窓に降る雪 12

窓に降る雪

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12


「さっきの専務の顔を見た?」
 車へ乗ると高宮はおかしそうに言った。
「高宮さんがあんなことをするなんて」
「いいんだ、あの専務話し好きでね。話しだすと止まらないから会議も時間がかかる。あのくらいしないと解放してもらえないよ」
「わたしはすごく恥ずかしかった」
「ごめん。でも君と帰りたかったから。三生をひとりで帰したくなかった」
「予定を変えさせちゃったね。わたしのせいで」
「変えついでに明日も空けた。会えるだろう?」
 すぐに高宮は言い継いだ。
「いや、会わないほうがいいかな。また具合が悪くなると困る」
「今日はちょっと電車に酔ってしまっただけ。もう大丈夫」
 三生がやっとほほ笑んだ。
「ありがとう」
 高宮は学校の近くの駅まで送ってくれた。学校のそばまで送ると言われたのだが三生は高宮が寮の門の前へ車をつけてしまいそうで、どうしてもと言って駅にしてもらったのだ。
「明日ここに迎えにくるよ。待っている」

 門限には余裕で間に合う時間だった。まわりに誰もいないようなのでほっとしながら三生は学校の門へむかったが、むこうから男が歩いてくるのに気がついた。振り向いたがすでに駅で別れた高宮の車が見えるはずもなかった。 やはりあの記者だった。
「今、お帰りですか」
「何ですか? 人を 、人を呼びますよ」
 記者は三生との間合いを保っている。
「お嬢さん、今日はわたしがお供をしていたのが気にいらなかったようですねえ。だがまあ、こちらもまだ本気じゃないんでね。それより」
 記者がおもしろそうに言う。
「一緒にいたのは白広社の社長だろう。そういえば受賞パーティーのホテルでもあの男がいたような……。最近の高校生はすごいねえ、やることが。大会社の社長とつきあうなんて。いや、それともむこうから迫られたのかな?  パトロンとしてもあれくらいの会社の社長なら」
「な……!」
 なんてことを言うのだ。この人が高宮さんのことを悪く言う何の理由がある? ひどすぎる。
 あまりの悪意に三生は血の気が引いて行った。自分が男ならこの人を殴れるのに。つかみかかれるのに。 ぐっと唇をかんで三生は急いで門の中へ入った。走る三生の背中へ何か言われたような声が聞こえたが三生はもう聞きたくはなかった。とにかくあの記者から離れるしかなかった。

 次の日に高宮と会うのは気が重かった。彼には会いたいが寮から出歩くのが今はためらわれた。
「三生?」
 何度目かの彼の声に三生ははっとした。
「どうしたの? もしかしたらまた具合が悪いのかい?」
「あ……、ううん、違う」
「じゃあ、どうしたんだ。元気ない?」
 ああ、いっそ具合が悪いと言ってしまえばよかった。三生は言い訳を探しながらこっそり目に手をあてた。

 ゆうべはあまり眠れなかった。
 いろいろなことがあった1日のとどめがあの記者の言葉だった。 とげのように三生に刺さった言葉がひどくつらい。なぜあの記者は高宮さんのことまで悪く言うのか。もしわたしが高宮さんと会っていなかったらあんなことを言われずに済んだのだろうか。
 これから先、まわりの人たちにふたりがつきあっていることが知られたらもっといろいろなことを言われるかもしれない。ふたりは10歳以上も年が離れている。高宮さんは大会社の社長で……それに、……あのことは。 彼があのことを知ったら、ううん、世間に知られたらきっと彼に迷惑がかかるに違いない。わたしのために彼にまで迷惑がかかる。
「どんどん落ち込んできた……」
 三生は自分でそう口にしてみた。ベッドの上でそう言えることだけが慰めだったが本当は落ち込んでいる場合ではない、落ち込んでいても何も変わらない。ではどうしたらいい?

 ……もう彼に会うのはやめよう。
 わたしは彼にふさわしい恋人にはなれない。しかし、そう決心しても高宮にそれを言わなければならないのだ。眠れぬままに三生はベッドで転々とした。
 言えないが、言わなければならない……。

「ほんとうに何でもないの」
「だが」
 三生が高宮に聞こえるようにため息をついた。
 気まずい雰囲気が流れる。
 今日の三生は会ったときから変だった。昨日の今日で高宮は三生に会えるのを楽しみに来たのに、三生はあまり目を合わそうとしない。昨日のことを気にしているのだろうか。

