芸術家な彼女 1

芸術家な彼女

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「電気と水道は止められてないみたいですね」
「仕事ができなくなりますから」
「家賃は滞納しても?」
「必ずお支払いしますから」
「今沢さん」
 目の前の男、立原は私の名前を呼んでこつこつと指でテーブルを叩いた。
「もう半年ですよ。待つにも限度があります。しかもあなたの家賃滞納は初めてじゃない。女性をこの寒空に追い出すのは忍びないと思って今まで待ったんだ」
 恐れ入ります、そこまで言っていただいて。でも。
 立原は私が考えていることがわかったかのようにふーっとため息をついた。
「あなた、実家はあるんでしょう? ご両親がいるなら家賃の清算を頼んで戻られたらいかがですか? そうすればこれ以上滞納はなくなる。常識的な線でどうですか、そんなところで」

 常識的な男は嫌いだ。
 この家賃取り立て人はほんとうに常識的な提案をしてきた。もっとも他県に実家があって両親もいることを白状したのは他でもないこの私だ。前回家賃滞納したときについ言わされてしまっている。 立原はまだ若い男で20代後半くらいだろうか。若い割にけっこうこちらの話を引き出すのがうまい。だからしゃべりすぎないように今は気をつけている。
 しかし、この男は家主ではない。私のいるぼろいアパートの家主は何とかという不動産会社で彼はその不動産会社の系列会社、つまりこういったアパートや賃貸マンションの管理会社の社長だ。 以前家賃を滞納した時にも彼が来た。社長自らお出ましということで私は困惑したのだが、どうやら社員は社長を含めて3人だけらしい。
 立原は黒いハイネックのセーターにカシミアらしい黒いコートを着たまま私の部屋の椅子に腰を降ろしている。
「寒いな」
 私はセーターを重ね着して1枚だけ持っているコートを着ている。
 部屋の中なのに。
 電気は来ていたが暖房を使えない。たったひとつある電気ストーブはただの飾りと化している。
「熱いお茶でも飲みたいところだな」
 立原の皮肉に私は口を「へ」の字にして見返した。お湯を沸かすガスがもったいない。
「仕事、あるんですか?」
「やっています」
「ふ〜ん……」
 嫌な言い方ね。たいして働いてないんだろうって思っているのがみえみえ。でもここは
ぐっと押さえる。なにしろ家賃を滞納しているのは私の方だから。
「今沢さん」
 立原がコートのポケットに手をつっこんだまま身を乗り出した。
「どうですか、コンビニでバイトでもされたら。失礼だがあなた、たいした収入がないんでしょう?まじめに働けば確実な収入だって得られるはずです。家賃くらい払える収入がね。いっぺんに払えとは言っていません、少しずつ」
「いやです」
 私の言葉に立原が目をむいた。
「あなたねえ……」
「お願いです。もう少し待って下さい」
「待てないから、こうして来ているんですけどね」
 立原が怒らないのが不思議だった。
 私は働くのがいやじゃないんだ。ただアルバイトでお金を稼ぐ仕事を今はしたくない。もちろんその理屈は立原にはわかってもらえないだろう。

 あきれたように立原が立ちあがった。
「3日以内に退去して下さい。たまった家賃の支払いはお待ちしますが、部屋は空けてください。お願いしますよ」
 あああ、最終通告ってわけだわ……。

 だけど3日のあいだに何ができるって言うのよ。
 私は立原の黒いコート姿が消えるとぶるっと身震いした。
 1月の暖房なしはきつい。でもいいこともある。もう銭湯にだって5日も行っていないのが苦にならない。夏場だったらたまらないだろう。
 あの立原、1年前に家賃を滞納したときはそれでも待ってくれたのに。今回はもうだめだろうか……。

 地元の優良企業を辞めて東京に飛び出してきた私は実家へ戻れない。 商業高校を卒業して地元の誰もが名を知っている自他ともに認める伝統ある会社に就職して3年勤めた。あとは誰かいい人を見つけて結婚して……親だってそう思っていたはずだ。そんな生活をすべて、すべて投げ捨てて東京に来てしまった。
 自分のやりたいことをするために……。

 私は子供の頃から器用だった。絵を描くのも好きだった。
 編み物、縫物、小物作り、面白そうなものは何でも作った。料理だって好きだ。要するに何かを作るのが好きなのだ。そして本の通り、教えてもらった通りに作るのがすぐにつまらなくなってしまう。 自分でデザインを考え、作り方を工夫していく。そんなことが楽しかった。
 中学、高校では美術部でそれなりにがんばった。商業高校でクラブ活動も盛んな学校だったから地味な美術部でも静かな熱気があった。県展などにも応募したりして、とても楽しかった。 卒業後はデザイン関係に進みたいと思っていたけれど、両親は進学に反対だった。地元にはそういった学校で私が行きたいと思うような学校がなかったからだ。かといって東京の大学へ行けるほどの学力もなかったけれども。結局、就職して働いた。 いいところへ就職したわねってみんなが言ってくれるような地元では有名な伝統のある会社だった。
 働くのは悪くない。収入があるから。あんまり洋服なんかに興味のない私はたいして無駄遣いをすることもない。親元で家に食費を入れても、好きな本や手芸の材料を買っても確実に貯金が積み上がっていく。その貯金があったから東京に飛び出してこれたのだが。

