白い花

白い花

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後編


「半田、次号で最後だよ」
 編集長があきらめたように言った。
「そうですか」
 こうなるだろうということはわかっていた。12月を迎えて年が越せるかどうかというところまできていた。 せめて最後の記事としてアメリカ女優の娘の記事をのせるっていうのはどうだ?
 半田はずっとそう考えていたが、しかし当の女優が来日するという噂があったが結局来日は見送られてしまった。半田にはどうする事も出来ない。
「最終号とでも銘打って終わりにするか。おまえの記事でさ」
「遅すぎるね。あの女優が来日していりゃ娘と会う可能性もあったが、来ないんじゃお手上げですよ」
 半田は正直に言った。編集長は最後に来て半田にこの件から手を引けと言わなくなっていた。お前の好きなようにやれよと言っているようだった。
「他のマスコミも気付き始めているな。でもなあ、なんだ? あの瑠璃(るり)って子は?」
「知りませんよ。でも高宮の彼女と同じ高校の生徒で同級生らしい。T企画ってところのタレントですよ」
「T企画のバックは白広社だろう」
 編集長が思わぬことを言った。
「あ?」
「高宮のT。あの社長がやらせているプロダクションだぞ、確か」
「ふ……ん」
 編集長、だてに歳は食ってない。しかし、それは……。
「なんでその子と高宮の彼女が間違えられるんだ」
 編集長が首を傾げる。
「ほかのやつらが勝手に間違えているんだ。俺が間違っているわけじゃない」
「そうすると本命を追いかけているのはうちだけか」
「まあそうでしょう」
「……あの高宮って男、どうするかな」
 半田は編集長の言葉に無表情で答えなかった。

  あの女子高生が大手の広告代理店の社長とつきあっているとわかった時、半田はああ、あの子もかと思った。どうせ高校生なんてみんな同じだ。学校の手前あの女子高の生徒たちは規則を守っているように見えるだけで、高宮の彼女のように陰で男とつきあっている。みんな同じだ。かわいい顔をしていても……。

 あの女子高生……彼女だけは違うと思いたかった。
 静かなたたずまいがある大人びた少女。そう言えばあの静かな感じは由利子にも似ている。だから半田はあの女子高生が高宮とつきあっているのが許せないような気持ちになっていたのかもしれない。自分では認めていなかったが。 だから彼女にひどい言葉を言ってしまったのだ。高校生のくせに……。あの時のひどく驚いた彼女の顔。

 ああ、自分は好きな女ひとりどうすることもできないで他人の女も傷つけている……。半田は高宮がうらやましかった。やっとわかった。
 自分が想っている女を守ろうとしている高宮。姑息な手段はとらずに正攻法でやろうとしている。だから半田に取材をやめてほしいとわざわざ言いにきたのだ。カネや圧力でなく。
 若いのに堂々としたあの男。あの男にしてもカネで若い女の子と遊ぶような男ではない。あの女子高生は高宮を愛しているのだろう。そして高宮も……。
「どうするんだ、高宮」
 半田はつぶやいた。

 年が明けてだんだんとマスコミが動きはじめていた。
 まだワイドショーで騒がれるほどではなかったが水面下で何事かがおこっているのが半田にはわかる。半田のところにも取材とやらでテレビ局からわざとらしい問い合わせが来ていた。
「どうするんだ、高宮」
 彼がどうしようとしているのか半田にはわからなかったし、半田のところへ高宮が何か言ってくるはずもなかった。
 もうあの彼女のことは見離したか。俺のところへ来たのは張ったりだったのか? あの高宮という男、何かやるかと思っていたがな。じゃあ、俺も好きにやらせてもらうぜ。どうせ最後だ。
 嶺南学院に張り付かせていた編集部の若い記者の田代たちから連絡があったのはそんなタイミングだった。学校の前にマスコミが来ているという。とうとう動き始めたか。どう出る? 社長さんよ。
 半田にはその方が気になったがマスコミは見事なくらいに勘違いしているらしい。瑠璃っていう子だと思っている。だが、こっちは間違えてない。他のマスコミが騒げば都合がいい。間違いだったってことで世間にもマスコミにも真実を突きつけてやれる。

