花のように笑え 第3章 10

花のように笑え 第3章

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10


 旭川で一泊する予定で瀬奈は桂木と一緒に北海道へと向かった。昼過ぎに旭川へ着き、その後北興ナーサリーへと向かう。ゆるやかな高台を背後にした公園のような敷地に七月を迎えた薔薇が美しく咲きそろっていた。
 花壇が続く一部は一般の客にも開放しているらしく花の間を歩く人たちが見える。駐車場からすぐのところの大きな建物にはショップのようなものがあって薔薇の苗のほかにもいろいろな花の苗、ガーデニンググッズやお土産品のようなものも売られている。 北興ナーサリーの社長という五十代の人物が出迎えてくれていた。
「こちら側が花壇と庭、奥がナーサリーの薔薇用の畑です」
「この花壇だけでもかなりな規模ですね」
「薔薇を中心として花壇や庭の手入れや植栽も請け負っています。うちはもとは造園業者だったんですよ」
 ナーサリーの建物のほうへ向かいながら薔薇の育種に関する作業場や今行っている作業などを説明される。その後、畑へ行って新しい品種の植えられているところへも案内するという。
「立花さんにはぜひ見てもらわなければ」
 女性に気さくらしい社長は瀬奈を案内したがっているようで、桂木たちと一緒に歩きながら瀬奈にばかり話しかけてくる。
 花壇の奥には石造り風な建物と庭園がありバルコニーが段々状に作られていて壁面には花壇の薔薇とは違ったつる薔薇などが自然な感じで枝を伸ばしていた。バルコニーの手すりや壁にからまる何種類もの薔薇がとりどりの花をつけている。
「とてもきれいですね。良い時期に来れてよかったです」
 月並みな言葉しか思いつかなかったが瀬奈は心からそう言った。花壇の整然と並ぶ花もきれいだが自然な感じのこちらはもっとすばらしい。
「今はこういったガーデン風の植え方が流行りなのですよ」
 社長も喜んで説明する。

 今を盛りというように咲いている薔薇の花たち。薔薇以外にもクレマチスやラヴェンダーなど様々な花や葉が薔薇に調和するように植えこまれている。豊かに茂る薔薇、低木の緑の葉、足元の小さな花々、それらを通りすぎて行く。
「こちらがご紹介した新しい花です」
 社長が示したのは花壇ではなく畑のようなところに植わった小さな株だった。株の前には花の名ではなく数字が書かれた札が立てられていた。まだ名前がついていないからだろう。
 濃く葉脈のくっきりとした葉。ふわりと開いた白い花びらに薄いピンク色の滲むような色合い。しなやかだが意外にたくましい印象の枝や幹。小さい株なのに生命感のあふれるその花に桂木が顔を近づけた。
「いい香りですね」
 瀬奈も続いて顔を近づける。
「香りが良いのもこの薔薇の特徴のひとつです。あなたのような素敵なお嬢さんの名前がこの薔薇についてくれると我々もうれしいのですがね」
 社長がにっこりして瀬奈を見ている。
「さあ、立花さん」
 桂木がさりげなく手を差し出して瀬奈は桂木の手を取らなかったが、促されて立ち上がった。花壇へ戻ってくると作業をする人が見えた。薔薇の植えられた中へ入り込んで作業をしている。作業服を着た年配の男と若い男のふたり。 かがみこむようにしていた若いほうの男が体を起こした。背の高い男だった。
「あれは咲き終わった花を摘んでいるのです」
「手作業では大変ですね」
 社長の説明に桂木が答えている。

「立花さん」
 気がついたのは桂木だった。
 瀬奈が動きを止めてしまったように黙ったままじっと前を見つめている。桂木が声をかけているのに聞こえていないようだ。
「瀬奈さん」
 桂木が瀬奈を苗字ではなく名前で呼んだ。
「瀬奈さん、どうかしましたか?」
 瀬奈の視線の先を見て桂木は作業をしていた若いほうの男が離れた所から瀬奈をじっと見つめているのに気がついた。その男がこちら側の通路へ出てくると瀬奈の前へ立つ。
「元気だったか?」

