窓に降る雪 13

窓に降る雪

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13


「きみの……お母さん」
 高宮は驚いたが、驚きの中で今までの事が一気に納得できた。 納得したところで彼は事の重大さに気がついた。雑誌の記者が三生(みおう)のまわりをうろついていたのもそのせいか。アメリカの女優の娘だということがわかればマスコミは放ってはおかない。現に記者がうろついている。
 キャスリーン・グレイは昨年は他の映画が大ヒットしていて、さっきの書店で流されていた予告編はその映画のシリーズ2作目だ。第1作は彼も見ていてその女優の顔も知っていたが、目の前の三生の顔とは結び付かなかった。アメリカ人の、華やかな女優の顔とは。

「ごめんね」
 三生が高宮を見つめながらそう言ってあやまった。彼女が何をあやまっているのか高宮にはわからなかったが腕を伸ばすと彼女を引き寄せて思いきり抱きしめた。 細い彼女の体が腕の中へすっぽりと納まる。
「……苦しいよ、高宮さん」
 少し腕の力をぬいて抱き直す。
「どうして早く言ってくれなかった?」
 三生は首を振った。彼には言えなかった。言いたくなかった。
「だからあんなことを言ったのか。私に会いたくないと。私が迷惑するとでも?」
「だって!」
 三生は思わず叫んだ。
「あなたに心配かけたくなかった。キャスリーンはわたしの母に違いないけれど、父と母はわたしが赤ん坊の時に別れてしまっているし、わたしは日本育ちで母に会ったことはないんだ。血が繋がっているというだけであれこれほかの人に詮索されたくなかった。 もし、わたしがキャス
リーンの娘だってみんなに知られてしまったら……」
「たとえそうなっても私の君に対する気持ちは変わらない」
「だけど……」
 高宮の顔が近づいてきた。抱きしめられているので抵抗できずそのまま彼の唇が三生の唇に触れてくる。三生の体の緊張が彼の腕を通して感じられていたが高宮はかまわずキスを続けた。 唇から頬へ、こわばっている三生を慰めるようにやさしく、そして強く。
「本心じゃないだろう? 会いたくないと言ったこと。嘘だと言うんだ」
 いつにない彼の強い言い方に三生の頬が震える。
 本心なわけがない。こんなに好きなのに。
「嘘……うそよ。あなたが好き……だから……」

 高宮は三生が泣きだしてしまうかと思ったが三生は泣かなかった。 彼女を抱く腕に力を込めたが、しかし三生の不安げな瞳を見て彼女の首筋にくちづけを落としてしまいそうになるのを理性でこらえていた。
「お母さんのことは心配しなくていい。君にいやな思いはさせない。私にも力にならせてほしい。いいね?」
 ああ、彼がそんなふうに言ってくれるのがわかっていたから黙っていたのに。
「どうしたらいいの……」
「雑誌社が知っているのなら他のマスコミも知っているかもしれない。ちょっと危ないな」
「どうして。父もわたしも騒がれるのは困るよ」
「確かに。でも彼らはそうは思っていないみたいだね」
 三生の顔に不安が走る。 いままで何十回となく考えてきたが何の解決方法も見つけられな
かった。ただおとなしくして騒ぎが収まるのを待つしかないのだろうか。そんな三生に高宮が力づけるように言う。
「大丈夫だよ。私にならいろいろと打つ手もある。私を信じて」
 やさしい笑顔だった。そのやさしさに三生は思わず息をのんだ。大人である彼のやさしい態度が今までの不安を消し去ってくれている。三生はすべてを彼に預けてしまいたいような気がした。
 すべてを彼に預けて……。自分も……自分の体も……。
 しかしその考えを打ち消すように三生はただ首を振る。自分は何も出来ないのにそれでは逃げになるのではないかと言い訳のように心の中で思うのだった。
「大丈夫だよ」
 もう一度高宮が言った。

