窓に降る雪 9

窓に降る雪

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 父に記者の事を言われてから三生も注意をしていたが何事もおこらなかった。このまま夏休みが終わってしまうかと思えた。

「断る。帰りなさい」
 玄関から聞こえてくる父の大きな声に台所にいた三生は顔を上げた。 そして何かを言う男の声と玄関の戸を閉める音。台所から廊下へ出た三生に玄関から戻ってくる父の姿が見えたが、滅多に大きな声を上げない父の顔が憤りを現していた。
「お父さん……」
 父は三生のほうに何でもないといったふうに首を振ってみせたが、三生は父が前に言っていた記者が来たのだと直感した。父がこんなに怒るのは他のことではない。
「おや、お昼か」
「……うん。今、運びます」
 三生が台所から居間へ食事を運んで並べる間、父は渋い表情で煙草を吸っていたが皿が並べられて三生も座ると気を取り直したように食べはじめた。
「お父さん、さっきの人、記者の人でしょ?」
「そうだ。でも気にすることはない。おまえも絶対にとりあっちゃダメだからな」
「はい……」
 どうして記者は家にまで押し掛けてきたのだろう。黙って食べながら三生はもうすぐ夏休みが終わってしまうからのような気がした。もしかしたらわたしが家にいる時を狙われたのかも? 父は何も言わないが、こんなことが前にもあったのだろうか。
 翌週、三生が学校へ戻る前に父から言われた。
「必要以上に神経質になる必要はないが、寮から外出するときは気をつけるようにしなさい。高宮君と会うのはかまわないとお父さんは思うがね。だが彼に迷惑がかからないようにしなさい。なにかあったらお父さんに連絡するんだ」
 高宮と会うのはかまわない、と言った父の言葉。父は高宮との交際をどうこう言っているのではなかったが、彼に迷惑がかからないように……。三生は学校へ戻った9月の最初の日曜日に高宮と会う約束をしていた。もう約束してある。
 三生の心配そうな顔を見て父は付け加えた。
「高宮君は大きな会社の社長だ。社会的な立場もあるだろう。彼は他人にとやかく言われて気にするかどうかわからないが、だが女子高生とつきあっているなんて聞けばおもしろがる人も多い。そんな世の中だ。記者のことも含めて気をつけるにこしたことはないよ。いいね」


 土曜日の夜、高宮はあるパーティーに出席していた。
 仕事がらみで招待されていたパーティーだったからこれも仕事のようなものだ。 あいさつが終わって談笑しながらまた社交辞令。土曜日だというのにこんな仕事のようなパーティーで高宮はうんざりしていたが顔には出さず妥当な挨拶をこなしていた。
「高宮雄一さん」
 フルネームで呼んできたのは若い女性だった。
「こんばんは、どちらかでお会いしましたか?」
 その女性がにっこりと笑みを浮かべて答える。
「あら、お会いするのは初めてですけど、お忘れですの? 中村加奈子です」
 ああ、J銀行の中村頭取の娘だ。祖父のところで見た写真はちらっと見ただけだったので顔は憶えていなかった。
「いや、失礼しました。加奈子さんはおひとりですか?」
「ええ、父も一緒に来ると言っていましたがちょっと都合が悪くなって。だからひとりできてしまいました」
 ある会社のパーティーだが若い娘が仕事がらみではなくて来るとは。
「お連れのかたもいない?」
 それを言ってから高宮は内心後悔した。
「ええ、だから高宮さんが一緒にいてくださるとうれしいのですが。だめかしら?」
 加奈子の若い女性らしい甘えを含んだような語尾。しかし礼儀としてノーとは言えない。こちらも連れがない。
 まあ、この場だけ一緒にいてやればいいだろう。エスコートするほどでもあるまい。そう思いながら加奈子が飲み物を手に取るのにつきあって高宮も水割りのグラスを手に取った。
「こうして高宮さんにお会いできるなんて。父からの話をお断りされて、わたし、すっかり落ち込んでしまいました。だってわたし、高宮さんを以前お見かけして以来いつか絶対に高宮さんと結婚したいって思っていたんですもの」
「お嬢さん、そうおっしゃっていただけるのは光栄ですが……」
 はっきり言う加奈子に高宮は困った視線を送った。
「ええ、存じ上げています。他に好きなかたがいらっしゃると。でもそんなの気にしないと言ったら?」
 なんだ? このひとは。高宮は内心閉口する思いだった。父親の頭取と似たもの親子か。好みじゃないな。
 しかしそれでも加奈子にはいやな顔をせず、さりげなく話をはぐらかしながら高宮はパーティーの最後まで一緒にいてやった。成り行きで加奈子を家の前まで送っていったが、また会いたいという加奈子に丁重に、しかしきっぱりと断った。 一瞬加奈子が怒ったようだったが高宮はもはや相手をせずに父親の頭取が顔を出す前に自分の車へ乗り込んでしまい、もう車に乗ったら加奈子のことなどどうでもよかった。明日は三生と会う約束をしている。邪魔されたくはなかった。

