誕生日 3


誕生日

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 このバレンタインデーっていうのはなによ。
 最近は義理や友達ってのが強調されているようだけど、それでも恋人たちのイベントであることは変わらない。

「ま〜き〜ちゃあ〜ん」
 せっちゃんがいつもの甘えた声で言う。わしに甘えんな、婚約者がいるだろう!
「ね、ね、ね、買い物つきあって〜。デパチョコ買いたいのお〜」
 デパートのチョコ。この町にデパートはない。県庁所在地の市まで行く気か。
 断ろうかと思ったが、あそこのデパートのひとつにすんごい美味しいバームクーヘンを売っていて前からそれを買ってみたかったので一緒に行くことにした。
「ね〜、真希ちゃんも義理チョコか友チョコ買えば」
 なんで義理でこんな高いデパチョコを買わなきゃならないの。自分で食べたいわよ。
 せっちゃんがチョコを選ぶのに時間がかかるのはわかっていたのでわたしは並べられたチョコを細かくチェックしていた。外国産のチョコ。ショコラティエが作ったという宝石のようなチョコ。日本のパティシエの名のついた凝ったチョコ。○○○産のカカオを使ったというチョコ。みんな目のくらむほどハイセンスでおしゃれなパッケージと値段!

 あー、寒い。

 誰もチョコをあげる人のいないわたしにはココロ寒いものがある。なによりこのおしゃれで高級でそしてたくさんの女の人がいるデパートの「勝負!」っていう雰囲気が苦手だ。せっちゃん、早く決めて欲しいなあ。でもせっちゃんの楽しさに水を差す気はなかったので、あれこれ悩む
せっちゃんにビターオレンジの風味だっていう大人っぽいチョコを推薦してあげた。 ついでにわたしも同じものを買う。自分へのご褒美。なんちゃって。

 買い物から帰って来て車から出るとなんか道の向こうから自転車がキーコキーコいってやってくる。
「おーい、真希いるかぁ」
「え?」
「よ、久しぶり」
 一瞬どころか、二瞬も三瞬もわからなかった。このキコキコ自転車に乗った男が誰なのか。
「俺だよ、カーチュ」
「えーーっ」

 カーチュっていうのは彼のあだ名だ。お父さんが商売をやっていてそれが神田忠一朗商店。カンチュウ商店ってわけで、なぜかその息子の神田直俊(かんだ なおとし)は小中学校の同級生からカーチュと呼ばれていた。まあ子どものあだ名なんて意味不明なことが多いけど。
 カーチュは青いツナギでその上に薄汚れたジャンパーを着ていた。きっと仕事用なのだろう。色あせたジャンパー、油汚れのついたくたびれたツナギ。
「なんだカーチュ、帰ってきてたの? 大阪にいたんじゃなかったの?」
「親父の店継ぐために帰ってきたんだ。半年前から」
「へー、そうなんだ」
 カーチュが自転車を止めて乗ったまま話している。
「おまえんとこの会社、船外機の部品扱ってるだろ。注文したいものがあるんだ。明日、おまえんとこ行くから話、通しておけよ」
「え? でも」
 たしかカーチュの家はバイクの販売や修理をやってたっけ。でもカーチュの家はうちの会社の取引相手じゃない。
「すぐ欲しい部品があるんだ。これ。すぐに取り寄せられるようにしておいてくれよ。頼んだからな」
「えー、でも」
 メーカーの部品表をコピーしたらしい紙を渡された。うちの会社はボートや漁船のエンジンなんかの部品も扱っている。ちょっとした手入れなら自分でやる人も多いので消耗品や部品の取り寄せを頼まれることが多い。

『真希? 俺。部品あった?』
 月曜日にカーチュから電話が入った。俺って、どちらの俺様ですかあ?
 でもそれは言わないで、調べておいた在庫を伝える。3個の部品のうちひとつの在庫がない。この船外機(ボート用エンジン)はアメリカ製のもので日本にはメーカーの支社があってそこが日本での製品や部品などの総窓口になっている。支社は契約した販売店だけへ卸していて、うちみたいなたまにしか注文しない小さな会社は直接ではなく販売店を通じて注文しているんだ。

「在庫調べてもらいましたがないです。バックオーダーかけることもできますが……」
『ちょい待ち。バックオーダーってどのくらいかかるんだ?』
「この場合はアメリカにも在庫がないから一番早いので3週間くらい」
『……バックオーダーのバックオーダーか』
 カーチュがぼそりと言った。
『もっと早く来る方法は?』
「運送だけなら航空便に乗せてもらうこともできるらしいけど、部品の在庫が入らないことには発送できないから」
『真希、これからおまえんとこ、行くから』
 あー会社へ来るの。まずいなあ。なんか言われるかなあ。

 カーチュは昨日と同じ作業用のツナギでやってきた。今日は自転車じゃなくて車らしい。来客用のコーナーなんてないから机の並んだ事務所の入り口にあるちょっとしたカウンターからわたしの机のほうへ入ってくる。 「こんちわ、神田商店です」なんて言いながら。

 わたしの机の横へ来るとカーチュはざっとわたしの机の周りを見たようだった。わたしの机の前じゃないけれどとなりにはサービスの使うメンテナンスブックや部品表といったものが並んでいる。カーチュはサービスの倉橋(副社長、せっちゃんの彼)に挨拶して部品の在庫を調べてもらいたいと言った。わたしもその間机の前に立っている。
「俺、座っていい?」
「あ、どうぞ」

