彼方の空 11

彼方の空

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11


 夫の腕を押すと回されていた腕が難なくほどけた。三生が黙って服を着るのを高宮も起き
上って見ている。
「会いたくない」
 言葉が口から出てしまった。自分でも驚くほど冷静に。
「三生」
 高宮が自分へ注意を戻させるように三生の手を取った。
「今すぐに決めてしまわなくてもいいんだよ。キャスリーンは今週の日曜日まで日本にいるそうだから、それまでに」
「でも」
 三生は高宮に握られている手を見た。強く握られているわけではない。
「キャスリーンは会うかどうかは君次第だと言っていたよ」
「でも、会いたくない」
 手を引こうとして握られていた手に力がこもった。その手から目をそらす。高宮がじっと自分を見ているのがわかるのに。
「だって、だって……会ってどうなるというの。どうにもならない。なにも変わらない。そうとしか思えない」

「そうか」
 そう言って高宮が手を離した。
「三生がそう思うのなら会わないほうがいいだろうね。キャスリーンにはそう伝えておこう」
「……ごめんなさい」
 三生はそう言うしかなかった。
 雄一さんはあいだに立ってくれているだけなのに。彼はどう思っただろう。たが、やはり会いたい気持にはなれなかった。もうそれ以上高宮は何も言わなかった。三生も横になったが目を開けたままじっと暗い寝室の天井を見上げていた。

 大学で見たジェフの姿。美和はジェフのことをアーティストだと言っていた。
 あの人が。だからジェフはわたしを見ていたんだ。

 キャスリーンが日本へ来ているということよりもジェフという男と結婚しているということばかりなぜか考えている。

 …………
 お父さんは再婚しなかったのに。
 お父さんはわたしがキャスリーンに会う日が来ても困ることがないように英語を教えてくれたのに。
 お父さんは死んでしまったのに……。

 両手で顔を覆った。
 わたしはキャスリーンへの非難を積み上げている。
 誰と結婚しようとそれはキャスリーンの自由なのに。ジェフは関係ない。

 顔を覆った手が震える。なにも言わずそばに高宮がいることがたまらなくなる。
 彼が心配してくれているのはわかるのに。でも。

 仕方のないことだと割り切っているようにしていても。
 本当はわたしは……。





 翌朝は高宮も普段と変わらない様子だった。キャスリーンのことはなにも言わず、今日はずっと会社にいると言っていつも通りに出勤していった。彼を送り出した後で三生も大学へ行ったが考えることはやはりキャスリーンのことばかりだった。
「どうしたの、三生。さっきから食べてない」
「あ、ごめん」
 美和と一緒に校内の学食で昼食を食べていてそう言われた。
「どしたのー。もしかして」
「え?」
「オメデタとか?」
「ち、違うよ。そんな、まだ結婚して三カ月も経ってないのに」
「三カ月あれば充分でしょ。三生って結婚しているのが信じられないくらいウブね。ちゃんと高宮さんに教えてもらいなさいよ」
「美和!」
 美和の口を押さえようとしたが笑ってかわされてしまった。お嬢様な美和だが時々言うことがきわどい。
「そういうこと言わないでよ」
「はい、はい。それよりも明日は金曜日だから忘れないでね。わたしは明日は大学へ来ないけど、待っているからね」
「うん。もちろん」
 明日から美和の姉の華道展が始まる。明日のオープニングの準備のためにこれから帰ると言う美和と別れて三生はひとりまた考えていた。

 金曜日。そして週末。
 日曜日まで日本にいるというキャスリーン。それが過ぎれば帰ってしまう。

 いつか会う日が来るだろうとは思っていた。でも今、会わなくてもなにも変わりはしないだろう。きっと変わらないはず。このままキャスリーンが帰ってしまっても。

 このまま。
 キャスリーンに会わなくても……。
 



 その日に帰ってきた高宮はいつもと変わりなく夕食のテーブルについた。いつもと同じなのに高宮があまりしゃべらないように思う。わたしがキャスリーンに会いたくないと言ったこと、もしかしたら怒っているのだろうか。
 そう思ったら高宮が話し出した。
「明日は美和さんのお姉さんの華道展だね。私は午前中は会社にいるけれど三生は昼までどうするの」
「あ、うん。夏休みの研修の書類を出さなければならなくなって。だから午前中は大学へ行くけれど、すぐに帰ってくるから」
「迎えに行こうか」
「大学へ? ううん、雄一さんも仕事でしょう。大丈夫」
「そう。じゃあ、気をつけて」
 そう言った彼の顔はやはりいつもの高宮だった。

 いつもの会話。でも、いつもと違うのはわたし。
 キャスリーンには会わないと言ったのに心の奥底が波立ったまま。そんな気持ちを封じ込めてしまいたいのにうまくできないのが自分でもわかっている。

 割り切れてなんかいない。
 割り切れていると、キャスリーンはキャスリーンだと、そう思い込もうとしていただけ。わたしは今まで。

 その夜はベッドに並んで横たわって、高宮の腕はいつものように三生の肩を抱いていたが、それ以上は動かなかった。目を閉じている夫の静かな寝息を聞いて、その体に寄り添っているのに心はどこか緩まなかった。けれども明日のために眠ろうと三生も目を閉じた。


2011.01.29

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