花のように笑え 第2章 12

花のように笑え 第2章

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12


 ティーオールカンパニーのパーティーは予定通りに行わせる。やめるつもりはない。こんな時です、パーティーは中止してはと会社の重役に言われたが東郷は取り合わなかった。
「こんな時? どんな時だ?」
 冷たく言い放つ東郷に重役たちは逆らえない。
「査察が入るなどただの噂だ。入りたければ入ればいい。こちらに不都合はない。そうだな」

 例の暴力団に警察の捜査が入っていた。
 組織的な犯罪と見て捜査を入れたのだろう。調べられれば偽の投資話で手に入れた巨額の資金が海外でマネーロンダリングされていることもいずれは判明するだろう。しかし金はこっちへは流れていない。警察はどこまで知っているのだろう。

 東郷はありったけの手を使って警察の動きを探らせていた。ティーオールカンパニーを取り巻く状況は変わってはいないようだったが。……警察は何かをつかんでいるのだろうか。
 …………


 まだ午前中だというのに現れた東郷に瀬奈は車へ乗せられる。
「何? ……何ですか?」
 ダークスーツの東郷に瀬奈が尋ねても答えてくれるはずもない。
 前にも連れてこられたことのある美容室のサロンへと入れられてしまう。髪と化粧を整えられて服もドレスに着替えさせられる。黒いドレス。
 細かいプリーツ加工がされたつややかな薄いブラックサテンのドレスは瀬奈のような若い女が着る流行りのデザインと素材だった。東郷の趣味の高級で落ち着いた感じではなく、むしろ人気の若いモデルなどが着そうなものだった。 ドレスに合わせてパールにゴールド素材を組み合わせたネックレスやイヤリングがつけられる。ハイヒールの靴。

 すっかり着替えさせられてフィッティングルームから出された瀬奈はまた車へ乗せられてしまう。
「これからパーティーがある。おまえも一緒に出るんだ。おとなしくしていろ」
 東郷は瀬奈の腕を離そうとはせず、そのまま車があるホテルの正面へ着くと体に腕をまわすように東郷が強引に瀬奈を連れて行く。
 ホテルの広いロビーの中央を横切っていくと離れたところで何人かの人たちが目を見張るようにこちらを見ているのに気がつく。その中の男のひとりに見覚えがあった。いつかAMコンサルティングのロビーで瀬奈を問い詰めた社員のひとり……。

「放して!」
 瀬奈が思いきり東郷の手を振り払おうとした。しかし東郷の手はびくともしない。まわりにいる東郷のガードマンたち。
「どうして、さっきいたあの人たちはAMの社員でしょう? なぜ……」
「AMの社員も集めたパーティーだからな。ティーオールカンパニーの創立20周年記念パー
ティーだ」
 そんな、そんな……。

 瀬奈が一瞬抵抗を失ったがそれでもすぐにまた東郷の腕を振り払おうとした。しかし体に回された腕が瀬奈の体を腕ごときつく抑え込む。
「いいことを教えてやろう。昨日警察から発表があった。森山の死体が見つかったとな。なんていいタイミングじゃないか。まさにこの日にふさわしい」

 聡さんの……死?

 もがいていた瀬奈の力が抜ける。
 聡の死という東郷の言葉が頭の中を駆け巡り、東郷が瀬奈を抱えるように歩きだしたのにも気がつかなかった。足が動いていないのに東郷に連れて行かれる……。

 廊下に社員らしき身分証の名札をつけた男女が数人いる。東郷と瀬奈を遠巻くように見ているその人たちの目。AMの社員かどうかはわからなかったが、まるで人形のように連れてこられる瀬奈を見ている社員たちの目。その目。
「いや! いやです!」
 瀬奈が激しく東郷の手に抗った。身を振りほどこうともがき、ハイヒールをはいた不安定な瀬奈の体が転びそうになる。それでも東郷は手を離さず瀬奈の体を引っ張り上げるようにした。
「放して!」

 どうしてAMコンサルティングの社員たちの前へ出られるというのだろう。
 会社を捨てて逃げた社長の妻。その女が乗り換えるように新たな業務提携先の東郷に連れられて。夫が逃げて自殺したのにもかかわらず高級な流行りの黒いドレスを着て! 夫が死んだのに!
「やめて!」
 瀬奈の抵抗にもかかわらず体が引きずられていく。広間らしい大きな扉が近づいてくる。引きずり出される前に瀬奈は手に触れるものをがむしゃらにつかんだ。受付用らしい白いクロスをかけられたテーブル。音を立ててそれらが倒れる。 ホテルの従業員や廊下にいる何人もが唖然と見ている。

