芸術家な彼女 7

芸術家な彼女

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 仕事をするしかない。風邪をひいて寝込んでしまったが例のテーブルウェアの展示会の最終日に何とか間に合って見に行った。ちょうど社長さんがいて話をする。50代の女性社長だ。仕事で成功している人間の落ち着いた、しかも熱心な感じのするとてもすてきな人だ。
「今沢さん、センスいいわねえ。急に頼んだのにここまでうちの雰囲気に合わせてきてくれるとは思わなかったわよ。それにいい話があるんだけど。私の友達がこの展示会を見に来てくれたんだけど、彼女、輸入家具を扱っていてお店もあるんだけれど、あなたの花をぜひ飾りたいって。 自分の店を使ってあなたの展示会のようなものをできないかって」
「展示会? 私の花のですか?」
「そう、輸入家具の展示も兼ねてってことらしいけど……どう? 話、聞いてみる? 聞くからにはそれなりの覚悟で行ってもらわないと。彼女、本気みたいだから」
「ありがとうございます。ぜひお願いします。あの、私からご連絡差し上げてもいいでしょうか」
「うん、そうして。彼女も仕事先だから。これ名刺ね」
 私は両手でその名刺をおしいただくように受け取った。もう一度お礼を言ってお辞儀をする。社長さんの笑顔がうれしい。ああ、世の中いいこともあるんだわ……私にとって立原のことはいいことと言えるかどうかわからなかったが、部屋にただで住めるのはものすごいことだ。これに関してはとてもいいことだ。
 あれ以来、立原とはマンションの廊下で顔を合わせて挨拶したくらいだった。別に立原が何かを言ったり態度に表したりはしていなかったけれど。それは私も同じか。

 さっそくその輸入家具会社の社長である女性に連絡を取る。
 輸入家具の置かれている倉庫兼店舗でお会いしたのだが、奥まった別室に案内されてここがオフィスというか応接室に使われている部屋らしかったが、そこに並べられた家具に度肝を抜かれた。イギリスエドワード朝時代の家具とアールヌーヴォーの家具、調度品がいくつか。 本物だろうか、そんな失礼な考えが浮かぶ。それは私が本物を自分の目で見たことがないからだろう。でもここにあるのは本物のアンティークだ。もはや美術品と言ってもいい。
 お店のほうにはその他にもっと時代の新しいものや、アンティークとまではいかないまでも古くて雰囲気のある家具がいっぱい。
「今沢さんね。滝口です。お待ちしていました」
 社長の滝口さんという女性はまだ40歳くらいのとても美しい人だった。トラッドな感じの品のいいツインニットを着ておしゃれに隙がない。そしてなにより私のような人間にも穏やかで明るい態度。人間がこなれていることがひと目でわかる。きちんと挨拶しなきゃ。

 花のデザインや工芸を勉強する者にとってアールヌーヴォーははずしては通れないものだ。好き嫌いは別として。私も高校時代はずいぶんと図書館でアールヌーヴォーに関する本を漁ったくちだ。
 アールヌーヴォーは手強い。この花や植物のモチーフを多用した独特のデザインを生み出した芸術は私の花ではとても足元にさえ及ばない。滝口さんにはよく勉強なさっているわね、と褒めていただいたがアールヌーヴォーの家具とのコラボレーションなんて私には百年、いや千年早いだろう。
 そのアールヌーヴォーに合わせた花を、と言われるのかと思ったが滝口さんはもっと最近のイギリスの家具の雰囲気に合わせた花を作ってみてはという。滝口さんのこのお店の家具の雰囲気に合わせたものという意味だ。
 滝口さんの扱っているものはアンティークの物はむしろ少なくて、というのは人気のある本物のアンティークはもう手に入りにくいし美術品並みの値段になってしまっているアールヌーヴォーのものは商売にならないという。 一般の人でも買えるちょっと時代の古いくらいのテーブルや収納家具などを必要なら補修したりして売っているのがメインだという。
 私は滝口さんからお店の家具を見せてもらいながらかなりイメージをつかむことができた。
ちょっと古い実用されていたイギリスやヨーロッパの、補修やメンテナンスをして使い続けることのできる家具たち。どちらかといえば優美なデザインのものよりは質実なしっかりした、それでいて美しさのある職人さんの作った家具。 そんな家具と組み合わせて私の花を飾り、その花も展示後に欲しいというかたに売るようにして下さるそうだ。
 デザイン画をおこさなければ。色見本も。試作も。膨大な予定やら作業やらが私の頭の中に渦巻く。なんとか混乱しないように順序立てて考えるのが先だわ。
 私には過ぎた依頼かもしれない。でもやってみたい。私にできることを。

