花のように笑え 第3章 7

花のように笑え 第3章

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 盆へ載せてきた茶を瀬奈が桂木の前へ置く。
「ありがとう、立花さん。どうぞお座りなさい」
「はい」
 茶を淹れてほしいと桂木に言われて瀬奈はそうしていたが、今日はこれから話すことがあると桂木から言われていた。
「今期の予約販売は完売です。ネットショップ部門も好調ですね。前期のカタログがネットオークションで取引されているそうですよ」
「まあ、前期のカタログがですか?」
「人気のある雑誌のバックナンバー並みになかなか高値がついているらしい。立花さんが雑誌の要素を取り入れてみたらというのがよかったようですね。カタログは期間が過ぎれば捨てられてしまうが立花さんの言うようなカタログさえ捨てるのが惜しいと思わせるような作りには苦労しましたからね」

 瀬奈はK&Kへ入社して3年目になっていた。桂木の秘書ではあったが桂木が統括している新たなブランドの立ち上げの商品企画チームにも所属していた。このブランドは二十代から
三十代の女性をターゲットにした新たなブランドで、社内でも有望な社員が企画チームに抜擢されていて女性社員も多かった。
 瀬奈は企画課では事務関係のほかは企画会議でお茶を淹れたり、急に必要になったものを取りに行かされたりと雑用係でいることがほとんどだったが、企画自体にも少しずつ参加していた。
「私の秘書とも兼ねて立花さんも大変だがこれも勉強になりますから企画の仕事にも積極的に参加して下さい」
 桂木にもそう言われている。
 ナチュラル、エコ、アンティーク、ハンドメイド、インテリア、ガーデニング、フラワー……女性を対象としたキーワードが拾い上げられ検討されていく。それらのコンセプトで自社製品を開発し展開させていく。K&Kではこれまで働く女性向けのワードローブといった服を売っていたのだが、 新たなブランドの商品はリネン(麻)や肌触りのよい綿ガーゼを使った服、ゆったりとした
チュニックやワンピースやストールといったナチュラル志向、ハンドメイド志向を先取りするようなものだった。これらの製品に大量生産ではないハンドメイドの味わいを加えるためにクラフト作家や手芸作家とのコラボも考えられた。これらの製品に加えてアンティーク系の雑貨やアクセサリーなども加える。
 瀬奈もこういったナチュラルな服が好きだった。着心地の良い服、肩ひじ張らない、しかも
おしゃれな服を着れたらいいなと思っていたから企画の仕事は見ているだけでも楽しかったし、総務の足立真由美も瀬奈と一緒に企画チームに加わったのも瀬奈にはうれしいことだった。
 そしてカタログ自体をアンティーク風な雑誌のようにしてはどうかと提案したのは瀬奈だった。 それは企画も煮詰まったころに企画にいる若い遠藤という男性社員が後ろにいる瀬奈に「立花さんはどう思う?」と振ってきたのがきっかけだった。
 瀬奈は分厚いカタログもいいが、あまり厚すぎず女性がバッグへ入れたり部屋で読んだりするのにちょうどいいものがいいのではないかと思っていた。ずっととっておきたいようなカタログ。カタログ全体をひとつのイメージでまとめられたらと思ったのだ。
 ほんの参考にでもなったらという気持ちで瀬奈はそのことを言ったのだが遠藤が企画にまで進めてくれた。

 企画課の遠藤は瀬奈が契約社員として入社してから半年後に正社員になると、新しく作製する会社案内に社内の女性社員が仕事をしているイメージの写真を載せたいので瀬奈にもモデルになって欲しいと言ってきたことがある。桂木も承知で他の数人の女性社員とともにモデルがわりを務めたのだが、瀬奈が桂木と一緒に企画の仕事に関わっているのを一番喜んでいるのはこの遠藤のようだった。
 瀬奈は自分がマスコット的に思われているのかとも思ったが、それはあまり気にせずに裏方の仕事に徹しようと思っていた。それでも足立真由美と一緒に自然志向の店を見に行ったり、アンティークな小物の載った雑誌を集めたりしていたが、瀬奈が以前働いていた定食屋の娘の理奈のやっている個人デザイナーの洋服の店へ行ったのがとても役に立った。 ハンドメイドに近い服を作って置いている理奈の店ではリネンやガーゼの服が人気が出ているという。ゆったりとしたチュニックタイプのワンピースやシャツなどを重ね着したりストールを首に巻いたり、と
いったスタイルだ。さっそく瀬奈と真由美がそういう服を着てみせ、企画チームの洋服の開発担当者が賛同した。そして桂木の提案で理奈が洋服デザインの協力者として迎えられることに
なったのだった。

 インターネットでの予約販売は今回はすべて完売。カタログでさえネットオークションで取引されているというのは本当だった。
「他社からも似たような商品が出てきていますね。追随がでるということは悪いことばかりではない。どんなに似せても所詮真似は真似だ。消費者もわかっている。K&Kのものでなければ、と言わせればいいのですから。立花さんにもがんばってもらわないと」
 瀬奈はしっかりとした笑顔を桂木に向けた。もちろん瀬奈は提案を出しただけで自分でなしとげたと言える仕事ではない。しかし自分が少しでも関わった仕事が好調だと評価してもらえるのはうれしい。
「企画課の皆さんのおかげです」
「その企画ですが」
 それが桂木の本題だった。
「企画課の遠藤君から新しい企画案が出ています。遠藤君から話させてもいいんだが先に私から立花さんへ話してみようということで」
「はい」
「簡単に言うと立花さんをイメージキャラクターとして使えないかということです」
「イメージキャラクター、わたしをですか?」
 瀬奈が驚く。
「そう、若い女性向けの服などが多くなってきているのでそういった服のモデルとして、それからカタログの雑誌としての部分の料理だとかガーデニング、旅行といった記事に登場させる。もちろん商品の企画にも参加してもらう。遠藤君は君がイメージキャラクターになってくれるのなら専用のブランドを作ってもいいんじゃないかと言っている」
「さらに新しいブランドですか?」
「そう、今のブランドの姉妹ブランドみたいな、より商品を絞ったものでね」

