誕生日 11


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11


 講習会から帰ってきたカーチュと週末に会って。
 わたしは一番肝心なことを確認していない。自分の気持ちもカーチュに言ってなかった。

「結婚したらカーチュのお父さん、お母さんは同居して欲しいんだよね」
 結婚に対して予備知識だけはあるわたしはこの歳で結婚するにしても、家事が得意でもないのにやっぱりそういうことを棚上げにしても、できれば別居したい。
「俺が店を継ぐってことはそういうことだから、同居するなら最初からしたほうがいいんじゃないの」
 うっく。
 ……どうしても?
 わかっていたことだけど、今さら別居を望むのはぜいたくだとは思うけど。

「別に住むってのはかなり厳しいぜ。車もバイクも修理屋はどこも苦しい。不況だし。俺の給料じゃ楽じゃないぞぉ」
 あ、そっちの意味?
「でもカーチュ、できるなら結婚したら苦しくてもちゃんと独立して、それは同居したくないっていうことじゃなくて、自立っていうか、大人としてひと組の夫婦としてそうしたほうがいいと思う」

 男と女の間には川があるっていうけど、嫁と姑の間には日本海溝より深い谷があるんだよ。わたしはまだカーチュのお母さんと会ったことはないけれど、お姑さんがどんなにいい人でも嫁は嫁だ。わたしは結婚している友達から今までこれでもかっていうくらいにお姑さんへの愚痴やら不満やら聞かされてきた。
「真希ちゃんはまだ結婚してないからいいわよね(なにがいいんだ?)。やっぱ絶対別居だよ。最初に無理しても。でも別居したいって言ってお嫁さんが悪者にされないように気をつけなよ。男はどんな人でもやっぱりお母さんが大事なのよ。お母さんは息子がかわいいのよ。マザコンでなくても」
 その友達の愚痴は果てしない。でもお見合いで会う人のほとんどが長男という状況ではとても人ごとには聞こえなかった。わたしだって別居したい、本音は。だからカーチュに通用するかどうかわからないけれど、感情的に別居が嫌なのではなく夫婦として自立したいっていう論理で攻めてみたんだ。 カーチュはこういう理路整然とした話でわかってもらえそうで。でもカーチュの切り返しは……。

「やっぱ別居のほうがいいか。そうだよなあ」
「……どうしてもってわけじゃ」
 相手に譲られるように言われるとかえって強く言えないのがわたしの悪いところ。
 あああ……。

「うちは店も作業場も古いから建て替えしようと思うんだ。親父もそのつもりで準備してきている。そうなったらまず別居は無理だよ、経済的にも。住まいのほうは二世帯住宅は無理でもなるべくそれっぽくするから。ほんとは家、建て替えてから嫁さんに来てもらったほうがいいんだろうけど」
 そうなんだ。そういうつもりなんだ。
 でも同居するかどうかってことは女にとってそういう経済的な事とは相容れない事だってカーチュにはきっと頭でしかわかっていないと思う。

「考えたら俺、最低の条件だよな。でも最後は条件じゃないだろ? だから、真希だからだよ。真希だからホテル行った。今さらこんなこと言うのもなんだけど、それでもよかったら俺んとこ来てよ」

 ……プロポーズ、だよね。これって。

 このプロポーズを受けるのはカーチュの親と同居するってこと。わたしが仕事を続けるかどうかそういう将来をひっくるめているということ。
 現実的なカーチュらしい言葉。わたしだってカーチュが好きになってえっちしてもすべての未来がバラ色になったなんて思わない。でも段取りすっ飛ばしのくせにちゃんと待っていてくれたよね。わたしだからって言ってくれた。

「うん……わたしでよかったら」
「やった」

 手をグーにして親指を突き出すカーチュ。わたしもにっと笑って親指を突き出した。
 
 これからいろんなことを考えていかなきゃならないけれど、なんとなくカーチュと結婚するならそれでもいいやと思ってしまったわたし。
 お見合いでも恋愛でも最初から長男は嫌、絶対別居、でなけりゃ結婚しないと言える女はきっと行き遅れたりしない、と思う。わたしは甘いだろうけど、お気楽だろうけど、でも、やっと自分で決められたから。


「お父さん、あのね……」
 新聞から顔を上げた父。うっわー、心臓が飛び出しそう。
「心配かけたけど、わたし、神田さんと結婚しようと思う」
「……そうか」
「神田さんが改めて挨拶に来るって」
「わかった」

「お母さん、そういうことだそうだ」
 となりの台所で聞いていた母へ父が言う。

 母は何も言わなかった。父もごく静かだ。派手に喜ぶか、逆にぐずぐずしていたことを説教されるかと思っていたけれど。
 カーチュとの結婚を決心してわたしは両親にこのことをちゃんと言わなければならないから、その機会をうかがって何度も廊下をうろうろして、日曜日の夕飯の後でやっと言いだせた。




 6月の日曜日、カーチュはやってきた。もちろん突然ではない。いつになく緊張気味の父が和室で待っている。

 わたしはこの日を前にカーチュに聞いてしまった。
「うちへ来たらお父さんへなんて言うつもり? 娘さんを僕に下さい、とか?」
 カーチュはえーっという顔をした。
「そんなんよう言えん。普通に、結婚させて下さい? 結婚したいと思います、とか? よろしく
お願いしますでいいんちゃう」
 普通すぎる。
 当日スーツ姿でわたしの家へ来たカーチュにわたしはもう一度聞いた。
「ねー、なんて言うか決めた?」
「しつこい。おまえ面白がってる」
 いいえ、緊張しているんです。面白がってるふりしているだけなんです。
 
 そしてカーチュはごく普通に
「真希さんと結婚したいと思います。よろしくお願いします」
 と父へ言った。
「真希から話は聞いています。こちらこそこれからよろしくお願いします」
 父は緊張しながらも普通に言った。言い終わってやっと父がにかにか笑った。

 特別だけど普通。普通だけど特別な父とカーチュの会話。
 こうしてわたしたちは結婚することになった。

 それからカーチュと結婚するまでわたしの新たな闘争が繰り広げられることになる。と、思う。たぶん。

終わり 


2009.04.02
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