 これでますますこの部屋から出ていくわけにいかなくなってしまった。どうしよう。
 やっぱり立原にひと言、言うべきだろう。立原はこの部屋にいてもいいと言ってくれたけど。
 意を決して立原の部屋を訪ねた。隣の部屋を。
 立原が帰っていそうな時間を選んで来たので立原はちゃんといた。ジャージ姿で顔を出す。スポーツブランドの黒いジャージに眼鏡。でもそのジャージに眼鏡は合わないよ。
「どうぞ、入って」
 いいえ、いいですと言ったものの。
「まあ、知らない者同士じゃないんだから。どうぞ」
 知らない者同士でいたかったわ、できるなら。
「キスなんてしないから」
 なんて事言うのよ。ふん、無視してやる。今日は私が言わなければならないことだけ言うんだから。
「この前は、本当にありがとうございました、それで、別の仕事の依頼が来ているものですから、もう少しここに居させて下さい、出ていけるようになったら、必ず出ていきますので、すみませんが、お願いします」
 一気に言う。
「そう、仕事なんだ。よかったね。でも部屋のことは気にしなくていいのに」
「そういう訳には」
 立原が明らかにあきれている。向かい合って立って。
「すみません、当分お世話になります」
「まあ、いいけど……この前みたいに無理すんなよ。ほんとに心配したんだ」
「はあ?」
「すっとぼけた言い方だな。今沢さん」
 そう言われても困る。こっちが。
「とぼけていません」
「じゃあ時々電話するからな。おまえが生きているかどうか。おまえの携帯の番号はわかっているんだし」
 そうだった。前にこの人に電話している。
「電話に出なければスペアキーで中に入るからな」
 それって、脅しじゃあ……。
「入られたくなかったらちゃんと電話に出て仕事も無理をするな。わかった?」
「……わかりました」
 何で私がこんなことを言わなきゃならない? そう思ったのが立原にわかったのかもしれない。
「心配だからな」
 …………
 どう答えていいのかわからなかった。眼の前のちょっと笑った立原の顔。なんだかこっちが恥ずかしくなってきた。からかわないでよ。
 それから立原にはまた食べ物と飲み物の入った袋を押し付けられた。パンやお菓子や栄養補助食品も入っている。いらないって言ったけど立原は「いいから」と言って取り合わない。本当は自分の部屋に戻って一刻も早く仕事をしたかった。なので有難くいただくことにする。しかたがない。

 何十枚ものデザイン画。自分のイメージを固めるために。でもイメージ通りにできるなら苦労しないのだけど。
 十数種類の花を作ることにして花の色、形、さまざまな材料を考えながらデザイン画を描いていく。それにイギリスといえばやっぱり薔薇。オールドローズ、イングリッシュローズ、ティーローズ……薔薇にはちょっと自信がある。薔薇は難しいけれど私にはとても作るのが楽しい花。 その薔薇の一種類の花をまとめたもの、他の数種類の花を集めて花器に飾るようにしたもの。滝口さんのお店には花瓶や花器がたくさんあってそれも使わせてもらえる。どれも滝口さん好みのすてきなものばかりだ。
 うんと良い色が出せたら。あそこの家具に負けないような深みのある色。微妙な色の混色とぼかし具合……そんなふうに出来たら。
 あふれるような花々。色だけではないしっかりとした量。でも邪魔にならないような。からむ葉やツル、伸びたつぼみ。静かな生命感。そんな感じが出せたら……。 ああ、もどかしい。あまり退廃的な重い感じにはしたくない。全体のバランスを考えて……。
 こういったイメージの段階でも私は苦しむ。でもこれをしないと最後までイメージを持続することができない。作っていくにつれてイメージが変わってしまう訳にはいかない。特に今回は。
 立原のくれた食料がありがたかった。お腹がすけば手軽にお菓子が食べられる。それに今回の仕事は長丁場だ。日にちがかかる。


2007.12.24掲載

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