 元気だったか……。
 なんでもないその問いかけの意味がわかるのに答えられない。目の前に立った男の作業服にキャップ帽という服装。くせのある髪が帽子から少しはみ出ている。

 あき……ら……。


「なんだ、君たち知り合いだったの?」
 北興ナーサリーの社長が驚いている。
「すみません、お引き止めして。どうぞ」
 聡が軽く頭を下げてそう言ったが、瀬奈は動けなかった。桂木がいぶかしげにそんな瀬奈を
じっと見ている。
「瀬奈さん、行きましょう」
 桂木に言われて瀬奈ははっと気がついた。
「あ、でも」
 すでに聡は薔薇の植え込みの中へ入り作業に戻っている。瀬奈の度を失っているような様子に桂木が瀬奈の背を押して花壇の出口へ戻させる。
「あ……」
 瀬奈は振り返ったが、桂木に押されて花壇の続く敷地から出されてしまった。

 それからナーサリーを後にしたが、市内のホテルへ向かう車の中でも瀬奈はひと言も口をきかなかった。
「夕食を一緒にどうですか、瀬奈さん」
 ホテルのロビーで桂木がそう言ったが、瀬奈は自分の部屋へ入ることばかり考えていて咄嗟に返事ができなかった。ひとりになりたい。今は……。
「すみません、今日はちょっと……疲れてしまったみたいで頭痛がするんです。申し訳ありませんが……」
 そう言えば桂木なら解放してくれるだろう、瀬奈はそう思ったが今日の桂木はそんなことで瀬奈を放してはくれなかった。
「それはいけませんね。これからでも医者へ行ったほうがいいかな」
 瀬奈が言い訳を口ごもったが、フロントで部屋の鍵を受け取った桂木がくるりと振り返った。
「正直におっしゃい。あの男、何です?」
「え……」
「花壇にいた若いほうの男。あそこへ行ってからあなたはずっと変だ。何なのですか? あの男」
 桂木の表情が厳しい。
「あなたは札幌の出身だからこちらに知り合いがいてもおかしくはないが……友達? 違うで
しょう」
「…………」
「恋人だったのですか?」
 桂木は過去形で聞いてきた。恋人だったのかと。

「部屋まで送りましょう」
 何も答えない瀬奈を桂木は連れて行く。桂木もしゃべらない。しかし自分の部屋の前で瀬奈は向き直った。
「ありがとうございました。ここまでで結構です。明日は車を頼んでありますので、出発は九時となっております。では、明日ロビーで」
「瀬奈さん」
 桂木が瀬奈の部屋のドアの前で悲しそうな顔をした。
「私はそんなことを話したいんじゃない」

「お願いです」
「何です?」
「そこをどいてください! どいて!」

 瀬奈の叫ぶ強い言い方に一瞬桂木の顔が驚きで固まった。しかし瀬奈はもうそれ以上その場にいることに耐えられなくなってエレベーターへ向かって走り出した。エレベーターへ飛び込みボタンを押す。 扉が閉まる前に桂木は乗ってはこなかった。一階へ着くと瀬奈は何も考えずにロビーを通り抜けようとした。 やみくもに足早に歩く。逃げるつもりはなかったがこれ以上桂木と話していられなかった。

 なにもかもがいっぺんに押し寄せてきている。自分が逃げてきたことから、自分が避けてきたことから、すべてが瀬奈に答えを求めてきている。
 前方から歩いて来た男を避けたが、男は避けた瀬奈へ向きなおり瀬奈は驚いて男の顔を見た。

「やっと会えましたな、瀬奈さん」
「三田さん……」
 そこには三田勇三が立っていた。


2008.11.03

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