「社長、落ち着いて下さい。それではあんまり」
「うるさい!」
「でも女性に対してそんなことをして、それが知れたら……」
 見かねた社員だろう、そう言われて東郷はやっと立ち止まった。
「社長、取材の記者も来ています。ここはひとまず」
 そう言われて東郷は突き飛ばすように瀬奈を離した。瀬奈が床へ崩れる。
「後で連れてこい。目を離すな」
 部下とガードマンへ命じて東郷はさっと広間の入口へ向かった。すぐに扉が開かれた。

「あ、誰か、君はAMの社員? この女性の服を直してくれ。そっちの控室で」
「はい」
 廊下に残ったさっきのティーオールカンパニーのスタッフらしい男があれこれと指示を出し、返事をしたAMの名札を胸につけた女性が瀬奈の腕を取ると瀬奈は乱れた胸元を手で隠すようにしたまま近くの部屋へ入れられた。はあはあと荒い息をついている瀬奈は椅子へ座らされる。

 聡さんが……聡さんが……。
 今さらのようにショックが押し寄せる。信じられなかった。以前にも東郷にそう言われていたが聡が死んだことなど信じられなかった。
「着替えをしますので、男のかたはそちらに出てください」
 女性の落ち着いた声がしていたが瀬奈は震えて手が胸元から離せなかった。今にも涙が落ちそうだ。
「お気の毒に……今、着替えを用意しますので」
 そっと手が触れられ、間近で言う女の声に瀬奈は思わず顔を上げた。
 その声は……。

 しかし川嶋晴代は自分の唇の前に人差し指を立てて瀬奈に黙っているように合図をすると小さな声で言った。
「旦那様は生きています」

 旦那様……それは……聡さん?
 生きている……。

「逃げるんです」
 川嶋がこっそりと男たちに気がつかれないように言って瀬奈の顔を見る。瀬奈の破れたドレス、足についた擦り傷。乱れた髪。
 奥様! と心の中で叫ぶ。おかわいそうに、こんな……こんな……とても見ていられない、川嶋はそう思ったが冷静に気持ちを保ち続けていた。できることならこのまま奥様を連れ出したい。なんとか……。
 しかし部屋には東郷のガードマンが何人もいる。瀬奈は足首を押さえている。痛そうだ。なんとか三田さんのいる駐車場まで……。瀬奈の髪を直すふりをしながら考えるが、瀬奈は、瀬奈
自身が逃げ出せるだろうか。茫然としたように見える瀬奈の表情。奥様は私がわかっている
の……?
 思わずまた川嶋が「奥様」と小さな声で話しかけた。

「おい、何をしている?」
 ガードマンのひとりが急にふたりへ近寄る。はっとした川嶋がガードマンに詰め寄られるように1歩下がったその瞬間、瀬奈が椅子から立ちあがった。もう靴もはいていない。ガードマンと川嶋の脇をすり抜けるように裸足のまま川嶋にさえも目もくれず瀬奈がドアを開けて飛び出した。
「ま……待て!」
 ガードマンたちが叫ぶ。不意を突かれて瀬奈を止めることができなかった。ガードマンたちに続いて川嶋も廊下へ飛び出したが瀬奈はロビーを突っ切ろうとしていた。裸足で走る瀬奈の姿にまわりの人々が驚く。

 外へ!
 足の痛みなど感じない。外へ! 外へ! 外へ!

 川嶋は叫びそうになるのを必死でこらえた。ホテルの外へ出ないうちに何人もの男たちに瀬奈は追いつかれる。男たちに囲まれて瀬奈はすぐに車へ押し込まれてしまった。またたく間に出て行く瀬奈の乗せられた車。
「おく……さま……」
 川嶋が茫然とつぶやいた。
 どうして……。


 三田と川嶋晴代から電話で連絡を受けて聡は自分の耳を疑った。
「連れ戻された……」
 瀬奈が飛び出したのだと、それでまたガードマンたちに連れ戻されてしまったのだと。
 川嶋晴代が泣きながら電話で話していた。
『奥様はきっと……私が不審に思われたことで……それでおひとりで急に飛び出して……』

 川嶋から注意をそらさせるためか。
 …………

 瀬奈……。
 川嶋と一緒に逃げても逃げ切れないと思ったのか? 川嶋も危なくなると思ったのか?

 瀬奈……
 おまえは……

 馬鹿と怒鳴りつけてやりたい気持ちだった。なぜ川嶋と逃げなかった? なぜ、なりふり構わず助けを求めなかった? 三田も待機していたのに。
 どうして、何が瀬奈をそこまでさせるんだ……。

 なぜ……


2008.08.01

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