 編集長にそれを告げると編集長はうーんと唸ったまま黙り込んでしまった。
「なんだ? どうしたんだ? 今さら」
「おまえ、気がついていないのか?」
「だから何を」
 編集長は親指でうしろの窓の外を指した。
「あのお客さんだよ」

 これみよがしにビルの向かいに男がふたり立っていた。サラリーマンには見えない。
「S興業か」
 うっとうしい。こんな時にあんなやつらに付き合っている暇はないんだ。
 半田はやけになって考えていた。
 もう、うちの社はおしまいだ。お前たちの望みどおりになっただろう。それでもまだああやって張り付いているのはなぜだ? ……俺が目的か?
「編集長、雑誌はもうおしまいだ。次号が発行されなくてもいい。もうやめよう。だが俺は女優の娘の件、最後までやらせてもらうぜ」
「おい、半田!」
「それにS興業の目当ては俺だろう? うちの社がもうなくなれば俺だけが目的だ。買われた恨みだ。もうあんたも編集部の他の人間もあいつらには関係ない。そういうことにしてくれ」
「半田! ……」
 編集長が怒って立ちあがった。しかし編集長が怒鳴る前に由利子が「半田さん!」と呼んでテレビの画面を指差したので半田がテレビの前へ行ってしまい、編集長の怒りがそがれてしまった。
「おい! 何だ、こんな時に」
 テレビの前では由利子と半田が昼のワイドショー番組に食い入るように見入っていた。引き込まれて編集長もテレビへ近づく。

「アメリカの人気女優キャスリーン・グレイさんはかつて日本人と結婚していたそうです。その時に生まれたのが、来年公開の映画に出演している瑠璃さんだということで……」
 とうとうテレビに出てしまったが、相変わらずここでも瑠璃だ。まだテレビなんぞに出し抜かれちゃいない……。

 半田は編集部を飛び出した。後ろから由利子が何かを叫んでいたが。
 本当は記事にできるかどうか、もうどうでもよかった。ただあの高宮という男がどうでるか、でないのか、それを最後まで見届けたいだけだった。
 携帯電話で田代に聞くと瑠璃とあの彼女は一緒に渋谷にあるT企画へと向かったという。しかし半田がT企画の前に着くとすでに瑠璃たちはビルの中へ入ってしまった後だった。半田は瑠璃たちを追いかけてきた田代たちを見つけるとここで見張りを続けて、もし例の女子高生が出てきたら迷わず張り付けと言った。
 そのまま様子を見る。他のマスコミたちもまだビルの前で粘っている。しばらくしてT企画の社長という男が玄関へ出てきて瑠璃がアメリカの女優とはまったく関係がないことを説明し始めた。調べてもらえばすぐにわかることだと。
 社長への取材が終わってマスコミたちがばらけ始めていた。こんなふうに瑠璃のサイドではっきり間違っていると言ったら、では本当の娘は誰なのか、と当然の流れでそういうことになってしまうんじゃないのか?
「いいのか、高宮」
 半田は心の中でつぶやいた。自分が心配するのはおかしかった。自分が暴き立てる側なのに、もはや雑誌も社もなくなるのに、なんだって俺はこんなに……。

 半田はこらえきれなくなって白広社へと向かった。白広社は同じ渋谷にある。 いきなり行って高宮に会えるとは思わなかったが、乗り込んででも会うつもりだった。会ってどうするのか半田には自分でもわからなかった。矛盾している。記者の意地と良心がせめぎあっていた。だから半田には後ろをついてくる男にも気がつかなかった。白広社のばかでかいビルの前にさしかかる。 その時、後ろから気配がした。
「はんだ……!」
 女の声がした。
 ふいに女の体が半田にぶつかってきた。由利子! どうして……。
 しかし同時に由利子と半田にぶつかってきた男が倒れこみながら転がった。手にはナイフのようなものがちらっと光って……。見知らぬ若い男だった。しかしそれとわかる服装に半田は
かっと血が逆流した。
 S興業か、この男、ナイフで…… ナイフ?