 それは自分が雑誌のモデルのようになるのだろうかと瀬奈は思った。雑誌の人気モデルがブランドをプロデュースするといったことは聞いたことがある。しかし自分自身が載ることに抵抗もある。モデルだなんて……。
 それよりも瀬奈は今の仕事が面白かった。ひと通りの仕事が理解できて今まで夢中でやってきたことが最近はより能率的にできるようになっていた。年齢や役職にこだわらない桂木の下で若い社員はのびのびと仕事をしていて企画課は特にアイデア豊かな人が多く、時には収拾がつかないのでは、と瀬奈が感じるほどいろいろな企画案が出されたりするが、最終的には桂木が要所、要所を締めてまとめていく。
 瀬奈はおもに裏方的な仕事や事務関係の仕事で関わっていたのに過ぎなかったが裏方の地味な仕事が円滑に仕事を進めていくために必要なことだとわかっていたし、それに瀬奈はそんな裏方的な仕事が好きでもあった。桂木が瀬奈を秘書に、と言ったのもそういった瀬奈の性格を見抜いていたのかもしれない。

「桂木専務から話、聞いてくれた?」
 総務へ行く途中でさっそく遠藤が聞いてきた。遠藤は20代後半、若くて顔のいい彼は女性社員にも人気がある。
「はい、うかがいました。専務はわたしによく考えるようにとおっしゃってくださいました」
「そう、それは僕も聞いているんだけどね」
 遠藤がさりげなく瀬奈へファイルを渡す。ファイルにはメモが貼ってあって『今夜食事どう?』と書かれている。
「でもすみません、ちょっとわたしでは無理なんじゃないでしょうか」
 瀬奈が言いながらメモだけを遠藤へ返すと遠藤は受け取って会話の続きを装って答えた。
「そんなに謙遜しなくてもいいのに。でもそれが立花さんのいいところかな」

「立花さん、遠藤さんに誘われなかった?」
「え」
 同僚の足立真由美が聞いてきた。
「さっき。彼って立花さんに興味あるみたいよ」
「お断りしました」
「えー、もったいない」
「真由美さんたら」
「他の男性社員が聞いたら喜ぶネタなんだけどな。でも瀬奈ちゃんはっきりしているのね。わたしも社内恋愛はしない主義だからいいんだけどね」
 笑う真由美は瀬奈と同い年だったが、真由美が社内恋愛をしないと言ったのは真由美にはすでに一緒に住んでいる恋人がいるからだ。さばさばとして活動的な真由美は一見男っぽいような感じで、恋人がいるようには見えない。
「だってつきあう気もないのに」
「あら、つきあわなきゃわからないじゃない」
「真由美さん、わたしを遠藤さんとつきあわせたいんですか」
 瀬奈ももう笑っている。
「あは、じゃ遠藤さんを断ったんなら今日はわたしにつきあってよ。今晩、ご飯食べに行こ」

「瀬奈ちゃんが誰にもなびかないから男性社員がうるさいのよ」
「まさか」
「食事しに行くくらいなんでもないのに」
「そしたら余計にややこしくなるんじゃないですか?」
「そうねぇ、まあそれも面白いかも」
「もう、真由美さんったら」
 ふたり一緒に笑いあう。

 真由美と一緒に食事をしながらさっきの瀬奈をイメージキャラクターにしてみたらという件を話してみた。真由美もそのことは遠藤から聞いていて遠藤から「立花さんをその気にさせてよ」と言われたという。
「でも瀬奈ちゃん、秘書の仕事もしていて、そのうえその仕事をすることになったら大変じゃない?」
「そう、そうなんですよね。だから桂木専務からお話しして下さったみたいで。もしそうなったらわたしを秘書からはずしてもいいとおっしゃっているんです」
「あら、ま」
 真由美が意外といった顔をした。
「あの専務が瀬奈ちゃんをねえ」
「なんですか?」
「だってえ」
 真由美が飲んでいたチューハイをお代わりする。
「専務は瀬奈ちゃんに秘書でいて欲しいのよ。変な意味じゃなくて、いや、変な意味で」
「変な意味?」
 瀬奈にはわからなかった。
「瀬奈ちゃん、知らないの?」
 真由美が変にもったいぶる。
「何ですか? 真由美さん、教えてください」
「専務は瀬奈ちゃんにご執心だってこと。気に入っているっていうよりも手元へ置いて愛していたいっていうか」
「あい……」
 瀬奈が思わず絶句した。
「社内じゃそういう噂よ。私は瀬奈ちゃんにそんな気がないのを知っているけど。瀬奈ちゃん、今の今までそんなこと、考えたこともなかったでしょ?」

 桂木が瀬奈へそんなことを言ったことなどもちろんない。匂わせたこともない。瀬奈は仕事だと思って一生懸命働いてきただけだ。確かに桂木が自分に目をかけてくれていることは感じていた。それでもそれは仕事上、会社でのことで個人的にどうこうといったことなど全くない。それなのに社内で噂になっているなんて。
 なんだか瀬奈は納得できないような気持ちだった。
 そんなふうに見られていたなんて……。

「まあ噂なんて無責任だから。どこにでもあるものよ、そういう噂って」
 真由美はそう言って慰めてくれた。


2008.10.24

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