 高宮は私鉄の駅のロータリーに車を停めて時計に目をやった。もうすぐ約束の時間だ。いつも三生がやってくるほうを見ながら車の中から出ようとしたその時に彼女の姿が見えたが、 三生は後ろを気にしているようだった。いつもと様子が違う。車を降りて声をかけようと思ったが、それより早く三生がタクシー乗り場へ行き彼女がタクシーへ乗ると少しの差で後ろから来た男がタクシーに近寄った。
 高宮は車から降りるのをやめて中から見ていたが、タクシーが走りだすと自分の車をスタートさせてタクシーの後につけた。ちらりとさっきの男のほうを見ると三生の乗ったタクシーを立って見ていた。駅前の交差点を直進してタクシーは走っていたが高宮は見失わないように後をついていき、 1台の車がタクシーとの間に入ったが、そのまま5分ほど走るとタクシーは左ウィンカーを光らせて大きなショッピングセンターの駐車場へ入っていく。そのまま高宮も後に続いたが、日曜日のショッピングセンターは混んでいて駐車場の入口はのろのろと車が進んでいた。
 やっとタクシーが駐車スペースではなく店の前の通り抜けの道へ入っていって止まると三生がタクシーから降りてあたりを見回している。高宮の車が後から来ていることに気がついていないようだった。早足で歩きだした三生を追いながら高宮は車を近づけて停められるところまで行く。
「三生」
 車の窓を開けて声をかける。車が近づいたところでやっと三生は気がついた。 一瞬ばつの悪そうな困ったような顔をしたが高宮が「乗って」と声をかけるとすばやく助手席へ座った。
「ああ、びっくりした。高宮さんの車でよかった」
「駅で君がタクシーに乗るのに気が付いてね。ついてきたんだ」
「そう……あの、なんか変な人についてこられて。雑誌の記者みたいだった。だから駅で高宮さんの車に乗らないほうがいいんじゃないかと思って」
「記者? この前の?」
 三生は首を振った。
「ううん、ホテルで会った人とは違う人。でも雑誌の取材でどうのこうのと言っていた。ついてこないかな?」
「大丈夫、あの男は駅であきらめたみたいだよ」
 高宮は運転をしながら考えた。
「私の車に乗らないほうがいいと言っていたね。気をつかってくれたの」
 三生がにこっと笑う。
「高宮さんにもだけど、自分にも。うちの学校、男女交際がわかるとうるさいんです」
「ははあ、なるほど」
 そう言ったがたぶん三生は高宮とのことまで記者に詮索されるようなことになるのを警戒しているのだろう。
「私はかまわないよ、受けて立つよ」
「雑誌社を? うちの学校を? でも学校だと勝ち目はないなあ。わたしはまだ退学したくないよ」
「記者は学校へは来ないだろう?」
「もちろん、来ても入れてもらえないし。だから学校から出ないほうがいいかもね。彼らがあきらめるまで」
「それじゃ私も三生に会えないじゃないか」
 高宮がわざと怒ったふうに言うと三生はうつむいて肩が震えている。笑って、いや笑いをこらえている。
「そんなこと言われるとすごくうれしい。そうだよね、今日だってやっと会えたのに」
 高宮は手を伸ばして三生の手を握った。
「うまく君をひろえてよかったよ」
「いろいろ考えていたんだ。また記者に会ったらどうしようかと。あたふた逃げるだけじゃつまんないから、うまくまいてやろうかと思って」
 三生はいたずらっぽく言った。
「あの記者たちは何を取材したいのかわかる? 心当たりは?」
 高宮は疑問に思っていたことを口に出した。
「わからない。作家の娘だから? そんなことないよね」
 三生は肩をすくめた。
「わたしは尋香のような芸能人じゃないし、わたしのことを書いたってしょうがないと思うけど」
 三生の言うとおりだった。
 しかし記者がまとわりついているのは何か理由があるからだろう。何のネタもなくスクープ雑誌らしいその雑誌の記者が動くはずもない。高宮はそう思ったが黙っていた。
 三生は何も気にしていない顔つきだった。穏やかに話すいつも通りの会話。高宮も自分の知らない三生親子のプライベートに踏み込みすぎる気がしてそれ以上は何も聞かなかった。
 しかし本当はそれが三生の演技と言わないまでも、高宮に心配させまいとして彼には何も言わなかったのだと後から気がつくことになったのだが。

