芸術家な彼女 10

芸術家な彼女

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10


 なんか立原がうるさい。
 さっきからなんだかんだと言っている。
「なあ、望、俺も行っていいだろー?」
 いつのまにかのぞみって名前を呼ばれている。
「何で一緒に行かなければならないのよ。私は半分仕事で行くんですけど」
「じゃ後の半分は仕事じゃないだろ? だったらいいじゃん」
「送ってくれるだけでいいです」
「ちぇっ、つまんねーなー」

 …………
 あんたのお気楽ぶりは知っていたけれど会社が終わって私の部屋へ来てそういうこと言うのやめてくれない? あんたの仕事は夕方終わっても私はいわゆる自由業、かっこよく言えば造花作家だけど全然売れてない私はとにかく仕事があれば夜昼関係なく働くの。 今だってコサージュを作るのに忙しいんだから。コサージュは今、人気のあるおしゃれのアイテム。手作り作家の品を委託で置いてくれるお店でも好調に売れている。私がそのお店に置かせてもらっているのはほとんどコサージュで、これで生活をしのいでいると言ってもいい。

「せっかくパーティーに呼ばれたんだろう?」
 立原にこのことを話したのが間違いだった。
 私が作る造花の展示会をしてくださった輸入家具会社の滝口さんのパーティーへ呼ばれたのだ。仕事で関係のある人やお友達やお客さんでも仲の良い人などを招いて倉庫兼お店を使って年に1度パーティーをしているという。 まあ半分仕事みたいだけれど楽しく飲んだり騒いだりするようなパーティーではなく大人の集まりらしく、私はこういう集まりに呼ばれるのは初めて。だからちょっと油断して立原にしゃべってしまったのだが……。
 さっそく立原が言うには、その日は車で送ってくれるという。それはありがたいんだけど立原は自分も一緒に行きたいと言い出したのだ。
「普通さあ、そういう時ってパートナー同伴で行くだろ? 大人なら。子どもの誕生日パーティー
じゃないんだから。その滝口さんて人も連れの人もどうぞって言ってんだろ?」
 だれがいつ、仕事先へ同伴していけるようなパートナーになったってぇ? じろっと睨む私の視線にも懲りない立原。
 それよりも私にはもっと切羽詰った問題がある。当日着ていくものがない。本当に着る服がない。ぜんぜんない。はっきり言って新しい服を買うお金もない。服だけじゃない、靴もバッグもストッキングさえない。だから本気でお招きを断ろうと思っていたのに。そこへ立原がなんだかんだと言うので余計に腹がたつ。
「いいの、やっぱ行かないことにした。いろいろ大変だし」
「へ? 何で?」
「立原さんのせいじゃないから安心して。やっぱ行くとなるといろいろ必要だから」
「……」
 立原は納得していないふうな顔をしていたが私はさらっとこだわりのない顔で言ってみせた。こういうことにこだわっているとビンボー生活はしていられない。

 マンションの立原の隣りの部屋に住まわせてもらうようになって3か月。
 隣りといってもこの部屋は立原の持ち家で私は居候のようなものなんだけど。前のアパートを家賃滞納で追い出されて、それもこの立原になんだけど、なんか立原の思惑にひっかかるようにこの部屋に住むことになって。立原につきあって欲しいと言われて。その前にいろいろあって。 ここを出ていきたいのが本音だけど……立原とつきあいたくないわけじゃないんだけど……。
 相変わらずの貧乏で食べていくだけがやっとの生活。それはちっとも変わらない。滝口さんのところで飾って下さった花が売れたり、委託のお店のコサージュも売れているけれどすぐに驚くような収入につながるわけもない。

「おまえ、誕生日っていつだ?」
 何? 誕生日? やぶからぼうに聞く立原。
「9月だけど……」
「んじゃあ、誕生日プレゼント、ちょっと遅れたけど」
 はあ? 今、4月だよ!
「俺にプレゼントさせろよ。そのパーティーに着ていく服」
 にかっと笑う立原。染めてないばさっとした黒い髪。いつもの黒いジャージ。 しかし誕生日プレゼントっていうその理屈についていけないよ。コサージュを作っていた私の手が止まる。
「いやか?」
 私の顔を覗き込むようにして聞いてきた。すぐ近くに顔が来て……ちょっと……。
「キスしないでよ」
 立原の顔が止まる。
「じゃあそのかわりにプレゼントさせろ」
 なんちゅう……立原はなにかと自分のペースだけれど、私にとって立原は彼でもなければ恋人でもない。……ないはず。というよりも私はかなり立原におもしろがられているらしい。時々それが感じられる。