 会社勤めをしていたその頃、私は造花作りを始めていた。きっかけは結婚する職場の先輩にプレゼントを、ということになって額縁のようなボードを花やリボンで飾ったものを作ったこと。披露宴の時にそれにふたりのデートの時の写真を何枚もレイアウトして飾り、木製のイーゼルに置く。 そして結婚後は結婚式や新婚旅行の写真を飾っておけるというもの。
 これはとても好評だった。写真やちょっとした思い出の小物を入れられる額を選び、取り外しできる造花を飾り、その造花も手作りで作ったから。
 もともと器用な私はぶっつけでも大抵のものは作れる。数をこなさなければプロ級にはなれないが、それでもかなりレベルの高いものが出来る。
 初めて作る造花だった。そして楽しかった。花を作るのが。

 造花は専用の布地がある。ビロード、サテン、薄絹……それを花びらや葉の形に切って、染料液で染めていく。乾いたら花びらにアイロンやハンダごてと同じ原理のこてをあてて形を作り、ワイヤーなどを使って最終的に花の形にしていく。 応用すればいろいろな形、さまざまな大きさの花を作ることが出来る。どんなに作ってもあきない。 本物に似せた花も、宇宙でたったひとつの色と形の花も作ることができる。
 独学ではあったけれど手当たり次第と言っていいほど私は花を作ってきた。そして今も花を
作っている。それを仕事にしている。そのために東京へ出てきたのだ。
 しかし造花作りは流行ってない手芸らしい。 昔はかなり盛んだったらしいがそれは私の母くらいの年代の人たちの話だ。今ならビーズとかパッチワークとかそういったものが流行りで、手芸店でもそういったものが目につく。それに造花なんて百円ショップへ行けば山のように売っている。 手作りのものとは違うけれども安価に手に入るものをわざわざ作るのは今の世の中では逆行しているのかもしれない……。

 それでも家賃のことも立原のことも忘れて私は花造りを再開した。集中力には自信がある。自分で言うのはなんだけど。電気も水道も生活のためではなく、仕事に必要だから死守しているのだ。暖房がなくて悪かったわねっ! とひとり悪態をつく。

 それから3日後、出来あがった花を持って依頼主へ納めに行った。インテリア会社のディスプレイに使うという花。市販の造花で済ませない、そんな高級な雰囲気に合わせた花だ。代金の3万円を受け取る。
 ああ、よかった。これで何か食べられる。家賃を支払えるほどではないのが悲しいが、だからと言って食べないわけにもいかない。

 しかし! 何?
 アパートへ戻って来るとドアの外に見たこともない鍵が付けられている。私のキーでは開かない。そして1枚のメモがドアに貼ってある。
「退去をお願いします。 立原  連絡先***−*****」

 はああっ? こんなことしていいの? 退去って、私の物は中にあるんだよ! ちょっと開けなさいよ!!
 ガンガンとドアを叩いたが中に誰かいるわけじゃなし。ちっきしょー、閉め出しなんてよくもやってくれたわねえ、立原!

「お戻りですか」
 立原はすました顔で言う。
 あれから連絡先に電話して立原の事務所を聞いてやってきた私。
「……何であんなことするんですか?」
 ぜー、ぜー。
「言ったはずですよ。退去をお願いすると。今日までにね」
「今日はまだ終わっていません! それに、それに中に入れないんなら私の荷物はどうするんですっ?」
「おや、荷物を持つつもりでしたか」
 がーっっ、中の物は私の物でしょったら! はー、はー。
「家賃分として置いていってもらってもいいんですよ。足りませんけどね」
 ちょっとぉぉ! 私の身の回りの物なんて換金してもタダ同然でしょ。あんたもそれ、わかっているくせにわざとやってるな! そんなに追い出したいのかあぁぁぁ……!!

 私の興奮に拍車をかけるように立原がにやにやする。確信犯だ、こいつ。
 しかし。しかし。
 部屋の中には貯金通帳や印鑑もある。預金はとうになくなっているけれど、それに仕事道具。材料。それらを思い出して一気に私の血圧が急降下した。預金通帳よりも印鑑よりも仕事の道具類。あれがなければ……。
 急に黙りこんだ私に立原が片眉を上げた。じっと見ている。
「……わかりました。出ていきます。でも本当に仕事道具がないと困るんです。いったん部屋を開けてもらえませんか」
 OL時代に身につけた精一杯のお仕事口調で言う。なるべく事務的に聞こえるように。
「そうですね。そのくらいは。じゃあ行きましょうか」
 立原がコートを片手に立ちあがった。車のキーを持っている。
 そのまま立原がドアを開けた車に乗り込む。黒いセダン。立原が助手席のドアを開けてくれたからそのまま乗ってしまったけれど、なんで私が助手席に乗らなきゃならないのよ! 後ろに乗ればよかった。
 運転している立原をなるべく見ないように前を向いている。立原はなんか気楽そうだ。いいわよね、あんたは。


2007.12.07掲載

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