 高宮は翌日急いでキャスリーン・グレイの来日予定を調べたが、白広社はキャスリーンのCMにも新作映画の宣伝にも関わっていない。高宮は舌打ちする思いだった。白広社が関わっていればもっと簡単にキャスリーンのエージェントに連絡が取れる。 それでもいろいろと手を回して調べてキャスリーンの来日がまだ微妙な段階であるらしいことがわかってきた。
 高宮は並行して三生のまわりをうろついている記者と雑誌社を調べさせたが、こちらは簡単にわかった。 芸能人や有名人をねらったパパラッチまがいの写真とスクープ記事を載せる雑誌だった。
 こいつらはいったい何を狙っているのだろう。三生の写真か。いや、ただ三生の写真なら簡単に撮れるはずだ。いくらでもその機会はある。しかし三生はまだ未成年だし、芸能人でもない。キャスリーン・グレイの娘だというだけで写真が載せられても当然個人の、 それも未成年者のプライバシー侵害になる。たぶん彼らが狙っているのは来日したキャスリーンと三生が会っているところだろう。
 しかしまだキャスリーンは日本へは来ていない。三生にはキャスリーンと会う気は全くないらしかったが記者にまわりをうろつかれているということは三生の気持ちに揺さぶりをかけられているのと同じことだ。今は三生にその気がなくても事はどうなるかわからない。
 高宮は三生の父にキャスリーンとの連絡がとれるか聞いてみようと思ったが、三生は母とは一度も会ったことはないと言っていたのを思い出して迷っていた。
 キャスリーンの映画の宣伝を他の広告代理店が行っている以上、高宮が動くのはまずかった。スクープ雑誌のほうは圧力をかけるか必要なら金を用意してもいい。しかしまだ具体的にスクープされたわけではなかったからしばらく様子を見る必要があった。

 高宮は三生から電話がくるのを待っていた。
 この前、ひんぱんに電話をするように三生には言ってある。三生には大変な思いをさせてしまうかもしれないが今はそれどころではない。 やっと三生から電話があり高宮は父の順三に古い友人がいるか尋ねることができた。
『父の? でも……わたしが知っているのは、父がお世話になっている文芸四季編集部の三崎さんという人が学生時代からの友だちです』
「文芸四季編集部? 文芸四季社の?」
『はい。父の受賞パーティーにも来ていたから……』
 幸いなことに文芸四季社は白広社の顧客だったが、しかし高宮は文芸四季編集部長の三崎とは面識がなかった。
『あの、父になにか?』
 三生が心配そうに言う。
「いや、大丈夫だよ。今、例の雑誌のほうに手を打っている。いざというときのために私もお父さんの知り合いを知っていた方がいいだろう。編集部の人ならちょうどいい」
 高宮は巧みに言ったが彼は三崎にキャスリーンの事を尋ねるつもりだった。個人的な用件でと断りをつけて三崎と会う約束をしたのだった。

 三崎は黙って話を聞いていたが、高宮が三生がスクープ雑誌に狙われていること、キャスリーンの来日予定があることなどを話し、キャスリーンの来日を止めさせたいために彼女と連絡を取りたいのだと言うとやっと警戒の色をゆるめてくれた。しかし三崎は核心を突いてきた。
「高宮社長、なぜあなたがそこまでするのです?」
 高宮が三崎の目を見ながら躊躇なく答えた。
「将来、吉岡三生さんと結婚を考えています」
「……三生ちゃんと。ああ、君に呼び出された時から変だと……いや失礼、君のような人がなぜ吉岡のことで私に会いたがるのかわからなかったんだ。そうか、三生ちゃんと……おい、しかしあの子はまだ高校生じゃないか。つきあっているのか?」
「彼女を愛しています。だから三生さんや吉岡先生が世間に晒されるようなことになってほしくないのです。キャスリーンの娘だと騒がれて追いかけまわされるようなことになったら彼女の生活にも将来にも影響があるでしょう。なにより彼女はそれを望んでいません」