「三生」
「もういいの。わたしに気をつかわないで」
 三生は高宮と入った銀座の書店の出口へ向かった。最近新装されたその書店の大きなフロアにはワイドスクリーンが据え付けられ映像が流されていた。話題の映画の予告篇が流されてまわりには 映画関連や芸能関連の書籍や写真集、雑誌、DVDの膨大な量が整然と並べられている。 ワイドスクリーンに繰り返し流されているのはハリウッドの新作映画、昨年大ヒットした映画の第2作ものの予告篇だ。主演V・ハワード、K・グレイ、J・ビンセント……。
 どうしてこんな時に彼女の映画が流れるのよ。
 車のテレビCMといい、映画の公開を前にして集中的に彼女の映像が流される。高宮もきっと目にしているに違いない。ふと三生はあの車の一連の広告は高宮の会社で扱っているのだろうかと考えてしまった。
「ごめん、出よう」
 高宮の返事を待たずに通り過ぎようとして並べられた雑誌の表紙に目がとまりぎょっとして立ち止まる。無意識に雑誌を手に取った。 そこにはキャスリーン・グレイの初来日を予告する見出しが載っていた。
「三生?」
 雑誌を持つ三生が動かない。そして三生の顔色が変わったのを高宮は見逃さなかった。
「どうした?」
「……何でもない」
 しかしそれから三生はふっつりと黙り込んでしまった。高宮に不審に思われているのがわかっているらしいが何も言わない。高宮も無理に話しかけなかったが三生の様子はどう考えてもおかしい。 そのまま書店を出て近くの駐車場で高宮の車に乗る。
「待って、走らないで」
 エンジンをかけた高宮を三生が止めると高宮が何かを言う前に三生は続けた。
「私たち、いえ、わたし、考えたいことがあるの。しばらく会わないようにしよう。電話もしない」
 決められたセリフのように三生が一気に言う。
 ゆっくりと高宮が三生へ向き直った。その彼の視線をできれば避けたかった。心臓が締め付けられるようだった。
「いったいどうしたんだ」
 しかし三生は答えない。
「さっきの君の様子……何があったんだ? 最近の君はちょっと変だ」
 答えられないよ……。だが三生は無理に口を開いた。
「高宮さんとつきあうのが大変になってきたの。勉強もあるし、だから……高宮さんもわたしとつきあうのは大変だと思う。……わたしとつきあうなんて面倒臭いでしょ?」

 高宮が無言で車を出す。しばらく走ってやっと彼は言った。
「本気でそう思っているのか」
 急に高宮がハンドルをきってUターンをした。彼らしくない荒っぽいハンドルさばきにシートに体が押し付けられて驚いている間もなく車のスピードがあがり三生の知らない道を走る。
「どこへ……」
 三生が聞いても高宮は答えてくれない。
 やがて郊外の高い塀に囲まれた一軒の家の敷地内にある駐車スペースに車が止まるとインターホンの電話で高宮が何かを言い玄関をあける。
「ここは私の祖父の家だ。といっても祖父は今、別荘へ行っているけどね。だから留守番の人がいるだけだよ。どうぞ入って」
 高宮は言うが誰も姿を現さない。彼はどんどん入っていく。三生は玄関で立ち尽くしたままだ。彼が振り返った。
「大丈夫、話を聞かせてもらうだけだよ。他人に聞かせる話じゃないだろう」
 確かにその通りだった。それは三生も心の中で認めるしかなかった。

 家の中は静まり返っていた。応接間はしんと静まり何の音も、時計の音すらもしなかった。 ソファーへ三生を座らせると高宮もとなりに腰をおろして三生に向き直った。
「君は自分がどんなに変か気がついていないだろう。急に会わないなんて言いだして。昨日のことを気にしているのかい? それより」
 高宮は三生の手を取った。三生の手が冷たい。
「この間からの記者の事といい、君の様子といい……何があったんだ?」

「三生、いったいどうしたんだ。わけを言って欲しい」
 三生は彼から顔をそむけた。ああ、もう心が崩れそうだ。
「前に……家へ記者の人が来て……でも、父は取り合わなくて……取材拒否して……」
「どうして君のお父さんが取材を受けるのを拒否するんだ。いったい何の取材だ?」
 高宮の表情が疑念でくもっている。
「君が思っていることを言って欲しい」
 三生の手を握る高宮の手にゆっくりと力が込められた。彼の手のあたたかさが心にこたえる。
「三生」
 沈黙の後でやっと三生が口を開いた。
「『午後の微笑』っていう映画、知っている? アメリカの」
「……ああ。見たことはないけれど何年か前の映画だね」
「キャスリーン・グレイっていう人が主演していたでしょ。あの人なんだ」
「何が?」
「わたしの母」


2007.09.25掲載

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