窓に降る雪 3

窓に降る雪

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 その日の夕方、三生は寮から父に電話をしていたが話のついでのように父が文学賞を受賞したよと言う。
「え、風間文学賞?」
 それは三生も知っている有名な文学賞だった。
「お父さん、なんで早くそれを言ってくれないの。おめでとう」
 三生は心から言ったが父はあまり有難そうではなかった。
『今日ちょうど連絡があってね。やれやれ、取材やなんかがもう山のようさ。受賞パーティーもあるらしい』
 父はそういうのが嫌いだった。しかし風間賞受賞ともなればそれなりの取材にも応じなければならないだろう。 アメリカ文学者で小説のほうは寡作の父だったので今までこんなに注目を浴びたことはない。
「断れないの?」
『今回はね。担当の吉沢くんがえらくはりきっている。まあ、出版社にはいろいろ世話になっているから。おまえも来るかい?』
「え? 受賞パーティーに? いやだなあ、行かないよ。お父さんが受賞したんでしょ。わたし
じゃないもん」
 電話のむこうで父は笑っていた。
『まあそうだがね。気が向いたらおいで』

 三生は翌日学校の図書館の新聞の置いてある一角へ行って父の受賞の記事を見つけると司書の先生に頼んでコピーを取らせてもらった。 父は受賞にまつわる対応や取材にうんざりしているといった感じだった。今まで雑誌の対談などもほとんどしたことがなかった父だから今回のことは大騒ぎに感じているのだろう。
 三生は父が騒がれることが嫌なのは知っていたが父の作品が評価されて賞をもらえたと思うとやはりうれしかった。ひと月ほどして出版社から受賞パーティーの招待状が届いたが、きっと父の担当編集者の吉沢に父が 頼んで送ってもらったのだろう。三生はこの前電話では行かないと言っていたのだが、本屋で父の本の帯に「風間文学賞受賞」という文字を見つけて以来
ちょっと父の晴れの姿を見たくなっていた。父の本は本屋でも レジの前の新刊や話題作のコーナーへ平積みにされていて本の帯には受賞後増刷とも書かれていた。
 結局、三生は父の受賞パーティーへ行くことにした。受賞以来父とは会っていなかったからだ。といっても娘としてではなく会場へ入るだけにしてもらう。父の古い友人である文芸四季編集部の編集長である三崎も 出席すると聞いていた。三崎は数少ない父の友人で三生のことも小さいころから知っている。

「三生ちゃん、大きく、いや大人になったなあ」
 三崎は会場であるホテルのロビーで三生に会うと感心したように言った。
「お久しぶりです。この前お会いしたのはわたしが中学生だった時ですよね」
「そう、嶺南へ入ったばかりの頃。元気だった?」
「はい、このたびは父がお世話になりました。父も三崎さんのおかげだと言っていました」
「いやいや、私はお父さんの作品のファンのひとりだよ。それにしても君は相変わらずしっかりしているなあ」
 今日の三生はチャコールグレーのパンツスーツを着てちょっと社会人風な、黙っていればOLみたいだった。学校の制服では思いっきり目立ってしまうだろうしジーンズというわけにもいかない。これなら三崎と一緒に会場にいれば連れのように見える。 三崎には大丈夫だからと言って三生はひとりで会場の目立たない隅にいた。父の姿をさがすとパーティーが始まる直前で父はいろいろな人とあいさつしている。やがて父が壇上へ上がり司会が話し始め 人々の注目が壇上へ集まっていたが、三生はこういうところは初めてだったので目立たないように隅でうつむきかげんに立っていた。その時、目の前に人影が立ち、三生は顔を上げた。
「またお会いしましたね」
 そこには高宮が立っていた。

「では皆様、乾杯を行いたいと思います」
 司会の声にいっせいに飲み物が配られ始め、高宮も差し出された盆から飲み物をふたつ取るとジュースのほうを三生へ渡してきた。
「こんなところで会えるなんて思ってもみなかった」
 高宮は言ったが、どうして三生がここにいるのか聞いてこなかった。
「高宮さん、お仕事ですか」
 代わりに三生のほうから聞いた。高宮は仕事の関係で父の受賞パーティーへ来たと思ったからだ。
「ええ、吉岡順三氏の……あ、吉岡というと、君はもしかして?」
「父です。吉岡は」
 三生は小さい声で答えた。
「ああ、そうなんだ、君のお父さんだったんだね。それは失礼したね。受賞おめでとう」
「ありがとうございます。……ちょっとだけ様子を見させてもらおうと思って」
 ふたりは隅にいたが、乾杯が終わって人々が談笑し始めると次々と高宮のもとへ人が集まり始めたので、すぐに三生は高宮にお辞儀をするとその場を離れて壁際へ行った。目立ちたくないのに高宮と一緒のほうがなお悪かった。彼は広告代理店の社長だ。 こういう場ではかなり重要な客のひとりだろう。三生が見ていると彼はあっというまに大勢の人に囲まれて話をしている。
 三生は父宛に贈られてきた花が置いてある一角へ行ってそれらの花を眺めていた。足の長い台に飾られた生花が並び、鉢植えの胡蝶蘭がいくつもあり、どれも差し出し人の名前が名札のような大きな紙に書かれて差し込まれている。 花の横に出口のドアがあり、黒服のホテルマンがいたので三生はトイレを尋ねてドアを開けて外へ出たが、しかしトイレへは行かずロビーへ戻るとソファーに腰をおろしてしばらく庭の明かりをながめていた。