「由利子!」
 思わず支えたつもりだったが支えきれず由利子の体が崩れるように倒れてきて半田も一緒に地面へ倒れこんだ。 誰かが悲鳴をあげてさっきの若い男が走って逃げていくのが見えた。
 由利子の背中がゆっくりと赤く染まっていく。着ている白っぽいハーフコートの下のセーターが血で……。
 由利子由利子由利子……

 まわりの騒ぎはもはや半田の耳には入らなかった。

 何でお前が刺されなきゃならないんだ。どうして俺をかばうんだ。
 血を流さなければならないのは俺のはずだ。好きな女ひとり守れないで、あの女子高生にひどい言葉を吐いた。他の男が守っている少女を傷つけて……俺は……。
 なのにお前は……。

 お前だってあの女子高校生たちのように白い花だったはずだ。
 それが俺のために薄汚れて……血を流して……由利子……。

 遠くで救急車の音が鳴っていた。
 まわりで何人かの人間が半田と由利子に声をかけているのを半田は遠くからの声のように聞いていた。大丈夫ですか、しっかりして下さい……。
 はっとして由利子を揺さぶろうとする半田の腕を別の誰かが押さえた。
「静かに。動かさないほうがいい」
 驚くこともできなかったが、それは高宮だった。しかし何も言えないまま由利子は救急車へ入れられ半田はパトカーへ乗せられてしまった。
 白昼の白広社のビルの前。
 あとには人だかりとざわめきが気配のように続いていた……。





 数日後。
 明るい病室には見舞いの花が置かれていた。かごに盛られたその花々は淡いピンクとクリーム色の薔薇の花に星のような小さな白い花がたっぷりと散らされて緑の葉がすがすがしい。 由利子がその花を指さす。
「さっき高宮さんが来てくれたのよ。自分でこのお花を持って。驚いたわ」
「何か言ったか」
「お見舞いだけよ。あの人が他に何かを言うわけないでしょう」
 半田は黙っていた。
「半田さんのために早く良くなるようにって……」
 言ってるじゃないか。
 あいかわらず良くできた若造だな。女にはとことん親切ってわけか。

 しかしその少し前、半田は由利子の病室に向かっていた高宮を廊下でつかまえていた。
「由利子さん、命には別条はないそうですね。新聞で読みました」
「ああ、あの時は助かった。礼を言う」
「いいえ、私は三生……彼女をつかまえに行こうとして社を出たところで偶然通りかかっただけです」
「あのあと、彼女はつかまえられたかい?」
「ええ、間に合いました」
「マスコミのほうは大事にはならなかったようだな。今ならあんたに聞いてもいいだろう。どう
やった?」
「正式に抗議したまでです。彼女は未成年の高校生だ。あんな取材が許されるわけがない」
「……堂々と攻めたというわけか。でも、もしそれが効かなかったら?」
「そうなったらなったで別の手段を準備していました。私もきれい事だけで彼女が守れるとは
思ってはいなかった。しかしそうするまでもなくうまくいきました」
「うまくいくようにしたんだろう」
 高宮は笑った。
「運が良かっただけですよ」

 半田は考えていた。
 表向きマスコミは自分たちが間違っていたことを指摘されて急速に鎮静化した。高宮の工作は絶妙なタイミングだった。
 誰にだってアメリカの女優サイドからの抗議は当然考えられただろう。関係のない瑠璃のことを間違えたことを痛烈に言ってくるに違いない。そうなれば日本のマスコミはアメリカのハリウッドのプロダクションを、エージェントを自分たちの間違いで相手にしなければならなくなる。 そのあとで本当の娘がわかってもそれを表沙汰にするのが得策かどうかすぐに結論は出るだろう。
 あの瑠璃って子にしても完全な間違いなのだからいくら騒がれたとしても最終的には瑠璃自体には傷はつかないだろう。瑠璃が間違えられたというのは偶然だったのか? 偶然だったとしても……。