 三生はそれ以上高宮が何も聞いてこなかったので内心ほっとしていた。 せっかくのデートでこんな話を続けるのはいやだ。夏休みの間はいつもよりずっと会うこともできたがまた会えない日々が続くだろう。わたしが高校生のあいだは仕方がないんだ。三生は高宮に会うとかえって後がつらくなることを感じ始めていた。
 公園の駐車場に車を停めてまだ暑い日差しを避けて木陰を歩く。さりげなく手を差し出した高宮の手を三生は軽く握った。
「もっと会えたらいいのに」
 つい三生の本音が出た。
「私が言いたいことを言ってくれるね」
「高宮さんも? そんなことないでしょう」
 ちょっと深刻な雰囲気になりそうな気がして三生は違う方向へ話を向けた。
「きっと高宮さんのまわりにはすてきな女の人がいっぱいいるんだ。大人で……仕事ができる人が」
「うーん、そりゃいるけれどね。だけど君とは違うよ」
「どう違うの?」
 高宮が苦笑した。
「そんなことが聞きたいの。美人で仕事ができる有能な人もいるよ、会社だからね。みんながんばってくれている。でも人を好きになるのはそれだけじゃない。だから社長だからというだけで私を好きになってもらっても困る」
 そこに真実の愛がないとは言わないが。
「三生は三生だ。ただそれだけでいいんだ。私には」
「……そのままでいいってこと? でもそしたらわたしはずっと高校生だよ」
 高宮は吹き出した。
「それも困る」
 高宮の瞳が笑っている。
「君は時々すごくおかしいことを言うねえ。本当の事を突いてくるのに」
「わたしはまじめに話しているんだけど」
「もちろんわかっているよ。そんな君が好きなんだ」
 いつかその気まじめさが彼女を苦しめることがないように守ってあげよう。高宮の内心の思いを知らないように三生は言った。
「高宮さんが社長でなかったらいいのに」
 とうとう言ってしまった。
「そんなことを言うのは君しかいないな。だから私は三生が好きなんだ」
 車へ戻ってまた高宮は尋ねた。
「会えないのがつらいかい? 私もそう思う時があるよ。いつも君のことを考えている」
「うん……」
 高宮の腕が三生の体へまわされると一瞬、三生はひるんだが高宮の腕はやさしく、しかし有無を言わさない感じだった。 高宮が無言でその三生のあごを上げさせた。
 あ、と三生が思う間もなく唇がふれあった。あごをあげられて頭を後ろにのけぞらせるようにされているので三生の唇が開いてしまう。初めて彼の舌と息遣いが直に感じられた。
「みおう……」
 彼が好きになるほど彼に触れてもらいたくなる。いつか彼と……。思わず三生が震えた。 それがわかったのだろう。高宮が三生を離して笑顔を見せた。
「待っている。君が望む時まで……」
 わたしの望む時って? 三生は考えたが、それはまだ三生自身にもわからなかった。


2007.09.20

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