「疲れた?」
 ふいに後ろから声がかかったので三生は飛び上った。
 高宮がすぐ後ろに立っている。
「ごめんよ、驚かせたかな。君が中にいなかったから」
「いいえ」
 三生のびっくりした表情がすぐにひっこむ。
「帰るの?」
「はい、父も見れたので……」
 変な言い方だったのだろう。高宮は穏やかに笑っている。
「君、おなかはすかない? 上のレストランで何か食べようか。それともむこうのティーラウンジでお茶でも飲む? つきあってくれるかな」
「あの、高宮さん、お仕事は」
「ひと通りあいさつしてきたからいいんだよ。今夜は君のお父さんの受賞パーティーだからお父さんへお祝いを言えればそれでいいんだ。私は君がいるから仕事どころじゃないよ」
 冗談かと思ったが高宮はじっと待っていた。三生が返事をするのを。
「ティーラウンジでお茶をいただきます。いいですか?」
 高宮が誘ったのだからいいも悪いもない。ティーラウンジへふたりで入り三生は紅茶を、高宮はコーヒーと三生のぶんもケーキを注文する。

 近くで見る三生はやはり高校生という若さが感じられた。
 高宮は会場の中で彼女に気がついたとき一瞬別人なのかと思ったほど三生は大人顔でスーツを着ていた。 化粧はあまりしていないようだったが服と違和感がなく、変に目立つことなく隅に立っていた。出版社の社員だといわれても違和感がない。全く高校生だということを感じさせない。
「あのお嬢さん、なかなかやるな」
 なぜ彼女がここにいるのか高宮にはわからなかったが、とにかく声をかけた。パーティーが始まってから話しかけてくる人たちを次々と相手にしながら三生を目で追う。彼女が目立たないように扉のひとつから出て行くのを見て高宮はあわてた。 あいさつもそこそこに会場を出る。ロビーを捜しながら通り過ぎようとして腰をおろしている三生を見つけて逆戻りする。
 座っている彼女に声をかけたとき三生はびっくりして飛び上ったようだった。なんだか彼女を驚かせてばかりいるな。でも彼女の驚いた顔は表情が素直に出て大人顔をしているときよりもずっといい。

「学校の門限は大丈夫なの?」
 高宮に聞かれて三生は週末は家へ戻ると学校へは届けてあるから大丈夫なのだと答えた。あらかじめ父にも言ってある。父はパーティーのあとも出版社の人や親しい人たちと飲みに行くだろうから帰りは遅くなると言っていた。三生はひとりで家へ帰るつもりだった。
「そう、じゃあ、もう少し私につきあってもらえるかな」
 今夜の高宮は黒に近い濃紺地に細いストライプの入ったスーツだった。ワイシャツもごく細いストライプの入ったものでダークグリーンのネクタイ。完璧なダークスーツ姿だった。三生も今夜はスーツなので内心ほっとしていた。 普段着では今夜の高宮とはあまりにつり合いがとれない。きっと一緒にいても自分が気後れする思いをするだけだろう。

 高宮が生クリームの添えられたザッハトルテを食べはじめた。結構おいしそうに食べている。
 ふーん、こんなおじさんでもケーキを食べるんだ、と三生はお茶を飲んで高宮を見ていた。向かい合って座っているのだからいやでも目に入るのだが。 おじさんじゃないか、と三生は心の中で訂正した。高宮はまだ30代だろう。
 三生もケーキを食べはじめた。昼食を食べてからあとは何も食べていないし、パーティーではジュースを少し飲んだだけなので正直言っておなかがすいていた。若い食欲であっという間に
ケーキを食べ終わると高宮と目が合ってしまった。
「よかったらサンドウィッチでもとろうか」
 三生は思わず真っ赤になった。
 あー、わたしってばか、空腹のせいで無意識にがっついてしまった。こんなよく知らない人の前では絶対に気を抜かない自信があったのに。今夜はせっかく大人のふりをしているのにこれじゃあまるで小学生だ。
「いいえ、いいです」
 精一杯取り繕って言ったが高宮が抑えきれないように笑っている。そんなにおかしがらなくてもいいでしょう、と三生は心の中でふくれていた。