 あの日、由利子が刺されたせいで半田は田代たち若いやつらからその後のことを聞くことができなかった。 若いやつらも高宮とその彼女を追い切れなかったし、その夜編集長から社がつぶれることを聞いているだろう。
 もう何も……何も残ってはいなかった。

 半田はやっと警察から由利子が運ばれた病院へ行くことができた後で高宮へ電話をしていた。 高宮の自宅も携帯番号も知らなかったが、半田は白広社へ電話をして途中で何度も電話を投げつけてやろうかと思いながらも何とか高宮の携帯番号を教えてもらった。重役らしい人物を相手に高宮社長へ礼を、ひと言でも礼を言いたいと泣く真似までして。
 救急車で由利子が運ばれるときにそばにいた高宮は警察から事情を聞かれていただろうし、事件は白広社のビルの前でおきていたから高宮には社長としての対応もあっただろう。それがなければ重役も電話番号を教えてはくれなかったはずだ。
 しかし携帯にかけて出たのは高宮の秘書で、彼は今、東京にはいないという。そもそもこの番号は高宮の仕事用の携帯でプライベート用ではないという。何だ、結局は堂々巡りじゃないか、あの重役め。じゃあ高宮はどこなんだと聞いても秘書は教えてはくれず、高宮のほうからかけ直すという。まったくこいつらのすることときたら!

 高宮から電話がかかって来たのはもう真夜中過ぎだった。まだ半田は病院にいた。
「もううちの社はつぶれた。あんたの彼女の記事は出ないよ。だが今の俺はあんたの彼女の記事よりも書きたい記事があるんだ。何とかしたいんだ」
『……何を書きたいのですか?』
「S興業だよ! 由利子が刺されたことを逆に記事にして書いてやる。だから俺が記事を載せられる雑誌が必要なんだ。あんたならなんとかなるだろう」
 半田は由利子が刺されたことを記事にして載せるつもりだと高宮へ言った。そのためには記事を載せる雑誌が必要だった。事件の当事者である半田が書くこの記事を載せれば雑誌は売れるだろう。由利子が刺されても半田はただでは起きない。

『では、あなたが彼女から手を引くその引き換えに当面の資金を工面しましょう』
「もう言っただろう。うちの社はつぶれている。あんたの彼女の記事も消えた。どのみちこうなることはわかっていたんだ。だから取引にはならないよ。看板を掛け替えるだけでも、俺や編集長がやるにしても新しい雑誌でいいんだ。俺は俺のやり方で由利子を傷つけたやつらを締めあげる。あんたと同じだ。好きな女をどうこうされて黙ってはいられないだろ?」
『半田さん』
「あんたには借りになってしまうが、いつか必ずこの借りは返すよ」
『……わかりました、いいでしょう。私は今、長野にいるので詳しくは東京へ戻ってから』
「あ? ああ、わかった」
 電話を切ってから一気にまくしたてるように話してしまったのに半田は気がついたが、何とかしてS興業を叩きたかった。由利子のために。
 とにかくこれで雑誌のほうは何とかなるだろう。半田は急速に体の力が抜けてしまったように由利子のベッドの傍らへ戻るとがっくりとつっぷしてしまった。
 由利子……ベッドで青白い顔をして眠っている由利子の顔を見た。少しにじんで見えたのは気のせいか……。

 そして病院の廊下。
「あんたの彼女は」
 半田は言いかけてやめた。半田がそれ以上何も言わないので高宮が「では」と言って由利子の病室へ入っていった。手には花のかご。
 高宮が守った女、まだ若くすらりとしたあの少女を半田は思い出していた。
 守ってやれたな、高宮。いつかあのふたりが寄り添っているところを見てみたい……。

「由利子、退院したら一緒に暮さないか」
「え……」
「S興業にひと泡吹かせてやる。だからいやならいいぞ。俺は死ぬまで鉄砲玉さ」
 由利子は答えなかった。泣いて、泣き声を抑えて肩が震えている。
 半田はそっと由利子の肩をなでた。俺の白い花はおまえだよ、とは言えなかったが。

                                                    終わり


2007.11.24掲載
窓に降る雪 拍手する

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