土曜日だって大丈夫ですよ」
「嫌だなあ」
 すると父は急に嫌だ、嫌だと言い始めた。ベッドで横になったまま嫌だという姿は子どものように駄々をこねているようにも見える。そんな父を見るのは初めてで、礼郷と孝子は思わず顔を見合せた。
「お父さん、良くなればすぐ退院できるんだから、ね」
「嫌だ、嫌だ」
 孝子がとりなしても父は同じことを繰り返す。
「嫌だ、入院したらもう出てこられない」
「そんなことないわよ、ねえ礼郷」
「そうだよ、今までも何度も入院しているんだから。今度も同じだよ。少しの間だけだから」
「嫌だ、病院はいやだ」
「お父さん」
「時沢へ帰りたいんだ」

 …………
 入院したくない言い訳のようにも聞こえたが、礼郷には父が子どものように言い張る理由がわかったような気がした。
「……時沢の病院ならいい」
 父の言葉にまた礼郷と孝子は顔を見合せた。こころなしか父の目がうつろに見える。
「時沢ならいい。時沢なら入院する。礼郷、連れて行ってくれ」
 孝子が礼郷へ小さくうなずく。
「わかりました。明日一緒に時沢へ行きましょう」

 時沢の病院は土曜日だったから休日救急の受付から入って診察を受け、主治医ではなかったが幸い当番の医師は内科の消化器科の医師だったのですぐに入院の手続きをしてくれた。それほど父は悪くなっていた。

 父が入院して1週間、点滴による投薬治療がされていたが検査の結果は良くなかった。ここにきての体力の低下につれて病気が急激に悪化しているという。病気の悪化がさらに体力を奪っている。

 金曜日の夜から土、日にかけては礼郷が付き添うようにして病院へ泊りこんだ。まだ予断を許さない、というところまではいってなかったが父は夜中に声をあげたり、ベッドから降りようとすることがあるという。昼は眠ってばかりいるようになり、それが夜目覚めてしまう原因のひとつでもあるらしかったが、 だんだんとまわりの状況が判断できなくなってきているらしい。昨夜も
ベッドから降りようとしてしまったと看護師から聞いてシーツに飛んでいる小さな血痕の理由がわかった。点滴の針がはずれてしまったのだろう。

 その日、午後になって静かに病室のドアが開いた。姉かと思ったがそうではなかった。
「礼郷さん」
「久乃……」

「もう長くないと思う。東京の病院へ移すのは無理だ」
「そんなにお悪いの……」
 病棟のエレベーター前にある面談コーナーだったがほかには誰もいなかった。
「なにかお手伝いできることがあったら言ってね」
「うん、ありがとう」
 久乃が礼郷の手を握ってきた。
「久乃が来てくれてうれしかった。顔が見られてよかったよ」
「礼郷さん……」
「しばらく会えないかもしれないけど……ごめん」
 
 数日後には街道保存会の会長たちが見舞いに来てくれたと姉から聞いた。病状が良くないと聞いて見舞いに来てくれたらしく、会長たちは姉に父の様子を聞くとくれぐれもお大事にと言って長居をせずに帰ったという。街道保存会の会長と副会長、そして若い女性もひとり一緒に来ていたという。
「礼郷、あの人でしょう? お父さんが話していた宮原酒造の娘さんて……」
 できれば父へ久乃のことをちゃんと話しておきたかった。父と話しがしたくても、もう父の意識はとぎれとぎれにしか戻らないようになっていた。

 入院してから1ヶ月後。
 礼郷も孝子も覚悟をしていた父の死だった。ご家族は病室に詰めていて下さいと看護師から言われた翌日に父は息を引き取った。礼郷と孝子、孝子の夫の佑介に見守られ、眠ったように意識が戻らぬまま孝子の子どもたちに手を握られながらの静かな最期だった。
  


2009.04.26

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