「君のことが頭から離れなくてね」
 不意に高宮が言った。
「時々会えないかな? 私から寮に電話できるといいんだが」
 紅茶のカップを持つ手が止まっている三生にはかまわずに高宮は名刺を取り出して裏にペンで書きはじめた。
「これは私のプライベートな携帯番号なんだ。こっちへ電話してくれないかな」
「……わたし、電話するなんて言ってませんけど」
「もちろん君がいやなら電話してくれなくていいんだ。ただ私は君にもっと会いたいと思っている」
「わたし、まだ高校生です」
「知っているよ。こんな年上の男は興味がないかい?」

 三生はまじまじと高宮の顔を見た。彼は気楽そうだった。もっと固い感じの人だと思っていた。
「T企画の仕事をする気はありませんから」
 三生は警戒して言った。
「それはこの前聞いたから私から無理強いする気はないよ。君がやりたくないものをどうして私がやらせるんだね? そうだろう?」
 高宮が名刺を差し出した。
 しかたなく三生は受け取った。なんだか変な気分だった。高宮にまた会いたいと言われてもそんなことを今まで考えたこともなかった。
 そうだよね、と三生は心の中でつぶやいた。こんなおじさんに言われたら誰でもあせるよね。名刺まで渡されちゃって。

「家はどこ? 送っていくよ」
 ティーラウンジを出ながら高宮が言う。
「いえ、いいです、遠いから。電車で帰ります」
 そのとき横のほうからひとりの男が三生に近づいてきた。
「吉岡氏のお嬢さんですね。少し話を聞かせてもらえませんか」
 着古したようなジャケットとズボン、ノーネクタイのその男は言った。40代くらいだろうか。うっすらと無精ひげが生えている。三生が驚いて立ち止まった。
「雑誌社の記者です。あなたのお母さんのことを聞きたいんですけどね」
 三生は何も言わず一歩後ずさった。
 記者がたたみかけた。
「今日の受賞式にはあなただけ出席ですか? お母さんは?」
「君、どこの雑誌社だね。社名を言いたまえ」
 高宮が前に出て男をさえぎった。厳しい声で言う。
「どこの会社だね」
 高宮のほうが記者を名乗る男よりも若かったが高宮は平然と言った。背の高い彼の背中が三生の前にきている。むこうのロビーのほうからはホテルマンが近寄ってきているのが見えた。
 男はちっと舌打ちすると高宮の肩越しに三生にむかって「また今度取材させてもらいますよ、お嬢さん!」と言うとロビーから出て行ってしまった。

 三生は高宮のうしろから男が去っていくのを見ていたが、突然のことでどうしたらいいのかわからなかった。あまり感じの良くない記者だった。どうしてあんな事を尋ねるのだろう。
 高宮の手が袖にそっと触れて三生は我に返った。
「あ……、すみません。何だかよくわからないけれど……ありがとうございました」
「こんなことが前にもあったの?」
 三生は首を振った。
「いいえ、ありません。わたしが取材を受けたこともありません」
「そうだろうな」
 高宮は言うとちょっと離れたところにいるホテルマンへ合図した。すぐにホテルマンが近付いてくる。高宮は車を回すように言ってから三生に向き直る。
「さっきの記者がまだいるとは思えないが今夜は送っていくよ。遠慮しなくていい。何かあったら私も心配だ」
 三生はそう言われて迷ったが送ってもらうことにした。確かにまたさっきの記者には会いたくない。 いつか見た高宮の車がホテルの玄関に待っていた。ドアボーイがあけてくれたドアのほうから三生を乗らせると反対から高宮も乗り込んだ。高宮が三生に自宅を聞いて運転手に告げる。
「すみません、遠くで」
「いや、いいんだ。お父さんはまだパーティーだろう? 家には誰かいるの?」
 ちょっと三生がためらってから言う。
「……いません。父と母は別れてしまって」
「そう、それであの記者があんなことを言っていたんだね。しかし今時、別れた夫婦の事を取材するなんてありえないな」
 三生は黙っている。記者に会ってからあきらかに三生の態度が硬くなっているようだった。ティーラウンジを出た時は緊張がほぐれたような感じだったのだが。話題を変えて高宮はさりげなく学校のことなどを尋ねてみたが三生は落ち着いてはいたが硬さがとれない。
 完全に大人のふりでパーティー会場にいた時、高宮は少し日本人離れした三生の顔立ち、肌の白さやちょっと色の薄い瞳の色に加えてすらりとした細身のスタイルの良さを持っているのにもかかわらず、それを目立たせないようにしているギャップに気が付いていた。 目立つことを恐れているようでもあった。 若い年齢、世馴れないぎごちなさもあったが三生は意識して目立たないようにしているようだった。そんな彼女だったがケーキをあっというまにたいらげて赤くなっていたのはかわいかった。 今夜はあの記者の出現で三生を送ることができたが、高宮は三生のことをもっと知りたくなっていた。
「なんとしてももう一度会いたいな」
 高宮は心の中で考えていた。
 しかし三生は連絡してくるだろうか。


2007.09.09

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