「真紀、これの部品構成表見せてくれ」
「はい」
 カーチュはしばらく部品表を調べていると。
「……このアッセンあるか?」
「え!」
 カーチュは部品番号を指さして示している。わたしは取次の販売店を飛び越えてメーカーの日本支社へ直接電話をかけた。前にも直接部品の在庫を問い合わせしたことがある。問い合わせだけなら全然問題ない。その番号で確認すると在庫があるという。
「じゃ、それオーダーかけてくれ」
「でも……いいの?」

 カーチュがアッセンと言ったのはアッセンブリの略で、わたしたちが言っているアッセンブリというのはいくつもの部品からなる大きな部分、という意味で使っている。いくつかの部品が組み立てられてアッセンブリとなり、それがさらに別の部品や別のアッセンブリと組み合わされて完成品になるという感じだ。もちろんこれは社内用語みたいなもので他には通じないかもしれないんだけど。
 だけど……カーチュの欲しいのはこのアッセンブリの中に使われている部品のひとつだ。アッセンブリや完成品をばらして欲しい部品だけを取り出すことを「部品取り」って言っているんだけど、アッセンブリは当然ながら値段が高い。部品取りしたら残りの部品は中途半端になってしまうし、一旦ばらしてしまったものは返品もきかない。
「これ3万円くらいするけど……」
 カーチュの欲しい部品は単品なら5千円ほどだ。
「いいから」

 それからカーチュを営業の住田さんと引き合わせて新規に部品購入をするからと言って販売価格とかそういうことを決めてもらうためにうちのお客として登録してもらった。このへんは営業の話なのでわたしは同席していなかったんだけど、カーチュは今まで二輪の販売と修理をしていたが時々ボートのエンジンの修理もしていたことを話しているようだった。

 あーあ、でも部品取りか。
 カーチュがいいって言っているのだから問題はないのだから、うちは取次だけなのだから、そう思っても気持ちが重い。これじゃ儲けも何もないだろうに。それが頭から離れなかった。
 カーチュは社長室から出てくると「んじゃ、頼むな」とわたしに言って帰ってしまった。

 アッセンブリが届いたら取りに来るから電話してくれと言われたのでわたしがカーチュのところへ電話をした。
『神田商店です』
 電話に出たのはカーチュのお父さんらしかった。神田商店だって大きな会社じゃない。家族だけでやっている店だ。カーチュのお父さんはすぐに受け取りに行くからと言って電話を切った。
 カーチュが来るか、お父さんが来るか、どっちかだろう。箱に入ったアッセンブリをすぐに渡せるように作業場へ出して置いといてもらう。サービスと住田さんにも言っておいたからわたしの仕事はここまでだ。
 だけど……。


 わたしは立ち上がった。
 受付代りのカウンターの前に入ってきたのはカーチュだったけど、カーチュはこの前の薄汚れたツナギなんかじゃなくって紺色のスーツを着ていた。そのスーツがやけに彼に似合っている。レジメンタルストライプっぽいネクタイ。ぱりっと白いワイシャツ。住田さんなんかより営業ぽくって、しかも……。
 カーチュはわたしの驚いている顔を見るとにやにやしている。
「何だよ、あいさつに来たんだぞ」
 え、わざわざスーツで?
「社長に取り次ぎお願いします」
 カーチュは態度を改めて言った。そうか、この前は住田さんと副社長はいたけれど社長はあいにくいなかった。社長がいなくても初めての取引相手の部品の取り寄せをしてしまうのもうちの会社らしいけど。


 それからはカーチュのところの仕事だからどうなったのかは知らない。
 でも土曜日にわたしは神田商店まで行ってみた。お父さんがカーチュは地元のマリーナへ
行っているという。
 マリーナの敷地の中の陸へ上げられたヨットやモーターボート。船艇の下側を見せて陸へ上げられたボートやヨットは近くで見ると驚くほど大きく感じる。
 カーチュがマリーナの人と何かを話していたのが見えたので敷地の外でそのまま待っていた。やがて出てきたカーチュはわたしがそこにいたことを知っていたように「よお」と言った。
「このあいだの部品、間に合った?」
「ああ、おかげさんで」
「ごめんね。アッセンになっちゃって」
 わたしがぼそっと言ったら
「なんだよ、なんでおまえが謝るんだよ」
「だって……」
「仕方ないだろ、部品が在庫なかったんだから。お客を3週間もひと月も待たせるわけにいかないし」
「済みません」
「だからなんでおまえが何度も謝るかっつーの」
 そんな事言われてもわたしの会社の仕事だ。わたし個人が悪いわけじゃない。でも……。
「おまえって真面目だったからな」
 この話は終わりというようにカーチュはわたしの顔の前でぴっと指をはじくしぐさをした。デコピンのあれだ。額には触れなかったけど思わずわたしの顔が後ろに引いた。

 家に帰ってカーチュのしぐさを思い出す。中学生の時もデコピンが流行っていてカーチュからデコピンされたことがあるのを思い出した。中学生くらいになれば男の子が女の子になんかするなんて事はなくなるのだけれど、班でゲームか何かをしていた時の負けた人にはデコピンというのだった。カーチュからされたデコピンはけっこう痛かった。 顔をしかめて額を押さえたわたしにカーチュはちょっと驚いたようだった。でもわたしが「痛いだろ、バカッ」と言うとごまかすように笑っていた。

 ほろ苦いビターオレンジのチョコを食べながら考えていた。
 カーチュが大阪から帰ってきているなんて全然知らなかった。カーチュ、結婚しているんだろうか。しているだろうなあ……。

 また今年もチョコをあげる人はできなかった。
 義理でも友チョコでもカーチュにあげたほうがよかったかな。
 ってか、バレンタインデー今日だからまだ間に合うんだけど……。


2009.02.10

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