彼方の空 8

彼方の空

目次



 トーキョー・ショートフィルム・フェスティバルのオープニングイベントの会場。
 今日のオープニングを皮切りに明日から週末にかけて上映会が行われる予定で、日曜日には授賞作の発表と受賞式が行われる予定だった。
『タクミ、あの人物を知っている?』
 ジェフが見ているのはスーツ姿の背の高い男。招待客たちと談笑している。外国人たちに混
じってもひけをとらない容姿のその男は広告代理店の白広社の社長という男だった。 白広社は今回のショートフィルム・フェスティバルのスポンサー企業のひとつで、オープニングイベントのパーティー協賛会社でもあった。パーティーはイベントのひとつとして完全招待制だったが、拓海がここへ入れたのはジェフの通訳代わりとしてだった。
『知りません』
 あの男は大手広告代理店の社長だ。三生の夫なのだということは知っていたが顔を見たのは今日が初めてだった。
『じゃあ自己紹介してこようかな』
 気軽にそう言ったジェフが高宮へ近づいて行くのを拓海は少し離れたところで見ていた。ジェフが話しかけると白広社の社長が英語で答えている。

 ……なんだよ。

 ジェフは今日も紺色のシャツに黒いジャケット、黒いズボンというラフな服装だった。ショート
フィルムやドキュメンタリーの監督や映画関係者はそんな人物が多い。だからビジネススーツ姿の人間はスポンサー関係者だとわかる。 ジェフと話している広告代理店の社長もスーツ姿だった。しかも宮沢直人もそばにいる。

 むかつく。

 ジェフだって吉岡三生に興味を持っていた。宮沢は断られたと言っていたが。
 俺が探していたのに。
 俺がずっと探していたのに。

「すみません」
 話しかけた拓海の声にジェフが振り向いた。白広社の社長と宮沢もこちらを見た。
「ジェフの通訳代わりをしている沢田拓海です。M大の三年です」
 M大と言ったからだろうか、白広社の社長が拓海へ向き直った。
「M大の沢田さんですか。確か昨年の学生部門の優秀賞を受賞されていましたね」
「よくご存知ですね。あなたのような広告代理店の社長にとっては学生の作品なんて興味がないのかと思っていました。あなたのような人は商業的に成功しそうなものしか相手にしないんでしょう」
 失礼だと取られる言いかただったが白広社の社長は穏やかな表情を崩さなかった。
「もしそうだとしたら我が社がこのフェスティバルを協賛する意味がありませんね。才能ある若いクリエーターが発掘される手伝いができればと思っているのですが」
「おい、沢田」
 宮沢が口を出したが拓海は無視した。日本語で交わされる会話だったのでジェフはそばで聞いてはいたが黙ったままだ。高宮が宮沢へ尋ねた。
「宮沢さんは沢田さんと知り合いだったのですか」
「いや、知り合いってほどじゃ……」
「そういうところ、さすが白広社の社長だ。スポンサー企業として申し分ないですね」
 拓海の声が尖っている。

 いかにもなこと言いやがって。
 あんたが社長だからこいつらは追従しているだけなのに。

「じゃあ俺が吉岡さんを撮りたいと言ったら社長はどうされるつもりですか。ジェフだって宮沢さんだって同じこと考えているようですよ。宮沢さんは断られたそうですが」
「妻のことを言っているのですか」
「そうだよ!」

「若い才能を応援してくれるっていうなら俺が吉岡さんを撮ってもいいはずだ。だめですか」
「沢田、やめろ」
 宮沢が止めたが、拓海は睨むように高宮を見た。
「それは妻が決めることです。宮沢さんの件を言っているようですが、そのことは妻自身が決めました。あなたの言っていることも妻に直接話して下さってかまいません。妻がいいというのなら私には反対する理由はありません」
 拓海の視線をかわしもせずに高宮がじっと拓海を見ている。

 妻がいいというのなら。
 物わかりのいい振りしやがって。その老成ぶりが気にくわない。
 吉岡三生がこんな男の妻だなんて。

「社長は歳の離れた女子大生と結婚しているだけのことはある。奥さんに理解があるんですね。きれいで若い奥さんだからですか。さぞ楽しくて、きっとやりまくっているんだろう」
「沢田! おまえ」
 血相を変えたのは宮沢だったが、高宮は拓海を見たまま静かな口調で言った。
「やりまくっているか? もちろん愛する妻ですからね。彼女が自分の腕の中で変わっていくのを毎晩見ることくらい楽しいことはない」

 毎晩。
 返された言葉に拓海は自分の顔が熱くなったのがわかった。

 ガ……ガキじゃあるまいし!
 なんだって、なんだって。

「妻の美しさに気がついてくれて光栄です。が、妻を撮りたいというのなら彼女自身の承諾を得てください。君にそれができるのなら」
 平静に言う高宮。それはこのまえの三生の様子を思い起こさせる。なにを言っても変わらないという目をした三生と同じ目。
 高宮を睨みつけることしかできなかった。するとそばにいたジェフが眉を上げるような表情を作った。
『タクミ、君の負けだ』
 日本語のわからないはずのジェフにそう言われたように感じて拓海の怒りはすうっと冷たいものに変わった。

 ……こいつら俺を馬鹿にしている。
 ジェフも。宮沢も。この社長も。
 みんな俺を馬鹿にしている。

 それなら自分でやるまでだ。


2011.01.10

目次      前頁 / 次頁

Copyright(c) 2011 Minari Shizuhara all rights reserved.