「行かないって言ってるでしょ。プレゼントなんてされても困るよ」
 私は立原の顔を押し戻すと立ち上がった。立原は私に押された体勢のまま自分でスローモーションしながらソファーへ倒れていく。
「ああ、俺って望とキスもできないなんて。なんて悲しい」
 勝手に悲しがってなさいよ。
「あ、でもでも交換条件てのはどう?」
 がばと起き上がる立原。立ち直りの早い男だわね。
「俺のサッカーの試合に応援しに来てくれるかわりにプレゼント受け取ってくれるってのは?」
「サッカー? 試合?」
 キッチンでお茶を淹れて立原にも持ってきた私が聞き返した。
「そう、前から望に応援に来てもらいたかったんだよね。俺、サッカーのチームに入ってるんだ。これでもフォワードだぜえ」
「フォワードって?」
「フォワード、ミッドフィールダー、ディフェンス、ゴールキーパー、そういうポジションが決まってんの。やっぱサッカー知らないんだな」
 ゴールキーパーはわかる。ゴールの前にいる人でしょ。
「フォワードって? 何する人?」
 あーあという感じで立原があきれている。
「前の方にいてゴールを狙う。点を取りに行くんだよ」
 サッカーって誰でもいいからみんなでとにかくゴールへボールを蹴り込むんじゃないの? これはあまりに素人な質問だったらしい。
「それじゃ理屈もへったくれもねえな。チームプレイで攻撃と守備を組み立てながらやるんだよ。それぞれのポジションで連携しながらやる。キーパー以外のチームの全員が相手のゴールの前に行っちゃったら後ろはガラ空きだろう? 今どき幼稚園児だってそんなサッカーしないぞ」
 だってサッカーに興味ないんだもの。スポーツ全般に興味なんてないから。
「でも見ていれば面白くなるよ。望もたまには外に出たら。ずっと部屋の中なんだから」
 ……好きで閉じこもっているんですけど。まあいいか。
「試合ってどこでやるの?」
「来月に市民グラウンドで。じゃ決まり」

 立原はさっさと買い物に行く日を決めてしまう。
 立原がプレゼントしてくれるといっても洋服を立原に選んできてもらうなんて、そんなこと私には頼めない。でもまさかお金だけ出してくれればいいなんて言えるはずもなく、結局ふたりで出かけることになってしまった。
 どこで買ったらいいのかお店もわからず、だからデパートへ行ったのだけど見て歩くだけじゃなくて何か買うためにデパートに来るなんてこと東京に来てから初めてだったので妙に緊張する。まるでデパートに来たのが初めてのような気がしてきた。
 でも服はシンプルな、できればグレーのワンピースと決めていた。ひざ丈でごくシンプルな。八分袖か半袖かノースリーブでもいい。できれば上着との組み合わせで1年中着られるやつ。どこまでも貧乏性の染みついた私。 ワンピースだけを探したけれど見つからなくてジャケットとのセットしかない。
「それにすれば? 似合っているし。あと靴とバッグね」
 立原が勝手に店員さんに言う。
 黒い靴とバッグ。これも私の好みで選んでしまったけれどやっぱりシンプルだ。
「もうちょっとかわいいのにしたら? これとか」
 そんなヒールの高いサンダルなんて。
「いいの、私ってコサージュ作るでしょ。自分でつけても服やなんかがシンプルなほうがコサー
ジュが引き立つし、これでいいのよ」
「へえ、そんなもんなの?」
 立原は案外うるさく言わない。私の欲しいものにしてくれるらしい。でもやっぱり男の人と一緒に買い物をするというのはかなり恥ずかしい。立原がカードで支払いをしてくれる。なおさら恥ずかしい。
「すみません。すみません」
 ぺこついてしまった。
「謝ることないんじゃないの?」
 立原が珍しく真顔で言う。えっ……。
「俺がプレゼントしたいからするんだし。それにサッカー、来てくれるんだろ?」
「はい……行きます。ありがとうございます」

「ちょっとつきあえ」
 買い物の後、立原に言われてそのままデートになってしまった。
 ツータックのパンツにストライプのシャツ、カジュアルなジャケットの立原に着たきりスズメのような私。立原の服装は普通なんだけどスポーツマンタイプの立原は意外と何でも似合う。それにぺらぺらの安物は着ていない。
 仕事をしている人の歳相応な服装。相応でないのは私の服のほうだ。着古して伸びきってし
まったトレーナーパーカーに膝の出た色あせたジーパン。すっぴんに近い私と立原はすれ違う人から見たらどう思われるのだろうか。こんな格好でデパートで買い物をするのさえ嫌だったのに。 店員さんだってお客の身なりを見ている。
 あまりに貧相な自分に悲しくなるけれどそういうことは考えないようにして一緒に歩いた。本当はとてもとても恥ずかしいし悲しい。でも今の私にはそれはどうすることもできない。気にしない、考えない……そう念じるしかない。
 立原がなんだかやさしく笑って言う。
「飯、食おうか?」
 首を振った。

「なんか元気なかったな」
 部屋の前まで来て立原に言われる。ごめん。立原にまでわかっていたなんて。
「そんなことないよ。ありがとう、今日は」
「いいって」
 立原が背をかがめてきて抱きしめられた。こんなところで……でもマンションの最上階は立原の部屋と私のいる部屋とふたつしかない。
 じわっと涙が出そうになる。立原に抱きしめられて、でもこんなに自分のビンボーに落ち込んだのは久しぶりだ。いつも気にしないように気持ちだけはすり抜けていたのに。
「気にすんなよ。男なんて適当にたかってもいいもんだぞ。ほんとにおまえは」
 何よ?
「そういうところがかわいくなくて、かわいい」
 うっわー。そんなセリフ言われたら……立原、あんたはズルい。
 こうしてキスされても抵抗できない……。

 そういえば私たちはあの時以来、キスもしていなかった。仕事に没頭しすぎて飲まず食わずを続けていた私を引き戻すために立原が強引に私を抱いたあの時以来。
 お気楽な立原はいつも私のところに来てなんだかんだとおしゃべりをしていく。だけど何もしない。 どうして……何か魂胆でも? って考えてしまう私もかなりひねくれている。意外と紳士的って考えてあげるべきだろうに。
 だけど……今の立原のキスは……やっぱズルいよ。
「パーティーの日はきれいにしてこいよ。おまえ自身のために」
 耳元で言われた立原の言葉。……そうだった。しっかり思い出させるのね。


2008.01.08掲載

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