 はあーと三崎がため息のような声を出した。煙草に火をつけて一服しながら考える。 愛しているなどと堂々と言いきってしまう目の前に座っている若い男を見た。この男が吉岡三生を守りたいと言っているのは本気のようだったが、それにしても。
「高宮社長」
 三崎は煙草を消した。
「キャスリーンのことは吉岡へ言ったらどうだろう。あなたから見れば吉岡は世間にうとい作家バカみたいに見えるだろうが、彼は昔はそうじゃなかった。今のキャスリーンのことも充分承知しているはずだよ。三生ちゃんのためなら彼は連絡をとるだろう。 私から吉岡にそうするように言うよ。あなたから言うよりもいいだろう」

 高宮は三生や父の順三のこれまでのことをすべて知っているわけではなかった。三生に聞く限りではあのふたりは完全にキャスリーンとは違う世界を生きてきたようだったが、三生の知らないこともいろいろとあるに違いない。
「確かにキャスリーンには吉岡先生が連絡されたほうがいいでしょう。お願いします」
 三崎はああ、いいよと答えてまた煙草に手を伸ばした。
「スクープ雑誌のほうは押さえるつもりかな?」
「はい、そのつもりです」
「どうやって?」
 三崎がまた火をつけて煙草の煙に目を細めながら尋ねた。
「私にも仕事柄いろいろなつてがあります。必要なら金を用意してもいいと思っています」
「……カネか。それはやめたほうがいい」
 三崎がふーっと白い煙を吐き出した。
「高宮社長、あなたが三生ちゃんのことを守りたい気持ちはわかる。しかし、スクープ雑誌のほうは慎重に。ああいう記者はね、記事だけじゃない、金を目的にもしているんだろう。スキャンダルはときには記事よりも金になる。三生ちゃんの相手が高宮社長だとわかったら 記事を載せないかわりに取引きを持ちかけることもありえるかもしれない。 金を出せる相手ならね。しかし金を払っても、いや、金を払ったことが他紙にすっぱ抜かれない保証もない。それこそスキャンダルだ。わかりますね」

 高宮は歯を食いしばった。
 三生が記者に言われたこと。……高校生で会社の社長とつきあって……パトロンとしてもあれくらいの会社の社長なら。
 三生はこのことを言うのをひどく嫌がった。しかし高宮は必要なことだからと、なんとか三生から聞き出したのだった。
 言われたのが三生ではなく自分だったら記者を張り倒していただろう。 あの記者が自分にではなく、わざと三生へ言って彼女を侮辱したことが許せなかった。三生には悟らせなかったが怒りに体が震えて、あんな雑誌叩き潰してやるとまで思っていた。 ここまで高宮を怒らせることは他にはないだろう。
「失礼を承知で言ってしまったがね」
 三崎の言う通りだった。まだまだ自分は甘かった。頭に血がのぼっていたと言える。あの記者の横っ面を殴って金で有無を言わさず雑誌を潰す、そうできれば金など安いものだと思っていたのだ。三崎に言われなければ考え直すことはできなかっただろう。
「いいえ、ご助言ありがたく肝に銘じます。ありがとうございます」
 高宮は頭を下げた。

「三生ちゃんが嶺南学院に入ったわけを知っているかね?」
 いきなり三崎が尋ねた。
「彼女が中学に入る前にも噂になったことがあるらしい。アメリカの女優の娘だってね。ほら、『午後の微笑』っていう映画が公開されたあとで……その時はたいしたことはなかったらしいが吉岡はそれで三生ちゃんを全寮制の嶺南へ入れたんだよ。あそこは尼寺並みに厳しいし」
 そんなことがあったのか。
「尼寺といえば、よく三生ちゃんとつきあえたな。連絡を取るだけでも大変だろう」
 三崎の目が笑っている。
「はい、苦労しています」
 高宮が正直に言うと、あははと三崎が笑い声を上げた。少なくともここに三生の力になってくれる人物がひとりはいる。それが高宮にはうれしかった。


2007.09.28掲載

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